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2022年度大河ドラマ 第17回 感想メモ

あいかわらずオタクが考察という名の適当な妄想をして発狂している感想です。

 

■万寿の不在

気になったのが頼朝のこのセリフ。

あやつ(義高)の恨みは必ず万寿に降りかかる。

大姫といい、万寿といい、頼朝は非常に自らの子供に甘いのだなあ、と思いました。まるで万寿の成績が1だったら教員を呼びつけて首をはねて河原に晒しそうなほどスーパーモンペ感を繰り出している頼朝ですが……。

むしろ、義高が死んだほうが恨みが万寿に降りかかるのではないでしょうか。

今回万寿は登場していません。今回、北条家をメインに映していたので、万寿は比企家にいるということでしょう。

そして比企家と北条家の対立の萌芽がどんどんと積み上がっています。

鎌倉にいるのが義時だけだったときは、温厚でひょうきんな人物かと思われたのですが、一転。時政が帰還して焦っていると思われる能員。わざわざ時政に当てこするように義経と一族の娘・里との結婚について自慢します。

「御曹司が凱旋なされたところで、にぎにぎしく祝おうと考えております。これで、源氏と比企との繋がりはますます深くなるというもの」

さすがに時政と義時はなんらかの危機感を覚えたのか、顔を見合わせています。

北条家は鎌倉殿の外戚でありながら、「亀の前事件」以降、当主の時政が伊豆へ帰ってしまい、残るのがまだ若年の義時だったため、鎌倉殿の影響力に対する主導権を比企家に奪われつつあります。比企家は義経と万寿(頼家)という金の卵を手に入れました。政子は万寿を溺愛していますが、満足に万寿を抱くこともできません。貴人の母というのはそういうものではありますが、一方で北条家が比企家より低い家格として描写されているので、政子が男子を産むのが初めてなことをうまく利用されて、比企家から舐められているようにも感じます。

一方北条の手元にいるのは大姫です。今回、政子が義高を救おうとしたのは大姫と自分が同じ目にあって欲しくない(夫が死んだと思って最悪な時間を過ごして欲しくない)、という思いに尽きるようですが、一歩引いてみれば、義高と大姫が婚姻を結び、大姫の夫として義高が鎌倉殿になる選択肢があってもいいわけです。義時と遊ぶなど、義高は比企家より北条家に近い描写がされています。

見る人が見たら政子や義時の行動は、万寿を後継者としたくなく、大姫・義高を後継者としたいのだというふうに見えたかもしれません。

義高と頼朝は「父を殺された人間に恨みを抱く」というところはよく似ていますが、決定的に違う点が一個あります。頼朝は逆立ちしても平家の当主にはなれませんが、義高は頼朝の(将来の)娘婿でありいとこの子でもある、つまり頼朝の後継者になり得るということです。実際のところ14~5話で御家人たちのクーデター未遂に担がれかけてしまっています。
成長して頼朝を殺すかもしれないという未来の危険性だけではなく、万寿の立場を奪うという現在の危険性がある子だったということです。

そこでの頼朝の一喝、

あやつ(義高)の恨みは必ず万寿に降りかかる。

は「万寿が後継者であり、大姫を通じて義高を後継者にすることはまかりならぬ」と改めて宣言したのかもしれません。

北条家としては手痛いものです。

一方で、北条としてもうひとつの危機が義経義経を跡取りにしようと頼朝が言ったとき、政子は世継ぎを作ろうと決心します。そして無事に万寿が生誕したのですが、万寿は比企家に奪われています。義経も同様。
義経のこだわらない性格のおかげで、彼と北条との関係は良好ですが、「凱旋なされたところで」、比企が北条との間に食い込んで楔を打ち込んでくるでしょう。
道さんの「ぐいぐい」作戦がどんどんと功を奏しています。

ところが、この「ぐいぐい」作戦、多情な義経が引っかかってしまったことが悲劇であり。

義経は、里がいながら、白拍子静御前を見初めてしまいます。その上、義経はああいう最後を遂げるわけですので、比企家の持っている駒は「万寿」だけとなります。
比企能員と道さんが万寿と北条家を引き離さなくては栄達の道はない、と考えるのは無理からぬことです*1

今回は北条政子・義時が義高に同情的だったのは、私情や罪悪感もあるでしょうが、比企が有する「義経」「万寿」への対抗馬として「義高・大姫」を擁していたからではないかとも思えます。
政子や義時にそんな気はこれっぽっちもなかったでしょうけど、義高と大姫を尊重しており、「万寿の脅威」とはけして見ませんでした。万寿の脅威であることは明白なのに。
頼朝も、おそらく万寿の脅威として義高を見ていた側面もあるでしょうし、幼い義高を殺しても大姫を含めた北条家・ひいては御家人たちの信用がなくなるだけであると感じたから一旦は義高誅殺を止めたのでしょう。

すでに北条は万寿の外戚とは言えなくなっているのかもしれません。
この事態に気付いたからこそ、北条は実朝のときは手元で育てるのでしょう。

■金剛

今回、一ノ谷の戦いでの戦勝報告のためにわざわざ範頼と鎌倉へ戻ってきた義時。だいたい兵庫県神戸市あたりから神奈川県鎌倉市に戻ってきたわけで……ご苦労様です。

おそらく仕事のバリバリ忙しいお父さんあるある+金剛と初が何重の意味でも親戚関係にある*2+金剛に対して笑いかけられないほど義時の精神状態が落ち込んでいたため、戦から戻ってきても金剛と初の見分けがつきません。

先週、戦争をしてきて、坂東武者らしく気分が発散されたのか、久しぶりに義時が明るくなってボケをかましています。

「今日は親父殿に似てる。以前は八重さんに似ていたのに。赤子の顔は日々変わるんだなぁ」
「こちらは平六殿のお子」
「金剛~、金剛~」

間違われた金剛の反応が面白く(金剛役の子は名優ですね……)、父親が初の方を向いていると気づき「あぁ~」とちょっと困ったような声を出して、「赤子の顔は日々変わるんだなぁ」で「うわぁぁ~~」とむずかって自己主張を始めます。やっぱり金剛は喋る子みたいですね。初がおとなしいのと比べて。

第二代執権が第三代執権の頬をプニプニする図、一生見ていたいです。

一ノ谷前と比べて、義時の金剛に対する接し方が変わったような気がします。普通の父親っぽくなってる。金剛に向かって笑いかけ、頬を突く。しかし、これは初と間違えたことに対する罪悪感によるものかもしれないと思うと、なんともいえませんが……。

 

さて、義時のいう「親父殿」が誰なのか気になりました。時政には「父上」と言っているのしか聞きません。また、義時の視力がとんでもなく悪くない限り、義村の子が時政似というのはありえません。なので、義村に似ている「親父殿」、というのは伊東祐親のことかもしれません。

十代のお坊っちゃんの時は祐親のことを「爺様」と呼んでいましたが、八重さんを妻に迎えていろいろと義時も大人になっているのだなあと感じました。

ただ、 「今日は親父殿に似てる。以前は八重さんに似ていたのに」という姿は、年下夫感溢れるというか、まだあどけない感じがします。

 

今回金剛は父親の救いとなりました。一刻も早く出ていくことをお勧めするとまで言い切った狂った鎌倉に居続ける選択肢をした義時に、手を差し伸べたのです。

このシーンは金剛ちゃんの名演が光るのですが、17回中初めて義時の痛みが労われたシーンではなかったか、と思います。

1話からずーっと義時は様々な人に振り回されてきました。その最悪のパターンが15話。しかも自分の進言を頼朝と広元によって意図せぬ形で利用されました。
当初は八重さんも義時に苦労をかける側でした。子を失って夫が残酷な振る舞いをしてくる八重さんには義時というはけ口しかなかったのですから。

広常が「若ぇモンの愚痴でも聞くか」と義時の愚痴を聞いてくれはしましたが、その時の愚痴でさえ、義時は兄宗時が殺されたことに対する真の思いや祖父祐親に対する感情などの本質を話していません。
広常は義時にとても好意的で、義時にとっては信頼できる人物ではありましたが、一方で義時の本質に踏み入れられる立場ではなかったとも言えるでしょう。また、そこまで踏み込める時間もなく長の別れを告げたとも言えるでしょう。

しかし今回、ほぼ無実の人を3人も殺して、手を血に染めてきた義時は涙を流して、「父を許してくれ」とありのままの自分を金剛にさらけ出しています。そして金剛はその父に優しく癒すように触れる。はじめて自分をさらけ出し、労られたわけで、義時と金剛の間に特殊な絆ができることを思わせます。

 

■ずっと思ってるんですが

義時はペルソナが強すぎる傾向にあると思います。これは義村も同様ですが。義村が隠されたもう一人の自分、つまりシャドウとして義時を見ていることはよくわかります。義時も義村に対して同じだったでしょう。

義村の場合は義時を素直に自分の「なりたかったけどなれなかった自分」としてみているような印象を何度も受けます。義村は自分のペルソナを重く感じているらしく、何度も仮面を脱ぎたくて、ありのままの自分の元型である「義時」になりたくてたまらないようです。だから義時に若干軽率に命をかけちゃう。

一方で義時は「なりたかったけどなれなかった自分」として義村を見る際、おそらく「嫡男になりたかったけれどなれない自分」を想起するのではないでしょうか。でもこの考えは兄の宗時を裏切ることになります。それを抑圧しているためのペルソナの強さではないかと。

宗時が死んだ時、もちろん悲しみはしましたが、義時がとても生き生きしだしているのが印象的なのですよね。「面白いではありませんか!」と上総介にいいさえします。義村との友人関係も崩したくなくて、でも彼のまばゆさをみていられないような気もします。だから義村が一歩間違えば死にそうな場所に直面しても扱いが雑になるのかなと(コメディなんですけどね)。

 

■宿命の恋

宿命の「恋」と名のつくにしては微笑ましい幼いカップルでした。でも、この「恋」が頼朝の未来と鎌倉幕府のあり方に深い影を落としていくのですよね。

吾妻鏡では、「其の子と為し其の意趣尤も度り難きに依て、誅せ被るべしのよし、内々思しめちたち、此の趣を眤近の壮士等に仰せ含め被る。女房等此の事を伺い聞き、密々に姫公御方に告げ申す。よって、清水冠者計略を廻らし、今暁遁れ去り給う(父を殺された義高の意思を図り難いので、頼朝は義高を誅殺しようと内々に思われ、この内意を側近に言い含められた。女房たちがこれを聞き、大姫に密告申し上げた。よって、義高は計略をめぐらして、今朝夜明け前にお逃げになった)」と義高・大姫主導で義高の遁走劇が行われたと綴られています。
しかし、ドラマでは大姫も義高も計略をめぐらすことの出来ない無垢な子供であると冷静に考えており、「眤近の壮士(側近)」を義時に、「女房」を政子に比定して、恐ろしい残酷劇を生み出しています。

大姫が自らの喉に小刀を突き立てるシーン、「鎌倉時代はこういう時代なのだ」「日本はこういう時代を通って今があるのだ」という製作陣の気概を感じました。吾妻鏡では、大姫はこのときに自害しようとしたとは記されていませんが、「愁歎のあまりに漿水を断たしめ給う(お嘆きのあまり、重湯のようなものさえ食するのをお断ちになった)」とハンスト、ないしは拒食のような様子が記されています。6~7歳児にここまでの精神的傷を負わせる鎌倉幕府を、鎌倉幕府の公式な歴史書が淡々と記している、この恐怖に戦慄します。

今回、唯一救われたところは、セミの抜け殻好きのところ以外は意思を抑圧しているようだった義高もまた、大姫を愛していたことでしょうか。

大姫との思い出の品(手毬)を捨てることもできたのに、逃走中一緒に持っていき、そのせいで命を奪われることになったというところがあまりに眩しく、愛しく、そして切ないです。

確かに義高は父を亡くして落ち込んでいたところを、大姫に「ご一緒に」と手毬遊びに誘われて、少し気が晴れているようです。

いずれ、私よりふさわしい相手が見つかります。

当たり前といえば当たり前なのでしょうが、大姫の「相手」の中に「自分」を入れるほどの愛情を持って彼女のことを考えていたのだと思うと……相手に深く愛されていた記憶があるからこそ、大姫も深く傷ついたのだとわかります。むしろ愛されていない、気を使われていると遠く感じていたら、いかに美しい容姿の男子でも大姫の記憶から次第に薄れていって、「子供時代の悲しい思い出」に留まったでしょう。

この作品で大姫は「人間である」頼朝に深く愛されています。頼朝が慎ましくも幸せだった時代に生まれ、政子や時政、北条家の皆とともにその成長を「一人の父」として愛してきた子です。

そのことが今回よくでたなと思いました。万寿に対する愛情と大姫に対する愛情は違います。万寿に対する愛情は「災厄を取り除こう」とする冷たい愛情だけれど、大姫に対する愛情は「優しい心を思い起こさせる」温かい愛情なのですよね。頼朝は基本的に誰にも謝らないけど*3、大姫には「わしの負けじゃ」「父が悪かった」と大姫に対しては素直にいえます。だけれども、その優しい父の姿さえ「鎌倉幕府(仮)」は拒絶していく。これは「鎌倉幕府」創立の最大の犠牲者は広常や義高ではなく、頼朝なのだと感じました。

 

■まとめ

・比企と北条の対立がどんどん……
・金剛たんまじ救い。二代執権が親バカになる未来が見える
ユング心理学で義時と義村を見ると面白いかもしれない!
・頼朝かわいそう

といったところでしょうか……。義時もしんどかったですが、義時には金剛がいるのに比べて、今回頼朝は大姫を失ってしまったのですよね。

※頼朝が義経を後継者に考えていた時期もあるせいでプレッシャーにさらされる北条家は「史伝 北条義時」で読めます。

*1:実際の比企家の系図はもっと複雑で、安達盛長や伊東祐清もかかわってくるのですが……そういえば2話で祐清が比企能員を呼んでいたシーンがありました。なぜ呼べるかというと、やっぱり比企家の婿だったのかもしれません。

*2:父親同士の義時と義村はいとこで、金剛自身も初の父の義村といとこ関係にあります

*3:例外はマジでキレた時の政子、しかもかなり時間が経ってからでないと謝らない