2022年度大河ドラマ 第16回 感想メモ
先日の記事にも感想を賜るなど、とても素敵な出来事が続いているので、今回も感想メモ書きを公開してみようと思います。
メモですので、興味のあることだけ、内容は雑多です。
オタクが発狂している文ですのでしまっています。
■父上、笑って!
「新選組!」「真田丸」にしろ主人公を幼少期から一切書かない三谷大河ですが、「鎌倉殿」はとても不思議です。
1175年という鎌倉幕府初代連署・北条時房の生年から物語が始まり、1183年という鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の誕生で物語の色調が大きく変わるからです。主人公は幼少期をかかれないけれど、後半の主役級の人物になるだろう二人は赤ちゃんのうちから物語に登場しています。ちなみに鎌倉幕府は北条泰時と北条時房が執権・連署に就任したことで完成・安定化したと言っても過言ではありません。まるで鎌倉幕府の成長が時房と泰時に重ねられているようです。
3話の冒頭で小さい時房が姉たちと遊んでいるのが可愛いです。
義時の赤ちゃんに名前が付けられました。金剛。北条泰時は何故か強い幼名を持っているのです。
「金剛、とは仏法の守り神。源氏を支えるべくして生まれたものにふさわしい名じゃ」
金剛、とは金剛力士を意味しています。仏敵から仏法と仏教とを守護する役割を果たしています。頼朝の仏教への傾倒ぶりと義時とその赤ちゃんへの期待がうかがえます。
そして、泰時が「金剛」という名を改めたとき、金剛・義時親子が「源氏を支えることはなくなる」可能性も少し感じました。金剛の元服は1194年。そのとき何がおきているのか楽しみです。
これはあるお方から教えていただいた余談ですが、金剛力士は別名を「伐折羅(ばさら)大将」といい、十二神将の一体として薬師如来を守護しているのだそうです。薬師如来は北条義時の帰依する仏でした。一方で、この伐折羅大将は勢至菩薩を本地仏*1としているそうで、この勢至菩薩は阿弥陀如来に仕えています。阿弥陀如来は源氏の守護神である八幡大菩薩の本地仏なのだとか。
つまるところ「金剛」は源氏の守護神の使いでもありながら、義時の守護神の使いでもある、という超意味深な話なのですが、そこまで製作陣が考えていたかどうかわかりません。
最愛の人との子の名を主君につけてもらったというのに、全くもって義時は嬉しそうな顔をしません。
これは自分の尊敬する人を、自分が見殺しにしたその直後に生まれた、自分の血を分けた子供の名を、すべての黒幕である頼朝に付けられるという拷問でもあります。上総介を見殺しにした報いがすぐに義時に襲いかかったのです。
もしもまだ義時の耳に金剛の泣き声が「武衛」と聞こえていたなら、これほど狂いたくなることもないでしょう。
よくよくみると金剛を見るときの義時は笑っていません。八重さんに笑いかけているだけで、金剛その子にはあまり笑っていないのです。これは後でメモしますが、娘・初を連れてきたときの三浦義村と比べるとよくわかります。義村は終始懐に抱いた初の顔を覗き込んでいますが、義時はおそらく自分の罪過の証と思っている金剛をあまり見ようとしません。
金剛はおしゃべりな赤ちゃんのようで、父と母の会話に参加するように喃語をしゃべっています。
「金剛が大人になる頃には、安寧な世になっているのだろうか」
「うくっ」
「小四郎殿にかかっております。私はそう思います」
「いささか、自信がないが」
まだ義時が「自分がなんとかしなければ」という意識ではなく、やや「他人事」なのが気になります。この人はどこまで苦労しなければいけないんだろう。
一方で八重さんは、幼馴染であったこともあり、なおかつ頼朝の妻であったことでもあって、義時にちくりと優しい針を刺しています。あなたが何かしなければ何も変わらないのだと。
そこで「自信がない」と甘えてしまえるのが年下夫らしいところでもあり、「いささか」とつけるのが実のところ「金剛が安寧に暮らせる世を作りたい」と野望を抱いたことへの裏返しにも見えます。
■八幡大菩薩の化身
義経が巻き起こす疾風で15回の陰鬱さを吹き飛ばしています。15回は重い映画を見ているかのような後味の悪さだったけれど、16回はまるで「ガンダムシリーズ」でも見ているかのような印象。15回の後を安易に笑いで消すわけにはいかないが、この後味の悪さを消さなければならない、となったときに、義経の「戦争の天才」ぶりは良い効果を発揮しています。
大規模な軍勢同士の衝突はありません。この宇治川の戦いも軍議がメインで、義経の勝利が確信できるシーンで終わっています。
非情なエゴイズムであることを承知していますが、現在進行形で戦争の悲惨さを見ているので、実際の戦闘が起きて人が惨たらしく死ぬ様子を必要なシーン以外ではみたくはない、というのが本音ではあり、今回のほとんど軍議で終わらす戦争の描き方は個人的にありがたいものでした。
「何故あの男にだけ思いつくことができるのか」
天才に嫉妬する秀才、映画「アマデウス」のサリエリのようなものを一瞬感じましたが、一歩引いて考えてみるとちょっと違うのではないかと思いました。
「八幡大菩薩の化身じゃ」
景時には何にも代えがたい神がいます。頼朝です。本来ならば頼朝が源氏の守護神である八幡大菩薩の化身でなければいけないはずです。しかし、義経に「八幡大菩薩」を見てしまった。
確かに頼朝も政治的才能が神がかっていますが、大江広元や義時とは少し違い、軍事に重きをおく感のある景時には義経が深層心理の中で源氏の棟梁にふさわしいと一瞬思ってしまったのではないでしょうか。
この頼朝へのある種の裏切りのような思いを消すために景時は今後、義経を貶めなければいけないと覚悟するのではないかと思いました。八幡大菩薩は二人いてはならないのです。少なくとも清廉な景時の中では。
■嫡男ズ動静
*義時
主人公がみごとにキャラ変しました。
これだけ1話で変わる主人公も珍しいと思いますが、それだけ15話がショッキングだったということでしょう。まるでもふもふとした小さな狐のように愛らしかった義時は鳴りを潜め、憂いをたたえた端正な青年へと変わっています。衣装も鮮やかな緑色で非常に美しいです。予告で政子と並ぶシーンがありましたが、まさに美の空間でした。
ブラームスの交響曲第三番第三楽章が常に背後に流れてそうな感じになってて、正直なところ「誰?この小栗旬みたいな美形の武士……」「北条だれ時?」と思ったのは内緒です。
どうやら畠山重忠と並んでいたら御所の女房に秋波を送られる程度には美貌になっているようです。
女房からすると大本命が重忠、押さえが義時だったのでしょう……。かわいそうに女房たち。釣り上げたのが義盛だったなんて……。
問題は相変わらずのかわいそうな状態であるということ。全成でも文覚でもないまともな坊主を呼んで話を聞いてもらったほうがいいかもしれません。
特に、今回都入りした際に、荒れ果てた街に痛ましさを覚えるというシーンなのでしょうけど、なんどもリフレインする赤子の泣き声を聞いて吐きそうなほど顔を青ざめさせているのには可哀想としかいえませんでした。先週の末尾で実子の奇妙な泣き声を聞いて以降、この人は赤子の泣き声がトラウマになっていると示唆されたような描写でした。
*義村
おしゃべり金剛、「武衛」としゃべった次は、義村が家の門前に立つと「平六」と言いました(言ったように聞こえます)。たぶん。
義村の発言から推察するに義村は義時の屋敷に時折遊びにきており、父親が「平六」と言っていたのをちょっと真似した可能性が……、赤ちゃんの言語発達は、周囲の大人のモノマネをして発達する説もありますからね! そうやって解釈するとちょっと可愛いという色眼鏡でみるのはさておき。
今回の不可思議マンは義村でした。さすが難解な性格の藤原定家をして「不可思議の者」と言わしめただけあります。
何故娘を三浦の家で育てないのか、ということが大きな疑問です。嫡子に側女から娘が生まれて家の内部で処理できないのでしょうか。
義村は、
①自らの足で、
②おそらく金剛より月齢の低い子(一ノ谷の戦いは寿永3年2月ですから、寿永2年12月生まれの金剛は3ヶ月くらいとなります)を、
③信頼の置ける人間に(八重さんに預けたということは義時の扶養下に入ることになります)
④急いで、
預けました。「後詰」と言っている通り、義村が平家追討軍に参加したことが確認されているのはこの年の夏頃のようです。まだ季節は冬、初春ですから、歴史通りに物語が進めば、実は急いで出立する必要はないんです。実際次回は壇ノ浦ではなく鎌倉が舞台ですし。
三浦家に娘の面倒を見る人間が誰もいなくなってしまうからという理由で、義時と八重さんに娘を預けるのであったなら、もう少し先のはずです。
さて、ここからは非常に憶測に憶測を重ねた話となりますのでお聞き流しを。
三浦義村の妻には、土肥実平の孫娘のほかにも、一条忠頼の娘がいたと伝わっています。一条忠頼が誰かというと、メガネがないのにメガネがあるように見える八嶋智人さんこと武田信義の嫡子にあたります。
そう思って次回の予告を見ると、武田信義が出てくるようです。
でもってこの一条忠頼はもうすぐわけあって死んでしまいます。その死に方は、おそらく15回の上総介広常粛清のモデルになったのではないかと勝手に考えています。
そう考えると、初の母親は土肥実平の孫娘ではなく一条忠頼の娘であると見るのもありかもしれません。義村が何かの縁がきっかけで一条忠頼の娘と通じてしまったのかも。
一旦14~5話で謀反の頭目に祭り上げられた三浦家としては、神経が張り詰めているでしょう。終始一貫して鎌倉殿側で、謀反を押さえさえした北条家があれほど張り詰めているのですから、三浦家中の雰囲気がわかりそうなものです。
そんな潜在的な政敵の血を引く子など育てられないという話になり、父として「鎌倉殿の身内」であり「自分の親友」で、「子供がいる」安全圏に隠したともいえなくありません。
「この子の母親とは訳ありでな」
「うっすら聞いています」
「可哀想に肥立ちが悪く、この子を産んですぐ死んじまった」
初の母親が「訳あり」なのではなく、義村と彼女の関係が「訳あり」だった模様。
もし一条忠頼の娘のことを言っているのであれば、これから父に降りかかる悲劇を目撃しなくてよかったのかもしれませんが……。
義村は初に終始ずっと穏やかな表情で、手放す時の顔は思いつめているような感さえあります。
そういう「政敵の娘との純愛」系はどこからどう見ても生真面目な重忠とか義時の方が似合うと思ったのですが、本当に真面目だったら重忠みたいに友達の妹を妻に迎えようと思ったり、義時のように最初から一人の女性しか見ていない感じになるでしょう。
一方では鷹揚で適当だけれど、一方では恐ろしく端正で真面目、そんな義村だからこそ出来る芸当なのでは……
と思ったところで一条忠頼を演じる前原滉さんを拝見しましたが、とても若そうなので、その娘だったら幼児だなと思いました。却下。
ふっつーにそんじょそこらの町娘か三浦家の侍女と遊んでできた子を親父に言えずに親友の家に預けたに一票。
史実の上では武田信義はもう60くらいのじいちゃんで、当時の60くらいのじいちゃんだと息子は40くらいですから、その娘が当時十代後半である義村と密かなる関係を結んでしまうというのはありえなくはないんですがね。
でもやっぱ却下。これ以上深くは初の事情は描かれなさそうだし。
*重忠
「敵は、橋を壊し始めました」
「予想済みだ。——畠山」
「はい」
16回の中で一番好きなシーンです。義時の情報を受け、義経が畠山重忠にすぐ指示を出す。短く端正。非常に冷静で清涼感溢れる軍議でした。
畠山重忠と源義経が出会ってしまいました。
十代後半で祖父を討ち亡ぼす戦闘狂と戦神が邂逅してしまったのです。重忠にとっても義経にとっても運命だったと思います。
重忠が上品だったのは、義経のような破壊的な素質を持っていたのを、有力豪族のお坊ちゃまとして周囲に厳しく躾けられてきたからではないかなと感じました。彼と義経は本質的に同じ人間に見えます。戦争が、軍略が、戦術が、大好き。戦場を見ると心が燃え上がってしまう。だから義経と気が合う。
三浦義明おじいちゃんはこんな男に殺されてしまったのかと思うと、……とんでもない孫をお持ちになられましたな……*2。ポジティブ宗時にごんぎつね義時、天然義村、おしゃべり金剛とぽわぽわした孫ばかりの伊東祐親おじいちゃまとはおおちがいですな。
さて、凄まじい性能を誇るガンダムに、天才的な素質を持つパイロットが搭乗してしまったのですから、一ノ谷の戦いは大勝利を収めました。
しかし、このような戦闘狂は平和な世が来たら……とも思ってしまいます。
あと、重秀はいなかったことになりそうです。まだ重忠は本作では独身の模様。義時にすすめられて、その妹をめとろうと考えています。
「このいくさが落ち着いたら、私も嫁探しをしようかな」
「うちの妹はどうだ?まだ二人残っている」
「悪くないですね」
1話や3話、6話などで登場していた桃色の服と白い服の小さい女の子二人だと思いますが、りくさんが妹を生んだことに関して義時は頭にないのか、幼児以外の、どこかへやれそうな妹はまだ二人残っているということなのかわかりません。
ただ、物語開始は1175年、義時の弟・北条時房が生まれた年です。ちゃんと1話や3話、6話などで時房も幼児として登場しているのですが、時房や大姫と遊んでいたあの桃色の服の子と白い服の子は現在、1184年で時房9歳くらいだとするとその数歳上と考えられるのでいって14歳とか13歳だと思うと……
義時、妹の年齢を友人にしっかり説明してあげてください。
るんるんでお見合い会場に行ったら、義時に連れられて来た小さい少女二人に「ええええ!?」「こんなに小さいんですか!?」となること請け合いです。
これは悲しいお話ですが、畠山重忠の正室はたしかに桃色の服の子か白い服の子、つまり北条義時の妹なのですが、なかなか悲惨な運命を辿ってしまうのですよね。
個人的な所感ですが、「まだ二人残っている」というところに、義時の妹は実衣ちゃんと桃色の服と白い服の小さい女の子以外にも物語世界には存在するのではないかと思いました。確かに足利家に嫁いだ北条時子は出て来ていません。でも物語世界のどこかにはいるのでしょう。
少し今回は多忙なこともあって前回ほど深く考えたりはできなかったので、悔しいのですけど、この辺で。