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2022年大河ドラマ感想■30回

うわ~~~~~恐ろしい怪物が生まれる瞬間を目の当たりにしてしまった……。どうしよう……。ということばしかなく三十回の感想に進みたいと思います。

 

■「悪い根を断ち切る。この私が」

そう言っておきながらオチがアレなのはまだ義時のしっかりしておらず、可愛いところなんですが、ここで義時は「北条義時」としてかなり完成度を上げてきたなと思いました。……製作陣が描きたい「北条義時」の人物像が見えてきたような気がします。

私は、真面目でおっとりしていて誠実だった小四郎が鎌倉の荒波に揉まれて、高笑いしながら人を挑発するドーパミンダバダバの狂人のような人物になるかと予測していたのですが、なるほど。
真面目で誠実だからこそ、「自分を神のごとき裁定者にしてしまう独裁者」となっていくのかと。

最終形態は、おそらく、兄を殺せとまで弟に命じた、渡辺謙さん演じた北条時頼のような人物になっていくことでしょう。あの北条時頼は対峙した相手(時宗)が演技初心者であったから、やや「時頼の内面の狂気」がなかなか見えづらい不発の傾向がありましたが、今回対峙するであろう北条泰時の中の人はエランドール賞新人賞を受賞した坂口健太郎くん。撮影時期が重なっているかはわかりませんが、『ヘルドックス』でかなり鍛えられているとのことですから、義時と泰時のぶつかり合いにも期待が持てそうです。
義時の「正しいが故の狂気」を泰時が引き出してくれるといいです。

そもそも製作陣は今の義時を正しいとは一切描いていないのですよね。むしろ義時が「私にお任せを」といって動くと人が死ぬ。今回もそうでしたけど。
逆に泰時は、未熟極まりないけれども、一切人死を出さずに物事を丸く収めてしまうタイプ。鎌倉殿にこってり怒られましたけど。

それは義時が「自分の長所」だと思っている人同士の折衝や交渉ごとよりも、策謀=パワーバランスゲームに長け、なんとかして誰かを救うという思いよりも「鎌倉幕府の維持」が一番にあるからだと私は推察しています。

義経を鮮やかな手腕で蹴落としたその凄まじさは天才的だったのに、その能力を厭うて他人同士の言い分を丸く収めようとしてしまうんですよね。でももともと義時はかなりアグレッシブなタイプだから、他人同士の言い分をいい感じでうまくまとめることができない。だから人が死ぬし頼家はおかしくなるんだと全成の死を見ていて思いました。

■義時のやり方、ソレスタルビーイング

悪い根を断ち切る。この私が」。もうこの言葉だけでこの物語の北条義時の解像度が爆上がりして嬉しいのですが。

義時はかならず、誰の言い分を聞かないで「争いを起こすな」と立ち回ってしまうのですよね。
今回も、比企家に赴いて比企の言い分を聞くことはなく、時政の言い分も聞かず、また全成の言い分を聞くことはなく。身近にいる義村・重忠・義盛と徒党を組んで比企能員の凶行を止めさせようとする。
一歩引いてみれば、義時が全成の窮地を利用して比企との戦にそなえているかのようなのです。

それこそが、義時の矛盾に感じました。裁定者向きではないのですよ。

ガンダム00という作品がありますが、武力でもって武力を根絶することを理想として掲げたソレスタルビーイングという組織に近いものを義時から感じました。
「そこに戦いがあるな!?破砕する!!」という。ないしは新世界の神。

二十九話の泰時と比べればその差は歴然としています。ここの泰時は実母の八重と話し方が似てて面白かった。

「農民たちには、これこれこのときまでにコメを返すって約束で、コメを貸してるんです」
「たしかに、コメを返さないのは良くない」
「返したくても、返すコメなんて一つも残っちゃいないんです」
「しかし、この通り証文もある。約束したからには、なにがあろうと守らねばならぬ」
「だから、むりなんでごぜえます」
「……どうする」
「約束を、なかったことにしたら」
「そんなことは許されるのか?」
「さあ」
(泰時、証文をベリベリ破る)
「コメを貸したことは忘れて良い。この者たちが、他の土地に逃げるようなことがあってはならない。代わりに、鎌倉からコメを届けさせよう」
「ありがとうございます」
「そして、お前たちにも一人につきコメ一斗!」
「ありがとうございます!ありがとうございます!!」

とくに、代官たちに向かって「コメを貸したことは忘れて良い。この者たちが、他の土地に逃げるようなことがあってはならない。代わりに、鎌倉からコメを届けさせよう」といったところに泰時の物事の収め方のうまさを感じました。
泰時からすれば、証文を破ったことでメンツを潰した代官に非常に丁寧に利点を説明しています。
・これ以上農民たちが支払いを遅延することはない
・それよりも農民たちが逃げ、北条家領全体の生産性が低くなることが問題である(いずれまた農民はコメを作り出します)
・代わりにと言ってはなんだが、鎌倉からコメを届けさせる(おそらく代官たちが農民に貸したコメの補填ではなく、お詫びでしょう)
これで代官は農民をいじめることがなくなります。また、農民に対しても。

「お前たちにも一人につきコメ一斗!」

コメ一斗というのは100合、一人が一日3合食べると考えて、一ヶ月29日(太陰暦なので)で計算すると、一ヶ月ちょっとしか持たない計算になります。
しかし、これを食糧ではなく、来年の種もみとして使用するとなると、莫大な利益を生み出すことができます。当時、コメは食糧としては高級品で、稗とか粟とか麦とかをコメに混ぜるのが普通でしたから、泰時もそれを想定していたでしょう。
領主である北条家(※彼らが代官を使って農民に金を貸しています)は大出血サービスをしたわけですから、代官も農民も文句は言えません。そして、代官と農民は来年にはウィン・ウィンの関係になるのです。
泰時は何故かこういうことができてしまうんですよね。これは「すんごいお姫様気質で高飛車だが、弱者には寄り添う」母親と「物事を平和裡に解決することはないが、話はよく聞く」父親の長所を受けついだのでしょうね。

裁定とはまさにこうあるべきで、様々な立場・様々な価値観の人間がぶつかり合うところで、お互いの言い分を真摯に受け止め、双方の利益・妥協点を探っていくことなのですよね。

でも、義時は泰時ではありません。上記のようなパフォーマンスはできません。

だからこそ取り返しがつかなくなった時に、比企能員の本音を知ることになります。

「仮の話として聞け。頼家様にとって、わしは乳母に過ぎぬ。しかし、一幡様が跡を継げば、わしは鎌倉殿の外戚、朝廷とも直に渡り合える!京へ上って向こうで暮らし、武士の頂に立つ! ……そんなことを夢見たわしを、愚かとおもわれるかな」

これは北条も考えていることです。りくは「京へ上って向こうで暮らし」たい。「武士の頂に立つ」というのは、宗時から義時への遺言でもありました。

しかし、そこに義時は同情など一切なく。

「ようやくわかったのです。自分がなにをなすべきか。鎌倉殿のもとで、悪い根を断ち切る。この私が」

北条家と同じ野望を持つ存在を「自分の判断により」、「鎌倉殿の下で」「正義」という刃を使って族滅する。

うわ~~~~~~~~~~~~。うわ~~~~~~~~~~~~~~。

恐ろしい怪物が生まれる瞬間を目の当たりにしてしまった……。どうしよう……。

■妹の涙

義時が「覚悟を決めた」「闇落ちした」「怪物化した」きっかけが、ごく個人的なことだったのが「うわああああ」と悲鳴を上げかけました。

「やってくれましたね。最後の最後に」

実衣ちゃん。妹。

推しが……最愛の人をあんなかたちで奪われて本当に辛かった。

でも、さらに私にとって衝撃的だったのが、義時の態度です。

「小四郎!こんなことがいつまで続くのです」
「私に言わないでください」
「なんとかなさい!」
「一体なにができるというのですか!?」

あっ、義時って妹にもシスコンなんだ(気づき)

この局面でキレない兄はいないんじゃないかと思うのですが、いつも物腰柔らかく、最愛の姉に向かってはあまり声を荒げたことのない義時が、姉に向かって珍しくも声を荒げているのがポイントです。
しかも、確かに政子のものいいがやや高飛車とは言え、「考えなさい」という言葉で皮肉げに口をちょっと歪めてるのも珍しい。

妹よりはるかに姉を優先させてきたはず。義時の目には姉しか映っていないように実衣にはみえていたはず(個人的にその歪みが、いままでの実衣ちゃんの爆発の通奏低音になっていると思っているのですがね)。

実衣ちゃんが大泣きしたのを見て、もうアラフォーなのに、母親がわりといってもいい大好きな姉に全力で甘えて、八つ当たりをしなければいけないほど精神的に応えているのです。

そこまで妹を愛していたのか。

全成の悲劇は、今まで起きた数多くの悲劇と言い方が悪いですがあまり変わりません。悲惨さで言えば義高の悲劇の方が義高が子供である分、まさります。実際に呪詛をしてしまったのだから(この時期で呪詛といえばとんでもない大罪です)、ただ態度が悪かった()だけの上総殿と比べても十分咎はあります。現在進行形の頼家の悲劇の方が、えぐいものがあります。

けれど十五話以降、全てを見て飲み込んできた義時が、感情を爆発させるのは妹の涙であったと。

限りなく理性的でありながら、根は感情的。

「鎌倉殿のもとで、悪い根を断ち切る」と言い放ちながらもその根本は矛盾に満ちています。

■トキューサ爆誕

「鎌倉殿より時房という名前をいただきました」
「トキューサ!?」

鎌倉幕府初代連署として有名な北条時房爆誕です。この物語が時房の誕生から始まっていることを思うと、名前を変えたその回に主人公の義時が「新世界の神」になっちゃう的な発言をすることも含めて、この回は節目の回なのだなと思います。

ただこのシーン。なかなかに深いシーンでした。
りくさんは継子である時房を可愛がっているようです。
時房はりくさんが嫁いだとき赤ん坊でしたから、彼女は主体的に時房の面倒を見たと考えられます。時房も、母がお産直後になくなり、自分を育てたであろうりくさんを実母だと思い込んでいた時期があったかもしれません。
りくさんが北条の子供たちに情がないわけではなく、奔放とはいえ「母親」なのが厄介なのですよね。
時房の名前に「トキューサ!?」と驚いたり。政子と実衣の対立をいまいちよくわかっていない義時に、「頼朝様が亡くなって、やや疎遠になってるみたいよ」とフォローを入れたり。
もしりくさんが自分が生んだ子供にしか興味がないのであれば、時房と義時の全てに無反応なはず。愛情があることの逆は無関心ですから。

たぶん、りくさんにとって、義時・政子・実衣・時房たち自分が生んだ子ではない子達にも愛情があることで、かなりこれからの展開が、物語として深いものになっていくと思います。

「連の字は三浦からもらったんだが、連ってなんだよ」

時房の前名である時連は、三浦義澄の弟の佐原義連から付与されています。佐原義連一ノ谷の戦いで武名を挙げた勇者でした。
つまり、時政は親友の弟からもらった名前が気に入らなかったという……。
本当に本作の時政らしいなあ、と爆笑しましたが、そこで「うるさいぞ四郎」と一緒に笑ってくれただろうフランクな大豪族当主・三浦義澄はこの世にいなくなりました。いまの当主は余人には近寄りがたい、三浦家としての格を意識している三浦義村。盗聴器をつけられていたらたぶん時政は「三浦家をバカにしないでいただきたい」と義村に串刺しにされていたことでしょう。

変わらないからこその父上の罪。
この「変わらないからこそ」の失言が悲劇を起こさないことを願うのみです。

時房、大物感がちょっとずつ出てきています。先週は義時と泰時が落ち込んだり怒ったりしていたせいで改名がいかに屈辱的かというのを散々見せつけられた後に、あっけらかんと改名を許容してしまうエピソードもですけど。

仁田忠常が仁王立ちになって「来るなら来い!」と頼家の近習を押しとどめるシーン、視線的に仁田殿に恐怖を覚えていたのではなく、仁田殿の後ろに隠れて「来い!」と遠吠えしていた甥・泰時のヘタレっぷりに呆れていたようにも見えるんですよね。

うーん、長く感想を書きましたが、癒しであり純愛であった全成と実衣が消えてしまって、とてもつらい。