2022年度大河ドラマ 第15回 感想メモ
ずーっと感想を書くのは避けて来たのですが(見返すごとに気づきが多すぎて)、今回情緒が耐えられなくなって書くことにしました。メモですので内容は雑多です。
オタクが発狂している気の狂った文があるので追記にしまってあります。
■この世界の理
第15回は「この世界の残酷な理」が作られた回だったかなあ、と思います。
所領を欲しがる御家人を一致団結させるために「大幅な領地を持つ有力者が滅ぼされ、その領地は功績に応じて他の御家人に分配される」というシステム。このシステムでは、一番働いたものは所領を多くゲットできます。しかし、所領を持ちすぎると、族滅の末領土解体という悲惨な結末が待っています。
このシステムの守護者が源頼朝なのだ、と明確に表示されました。
「謀反人、上総介広常は成敗した。残党を討ち、その所領は一同にわけあたえよう。西にはさらに多くの所領がある。義仲を討ち、平家を討ち、己の力で我がものにせよ」
さて、この「謀反人」「罪人」「敵」の領土解体の末に御家人たちがその領土を山分けにできるという謎システムを歴史用語で「闕所」「闕所処分権」と言います。鎌倉殿や室町殿(将軍)などの意向を受け、勝者が「謀反人」「罪人」「敵」の領地を没収し、好きにできるというシステム……だったはずです(理解が及んでなかったらすみません……)。
ちなみに今回生まれた北条泰時と並ぶ、日本屈指の名宰相・室町時代の管領細川頼之は、若い頃に主君である足利尊氏に「闕所処分権」を与えられず、キレて戦に出陣せずに家に帰ろうとしています。理知的な性格だったとされる頼之ですが、そのくらい「闕所処分権」が当時の武家にとって重要だったと言えるでしょう。
この大河ドラマでは「闕所」を、御家人たちの原動力の一つとして描き、今後の泥沼の争いの理由としています。
そしてこのシステムの発案者は、本作では、北条時政の助言を受けた北条義時でした。
「考えがあります。平家を倒した暁には、その所領を御家人たちに分配すると約束なさるのです。みな、我先にと戦に向かうはず」
御家人たちは所領を欲しがっているのです、と。
北条時政・義時をこの「システム」の発案者に持ってくる描写に脱帽しました。二人はこの「システム」を縦横無尽に利用してこの仁義も道理もない世界を生き延びていくからです。このシステムのルールブック=「御成敗式目」を作成したのが今回生まれた北条泰時でした。
「発案者」であるならばこのシステムを全て知悉しなければなりません。ルールブックも作るでしょう。
しかし、神ならぬ人が作ったシステムには必ず「副作用」が存在します。
義時は自分が良かれと思って提案したシステムの激烈な「副作用」を、目の前でまざまざと見せられてしまいました。しかも提案した直後に。……残酷すぎる。
■北条泰時
この物語の真の主人公というべき北条泰時が生誕しました。義時の長男。第三代執権で、日本史に偉大な功績を残した稀代の名執権です。
みたにん先生が言うには「後半の実質的な主人公」、前半は「泰時の父の物語であったと言ってもいい」とのことなので、泰時の誕生であるこの15回こそが真の物語の始まりと言えます。物語の始まる前に、15話かけて物語のシステムを構築していく。まさに「大河」ドラマと言えるでしょう。
私見ですが、主人公の地位を息子に奪われる予定の北条義時は頼朝に代わる、新たなるラスボスとなっていくのかもしれません。クレジットのトップが泰時に、トメが義時になる可能性も考えておきます。
さて、本作では北条泰時は「義時の最愛の息子」とされています。
これが不穏で不穏でたまりません。
『吾妻鏡』などでは、義時の最愛の息子(「相州鍾愛の若公(=義時が溺愛していた息子)」)は、歳を取ってできた子供である北条政村とされており、この政村と泰時の間に家督を巡って「伊賀氏の変」という騒動がおきています。
泰時はこれに対して非常に冷静に対処し、まだ幼い政村に累が及ばないよう配慮したことから、政村は兄に対して忠誠を尽くします*1。
また、泰時は実父である義時よりも伯母の政子を慕っていたという話もあります。
さらに、北条泰時自身の言葉が残っています。『明恵上人伝記』という泰時の帰依した僧・明恵の伝記によれば、泰時は「よくよく父義時の心中を思えば、自分より以上に弟たちを可愛がられたのであるから」と言っています。
つまるところ史実では、義時は、泰時より政村を可愛がっているように見えたし、泰時自身も、父は自分より朝時や政村を愛していたと受け取っていた、と考えて良さそうです。義時は非常に聡明な息子に意見を求めたり、重要な仕事を任せることも多々あり、泰時を物凄く疎んじていたわけではなさそうですが……。
なんで「最愛の息子」になった。少し父と距離を置いている不憫な泰時がトップに登るのが楽しいのに!
私は3つの可能性を考えていて、
①最善:大河ドラマあるある~!実績を出した息子が「最愛」になる法則!!
②アホ:義時はみんな息子たちが最愛で決められない。朝時にも政村にも「義時の最愛の息子」という説明がつく。
③最悪:義時は泰時を非常に愛するが、義時の変化により周囲や泰時からは「愛されていない」と思われてしまう。
ガイドブックなどでのみたにん先生の「泰時が生まれてから義時が変化する」「泰時のために義時はライバルを排除していく」という趣旨の発言から、③だとは思っていました。
ところが。泰時の誕生シーンを振り返ると、心が重くなったことこの上ありません。
敬愛する人の死の直後に生まれた息子を抱き上げた当初、久方ぶりの溌剌とした笑顔を見せていた義時ですが、息子の泣き声を聞いた途端に血相を変え、息ができなくなったのか、息切れを起こしています。
一瞬、このまま赤子を投げ飛ばすかと思ってしまいました。
なぜなら赤子の泣き声が上総介広常が頼朝を呼ぶ時の「武衛」に似ていたから——。
義時からすると、自分が事実上殺した人、しかも敬愛した人の口癖を息子が言っていた、ということになります。それは息切れもするでしょう。
最愛の息子生誕にしては非常に薄気味悪い展開です。
一歩引いてみれば、普通の精神状態なら赤子の泣き声を「武衛」に聞き間違えるわけがありません。
私は初見で「元気におしゃべりして泣いてんな~」程度しかわからなかったし、義時の視線に病んだものを感じた程度で「これはスーパーモンペ街道開始か?」と別の意味で覚悟したものです。
でも、Twitterで話題になってもう一回見たら……だったのです。これは音響の人がすごいと思います。「武衛」にも普通の赤子の泣き声にも聞こえる。
義時自身が相当追い詰められていて、息子の泣き声が、上総介広常が頼朝を呼ぶ時の「武衛」という風に聞こえてしまった、幻聴の症状が出ているような描写にも見えます。
このまま認識の狂った義時が何をするかというと、泰時に対して上総介広常を重ねてしまう——、広常にそうしたように、自分の処理しきれない感情を泰時に吐き出してしまう可能性が考えられます。
言い換えると、
④地獄:「最愛」の意味が重たすぎる。非常に重い感情を義時が抱いてしまうため、泰時が受け止めきれない。
になりそうです。
これから「泰時のために義時はライバルを排除していく」ことになるだろう義時の泰時への熱烈な感情は詳しく描かれるでしょうが、その感情がどうか美しいものであることを願っています……。泰時が母と父に愛されて幸せな幼少期を送れるよう……。
蛇足になりますが、泰時は「武衛」=頼朝のことを最初に口にしました。源頼朝を熱烈に慕ったらしい北条泰時らしい生まれ方ですけど、逆に義時と八重の体を借りて頼朝の真の後継者が生まれた、ということでもあるかもしれません。万寿がたびたび不幸を起こすのは頼朝の後継者ではないから、という描写にも見えました。
これは吾妻鏡の編集意図にも添うようです。吾妻鏡は「源頼家(万寿)は頼朝の真の後継者ではなかった。だから呪われた治世だった。真の後継者は北条泰時なのだ、だから北条家の執権政治は正しいのだ」という論調で記事が展開しています。
■嫡男ズの動向
主人公・主人公の盟友・主人公の親友こと「嫡男ズ」についてのメモをば。
実はこの寿永2年は北条義時・三浦義村・畠山重忠にとっては「子供が生まれた年」でもありました。義時には泰時が、義村には泰時の妻となる矢部禅尼が生まれた年頃とされ、重忠には畠山重秀が生まれています。
つまり、三人としては「お父さんなのだから」「しっかりしなきゃ」という意識が働いていると考えて視聴すると面白いです。
*義時
医者にかかることをお勧めしたいくらい物語の後半はかわいそうな状態でした。人生の絶頂から叩き落とされた。これ以上言うことはありません……。次回から遠征が始まるので、泰時とは距離が置けそうですし、少し精神も回復するかもしれません。
*義村
次話では娘の「初*2」を抱いて登場するようです。その表情が今回の泰時(金剛)を抱いて発狂しそうな義時とは真逆で穏やかなこと穏やかなこと。これはいい親バカになるぞ!
妻がいることなどちっとも匂わせはしませんでしたが、ここ数話、あんまりにポンコツ女性漁りが激しかったこと、嫡男として決められていた運命に嘆いていたことを考え合わせると、「結婚を目の前に自分に課せられた重い責任から逃れたくなった」と捉えることもできます。ちなみに彼の正室は土肥実平おじさんの孫娘です。土肥実平さんはとても平和主義で円満で温厚な人として描写されているので孫娘も人格円満で温厚なお嬢さんなのでしょう。「優等生」の義村にぴったりな気がするのですが……。
妻が懐妊して責任ができたことから、14話からはいつもの冷静な人格に戻ったのかもしれません。でも以前とはやや異なる泰然とした様子で、彼も成長したような印象を受けます。
あの恐ろしい双六大会の折、①義時から上総介広常が殺されるという情報を横流しされたのを父には告げなかった、②義時の精神状態のことを考えて父とは別行動をとった(父離れした)、③三浦家の嫡流次期当主として、分家筋の和田義盛の無謀な行動を止めた、あたりは「三浦の嫡男」ではなく「三浦の次期当主」として何をすべきか考えて行動していたように思います。そのきっかけが娘の誕生だったら、やっぱり子供によって親は変わるのでしょう。
*重忠
今回のグレーゾーン。「腹芸」「茶番」「保身」ですら華麗にして優雅。桜が散るかのような美しい清廉な茶番。茶番さえ清廉で優雅ってなんなんでしょう。重忠のBGMだけショパンでいいよ。さすが祖父(と思われる)を討ってきたプリンスは違いますね。
その茶番にあらかじめ気づいていた義時、本当に重忠と仲がいいんですね……。
そして、重忠は今回、梶原景時にはある種の真相を話していたように思えます。
「お主だけでも抜けてしまえ」
「今度仲間を裏切ったら、私の先はありません」
重忠からすると相模の大豪族である三浦家(母の実家でもあるようです)を攻め滅ぼしたこと、もともと平家側だったことは大きな不利となっています。重忠は同調圧力の犠牲者で、景時はそれを見抜いていたのでしょう。
先週重忠は謀反の企てに全く参加してなかったことから、彼のなかでは「謀反には一応顔を出しておこう。でも不利になったら華麗に転身しよう」と計算していた側面が見られます。
実際、重忠は担ぐべき義高が聡明で神輿としての素質がないことを見て取り、武装していない義時が「謀反の企みが暴かれたこと」「御所は守りを固めている」が言ったこと=こちらが不利になったと察すると義時に有利な芝居をしています。
今回生き残るために必死だったのは畠山重忠だったと思われますが、これも彼に息子が生まれた(妻はあの怪しげなおじさま・足立遠元の娘)ことを考え合わせると納得です。赤ん坊を置いて下手を打って死ねない。
この15回は義時を含めて「自分の子を守るためにどうすべきかを問われた」回でもあったと思われるのです。
梶原景時の息子が出てきたのも同じで、まだ幼い印象のある息子を置いて景時は死ねない、だから心に大きな罪悪感を感じつつも、上総介広常を殺したという風に見えました。
そして、これから先、義時は泰時のために死ねなくなっていくのでしょう。
■盟友
これからこの先、感想をメモする機会があればもっとメモしていきますけど、義時と義村は合わせ鏡のように見えました。
まるで自分の心を映す鏡のような。
上総介がどうともならなさそうだとなった義時がやってくるのは義村のところ。「平六は小四郎のお母さんじゃねえ」「精神的ケアを頼むな」という描写にも見えますが、今回、義村は義時の心を映す「鏡」であるように見えます。
「わかっているくせに。お前には、それしかないってわかっている」
「違う!」
「お前は止めて欲しかったんだ。上総介を殺しに行かなくて済む口実が欲しかったんだ。お前の中じゃ上総介の命運は尽きている」
まるで自分の心と対話するようなシーン。
思えばこの二人はずーっと、米倉にいた時から、自分の思考の整理にお互いはお互いを使っています。1話から、ふたりの世界に閉じこもって話す様はまるで創作世界の聡明な双子のように見えてきました。
特に、
「どうするんだ?これから。頼朝は」
「身内が一人増えたと思うしかないよ」
「首はねちまえよ。はねて平清盛に届ければ済むことだ」
「兄上が許すはずないだろう」
という第2回の会話は、義時と義村の会話ではなく、私としては愛しい姉を奪われたり初恋の人をひどい目に合わせたり、一家を混乱に巻き込む頼朝に対する、義時の深層心理にも思えたのですよね。
で、今回「鏡」である義村が義時に刀を突きつけるような発言をしたということは、義時の心が千々に引き裂かれている描写なのでしょう。
■まとめ
今回こそが、やはり「初回」なのだと感じます。
・義時の発案で、頼朝によりこの世界の「システム」が作られた
・しかし、義時は自らが考案した世界の「システム」のひどい副作用を知る
・実質的な主人公が生まれた
そんな回だったなと。まさにある種の「ディストピア」が生まれたところで、泰時はディストピアをどう駆け抜けていくのか、楽しみです。