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読んだ本や思ったことの記録

2022年度大河ドラマ 第14回 感想メモ

前の記事がご好評いただいたようでとっても嬉しいです。調子に乗って14話の感想もメモしていきます。

相変わらずメモですので内容が雑多です。追記にしまってあります。

オタクが発狂しているというだけの文です。

■正義という欠点

木曽義仲が平家討伐に出陣しました。義仲は現実主義者として描かれている頼朝とは真逆の、好感の持てる理想主義者として描写されています。

「これは正義の戦である!」

ですが、実のところ、ここに戦慄してしまった私がいます。自分と自分の行為を「正義」と信じて疑わない人なのだと。

人間としての大きな弱点を隠そうともしないけれども、現実主義者であるゆえに全てを飲み込む頼朝との違いがこの一言に現れていたように思います。

確かに義仲はこの作品において「良いこと」しかしていないけれども、逆に「良いこと」をしていると信じているゆえに、「自分の行為を一旦止まって振り返ってみることがない」という性格に描写されているように感じました。

さらに、義仲はカリスマ性を持ち合わせているために、その行動を強く諌める人間が今井兼平くらいしかいません。

「褒美なんぞは、頼朝にくれてやるわ」
「それでは、家人どもがおさまりません。……命がけでここまでやってきたのですぞ!!」

ここは「真田丸」の上杉景勝直江兼続を思い出しました。しかし、景勝には兼続がいるのみならず、自分自身が「理想主義者である反面、現実を突きつけられすぎてその齟齬に見える自分の弱さと葛藤している」ので野望を抱くことなく、常に自分を疑い、越後・会津という自分のテリトリーから出ることはめったにありません。一方で義仲は自分を信じきっており、とうとう信濃から出てしまいました。

そして、京都でも自分を曲げることができずに都人からは「無知」「粗暴」と見られても仕方のない行動をとってしまいます。「三種の神器を知らない」「牛車の降り方を知らない」という自分に事前に気がつき、訂正することができない。
これは痛かったです。行家がひどい云々もありますが、行家以外にも都人とのつながりを作っておかなかった。

そしてとうとう攻めのぼるうちに膨れ上がった軍勢を制御できなくなってしまいます。これは、京都を荒らすのみならず、統制の取れない軍隊が強いわけはありません。そのせいで、落ち目と言って差し支えない平家に負けてしまいます。

一方で、自分を正しいとは決して思っていないだろう頼朝は「謙虚」にも、自分の欠点を補う人を求めています。それが二十になるかならないかのまだ稚い義弟であったとしても。その上で、相手に何をすべきか必死に考えて、後白河法皇の心を巧みに掴んでいきます。

頼朝はとんでもなくわがままで人間的欠点の多いキャラですが、彼の最大の長所は「自分が無知・無力であることを知っている」ところだなあ、と義仲を見ていて感じました。

むしろ、その頼朝をして上総介広常をどうにかしなければいけなかった、ということ自体が重いなと、15話の感想を書いた今となっては思います。

 

■三浦家~~

千葉家を中心とする反頼朝派に三浦家が担ぎ上げられてしまいました。これはドラマ上で上総介広常を巻き込んだ「架空の謀反」を作るにあたり、広常粛清後の領土が三浦と千葉に分配されていることから逆算したのではなかろうか、と思われます。領土を近しくする三浦と千葉の不満をなだめるために広常の領土が分配されたのでしょう。

北条家を除けばもともと親頼朝派のトップに近い三浦と千葉が頼朝に謀反を起こした可能性は史料上・歴史上では限りなく低く、「本能寺の変●●黒幕説」みたいな感じで、ちょっと考えられないことです。しかし、創作として面白いうえに、吾妻鏡のここら辺の記事は欠落していて、「何か広常の死に関連して様々な動きがあったのではないか」といわれているので、意外性が強くて良いかな~、と思っています。

さて、三浦義澄が穏やかでフランクなキャラなので全然そんな感じはしませんが、三浦家はいまの神奈川県の三浦半島を中心とする大豪族で、「爺様」と呼ばれて慕われ・恐れられていた伊東祐親が統率する伊東家以上のお家でした。

以前拝読した細川重男先生の「執権 北条氏と鎌倉幕府」では北条家、北条時政は近所でなおかつ妻の実家でもある伊東家に飲み込まれないように嫡男の宗時と次男の義時の烏帽子親役を伊東家には願わなかったようです。

同書によれば義時の烏帽子親は三浦義澄であり、次男を通じて三浦家と協調体制を図ったとしています。義時の「義」は義澄の「義」なのだそうです*1

烏帽子親は烏帽子子を庇護するものとされ、逆に烏帽子子のほうでも烏帽子親に義理を通します。たしかにドラマの中でも義時は義澄を「おじ上」と呼んで慕っていますし、義澄の息子の義村とは親友です。

もし義澄が義時の烏帽子親であったらと考えると、次の義澄のセリフが深い。

北条も討つつもりか」
北条は助けてやってくれ」

このとき、鎌倉に残っている北条家の成人男子(討たれる可能性のある人)は義時一人です。つまるところ、義澄は烏帽子子を守る慣習があったために謀反に加担したのかもしれません。

聡いのでこの謀反はうまくいかないだろうと察しているが、義時(烏帽子子)を見捨てられない父の心情が痛いほどわかる三浦義村としてはこう言うしかないですよね。

「父上のお好きなように」

 

これは余談ですが、考証の坂井先生の論文によれば、相模を本拠地とする三浦家はもともと武蔵が本拠地である畠山家と結んでいたのだそうです。義村の祖父である三浦義明は、自身が畠山家の本家である秩父家から妻を迎えたのみならず、保元の乱の政治情勢を鑑みて娘を畠山家に嫁がせます。三浦家は畠山家の軍事力を期待し、畠山家も三浦をバックに武蔵での軍事・政治的優位を確立する予定でした。
その同盟関係の証拠として生まれたのが三浦義澄の姉妹を母とする*2畠山重忠だったと言えます。

ところが、平治の乱が勃発し、平家の全国での優位が確立すると、三浦は畠山ではなく、平家とつながりの深い伊東に目を向けます。伊東祐親の娘と三浦義澄の婚姻が成立し、伊東と三浦の同盟の証として生まれたのが三浦義村でした。

つまり、重忠と義村はその生まれ自体からして「政敵」に近い非常に緊張感の漂う関係だったと解釈できるかもしれません。そういえば二人は親しそうではありますがあまり二人っきりで行動していません。

その緊張感の末に衣笠城の戦いが起こり、重忠は実の祖父とされる存在を殺しました。

そう考えると、8話で酒を飲む義村が酒を飲む重忠の隣にさりげなく座ったのは、立場的にとても深い意味があるし、そもそもこの世界は義村や重忠にとってはあまりに残酷で、義時だけが、ぼんやりしているようにみえてやり手の父の袖の中で守られていたため「平和」に見えていたように感じます。

義時は、伊東と三浦に挟まれて賢くしたたかに生き残っていく自分の家を平凡だと盛大に勘違いしていたのかもしれません。

この話に則ると、1話の爆笑シーンで義時が重忠や義盛相手にまだ幼稚で子供らしい言動をしていたのがわかります。

何がそんなに不満なんですか?
「何を言ってるんだこいつは」
「小四郎殿は平家の世がずっと続いてもいいというのですか?」
だってけっこう、穏やかに過ごせているではないですか

重忠(畠山家)や義盛(三浦家)の家の事情を知ると「どうかな」と思う義時の言葉です。なので祖父義明の苦労を知っている義盛からすると「何を言ってるんだこいつは」になるのですよね。

知ってる奴で、平家とつながりのある奴は、だいたい嫌な奴だぞ
「それはたまたまその人が嫌な人なだけで」

この義盛の言葉は義時自身の祖父・伊東祐親のことを義盛は言ってるのではないでしょうか。実際、自分の孫である幼児を殺害するなどどんな残酷も厭わない人です。でも義時は、怖くはあれども慕うべき祖父のことを言われているとは思いつきません。

このシーンを「重忠や義盛や宗時が訳のわからないことを言っているぞ」というふうにとらえさせること自体、当時の義時の幼さ(=「自分以外みんなバカ」だと潜在的に思っている)を感じさせるものですね。

1話は義時の13歳(満11~12歳)という年齢設定からしても、子役にやらせれば義時の視野の狭さが伝わったのではと思いますが、おそらく後述する八重さんに関連する理由により本役になったのではと考えます。

■ブラック師弟

結構挙兵で苦労したのと、圧倒的知性の塊である大江広元に出会い、義時はどんどんと大人になってきて視野が広くなっていますが、14話ではまだ「箱入り息子」だった感覚が抜けず、今ひとつお子様です。

「ご心配には及びません。法皇様と義仲はいずれ必ずぶつかります」
「何故わかるのですか?」
「木曽の荒武者と法皇様が、合うわけがございません」

義仲の清廉な人柄を知っている義時は腑に落ちない顔をしていますが、結果はご存知の通りで。

むしろ在京勤務があった父と、都人で外面や見栄えをとても気にする義母を持つのに、義時は京都での義仲が苦労するだろうと思いつかないあたり、やっぱり父や兄、姉に大切に守られて育った「箱入り息子」なのだなあ、と感じます。

さて、義時の師匠である広元は今回、まだお花畑の思考回路の抜けない弟子の教育においても、広常を使ったとしか見えません。
そもそも15話をみるに、広元にとっては広常を粛清しなければ鎌倉幕府(仮)の安寧は無いと思っていました。12話でそうだったように、乳母など様々な栄誉を求め、それが与えられないとなると、乳母になった比企家に対する不満を態度で示します。比企能員がしたたかで、何事もなかったかのように振る舞ったからよかったものの、これではいずれ他の御家人と破綻をきたし、鎌倉幕府(仮)のほころびとなってしまいます。それは避けたい。

でも、広元や頼朝も迷っていたのではないでしょうか。広常が鎌倉幕府(仮)に大きな力となってくれるのか、そうでないのか。特に15回での沈痛そうな振る舞いを見るに、頼朝は。

なので、広元は政治のやり方を教え込んでいる途中の可愛い弟子(?)・義時の教育も兼ねて、広常にある伝言ゲームを仕掛けることにしたのだと思います。

「小四郎殿。上総介殿について、小四郎殿にお願いしたいことがございます」

この伝言ゲームのルールは簡単で、義時→広常→反頼朝派の御家人→広常→義時、と意思の疎通が図れたら広常は粛清対象となります。

というのも、

義時→広常ルートの成功:義時から謀反の話を聞いて、その囮の役目を断るような慎重さはない
広常→反頼朝派の御家人→広常ルートの成功:広常は御家人をまとめることのできる力がある
広常→義時ルートの成功:反頼朝ではない。これは良いことに見えますが、広元にとっては、広常という面倒な存在を煽って「敵」にして処理することはできず、内部で処理するしかなくなったということを示します。

この伝言ゲームは15話で成功してしまった。つまり、広常はその行動によって「謀反を最も起こす可能性のある武士」という素質を自ら示してしまったのです。

義時は何も知らないので素直にメッセンジャー役を務めていますが、広元からするとここから弟子に学んで欲しいことが山ほどあったでしょう。実際、15話では広元の目論見通り、義時は学びすぎて、脳みそのお花畑が焦土と化し、精神がずたずたになってしまいます。
広元は泰時を抱えて呆然としているだろう義時のお見舞いに行ったんでしょうか。そんなことはしないか。広元は一見優しそうに見えてとても厳しい師匠なのです。

■甥にして恋人

八重さんが懐妊しました。お腹にいる子が北条泰時です。『草燃える』では泰時は父が義時か頼朝かわからず、それが物語に大きな影を落としていましたが、今回は確実に義時の子供です。

思えば『草燃える』で性暴力を受けて、心を半ば病んで死んでいった茜さんの悲しみを八重さんは噛んで投げ飛ばすことによって晴らしたのですよね。
13話は八重さんが頼朝を投げ飛ばしたところに泣けました。八重さんは残酷な振る舞いをする元恋人の頼朝に対して未練をようやく断ち切れました。

八重さんに関しては「私の少年」という漫画を思い出します。元恋人の残酷な振る舞いに苦しむアラサーの女性が、ひょんなことから母親を亡くした12歳の少年と出会うというもの。

これは視点を変えてみれば義時と八重そのままではないかとおもったのです。

八重さんは義時と何歳差かはわかりませんが、第一話は1175年であると明言されています。当時、義時13歳。アラフォーの人が演じているのでそうは見えませんが、言動を見ると上記のように十代の少年であることは明白です。

13歳の時に八重の子の千鶴丸は足で立って歩く年齢になっています。と考えると義時と八重さんが同い年・八重さんのが年下ということはあり得ません。少なくとも3年くらいは頼朝と八重さんの関係があったとすると、義時が10歳のころくらいから八重さんと頼朝は「出来ていた」と推測できます。となると、さすがに頼朝とはいえ十代前半の少女とどうこうなるわけはないので、そのとき八重さんは十代後半以上だったのではないでしょうか。

少なくとも16歳、17~18歳くらいが妥当と言えるでしょう。つまり、義時と八重さんは最低6~8歳以上の歳の差があると推測できます。そして、「幼馴染」と言える程度には近い歳の差。

間をとって7歳差だとすると、千鶴丸が殺された時の八重さんは二十代前半だったと考えられます。

さて、1話に戻ると、八重に対して10年前、紫陽花を渡したことを熱っぽく語る義時がいます。なんども言いますが、彼は13歳。

八重さんの気持ちになって考えると、13歳の、亡き姉の忘れ形見である、美しい*3甥が10年も前の自分との思い出をぺらぺらと喋り出したのです。おそらく義時は紫陽花の花を渡したその時3歳。

さて、皆様は13歳の甥にそういうふうに自分への思慕を吐露されて、拒絶しないでいられますでしょうか。

しかも彼は、八重さんにとって亡き姉の忘れ形見なのです。亡くなった姉の代わりに、母親か姉のような気分で愛情を注いできたかもしれません。だから義時を呼び捨てにするし、かつてにっこり微笑んだのでしょう。

時政が八重さんのことを「八重」と呼び捨てにしています。妻の妹として相当親しい仲だったと思わせます。

彼女はおそらく自分の娘か妹のように愛してきた政子に頼朝を奪われ、その結果、自分の弟のように可愛がってきただろう甥の義時と関係を結ぶことになる。

義時視点から見るとマドンナに一途に走るstk気味の可愛らしい恋愛となります。

でも、八重さん視点から見ると元の恋人の残酷な振る舞いに耐えきれずに、彼が3歳のうちから「自分のもの」であり、20歳とようやく大人になった美しい甥との関係に溺れる、そんな話になるのですよね。

そしてその甥は元の恋人の今の妻である政子の最愛の弟でもある。頼朝を政子に渡す代わりに、八重さんは政子のものだった義時を手に入れたのですよね。

ずーっと八重さんは義時に塩対応でしたが、それは「彼は自分のものなのだからどう扱ってもいい」という意識が心の根底にあったからではないかと思います。さらに小さい頃から見てきた少年である彼と関係を結ぶということの心のブレがあったのではないかと。
13話の最後で八重さんが陥落したのは、義時が魅力的な思考を持つ大人になって帰ってきたからではないでしょうか。

……と、もしみたにん先生ではなく、藤本有紀脚本ないしは中園ミホ脚本、山田詠美小説だったら八重さん視点の方を描くでしょう

だいたい、主君の妻である叔母と通じて子供を産ませるという設定がスキャンダラス。

このヤバさをNH●は徹底的に隠すために1話から本役を入れたのだと私は思います。

今回、その甥であるところの恋人(夫)の子を身ごもっている八重さん。もう彼のことを呼び捨てにはしませんし、彼のことを尊重しています。なぜなら大人として認めているから。でも、「様」ではなく「殿」と呼び、なおかつやや穏やかに上から目線で話す。

「坂東武者は総じてへそまがりにございます。けっして都人のいいなりにはならない。なったとしても、心の底で舌を出している。私の父がまさにそうでした」

このときの八重さんの口調が、ゆっくりと穏やかで、まるで女王のようだったのが「八重さんの根っこは相変わらず高飛車姫なのだな」と微笑ましくなりました。

そもそも義時は初恋でスキャンダラスな恋愛をするタイプなのだから、いまは脳みそお花畑状態ですが、本来は白か黒かで言ったら黒、ダウナーなタイプなのでしょう。恋愛でもすでに未来のダウナーさが見えているような気がします。

 

soka.repo.nii.ac.jp

 

*1:同書によれば宗時の烏帽子親はもとどりを切られた牧宗親だそうです(ドラマと若干矛盾をきたす説ですが、ドラマは義時はまだしも宗時の烏帽子親について牧宗親説を採用してないのでしょう)。もちろん公家の方が武士の三浦氏より身分が高いのでそういうことです。

*2:異説もあります

*3:政子に「あんたなんて顔だけよ!」と罵られていますので演者にふさわしく美形の設定なのでしょう