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読んだ本や思ったことの記録

もうほんとうに帰りたい③ 細川重男著『執権』

さて、頼朝亡き後の鎌倉武士はボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争やカンボジア内戦のレベルの泥沼で凄惨な抗争をずっと繰り広げていたようだ。

それをえげつない知恵で勝ち上がり、最後の抗争「和田合戦」が終わり、実朝が暗殺されるまで一応6年ほど平和をもたらしたのが北条義時である。

 

 

大河ドラマでもやや戦争に弱いキャラ設定の義時だが、本書でも華々しい武功は上げていない。むしろ事件に巻き込まれてしぶしぶ行動している。
なんだか本書、大河の元ネタ本なんじゃないか、時代考証に著者の細川先生も入れたほうがいいのではというくらい大河の描写に近いノリの論展開がなされている

本書曰く、「何もしない人」と称され、

ここまでの一連の事件でも、義時は積極的に行動した様子がみられない。

比企能員の変までの義時の行動を振り返っている。
確かに今までの事件、「三浦くんや和田くんや畠山くんがものすごくヒャッハーしているな」「時政は腹黒いなあ」としか思えなかった。

何もしないというか史書に描かれるような派手な行動をしていないというか、たぶん三浦義村和田義盛畠山重忠梶原景時なんかと湘南の海で遊んでいても、4人の背後にちゃんといるのに「あれ?義時が居ねえな」「帰ったのか?」「まさかそんな」「人さらいか!?警察に通報しなきゃ……」とか言われる人、そういう印象を受けた。

もっといえば親友の畠山重忠が「もしもし義時?」と電話をかけたとして、重忠だけベラベラ喋り、聞き役に徹するようなタイプの人である。

さて、大河では従弟である三浦義村が義時の親友ポジションだが、本書では当時のことを書いた歴史書吾妻鏡で義時が重忠について「年来合眼の昵(むつみ)を忘れず(=ずっと仲良くしてきたことを思い出して)」と言っているので畠山重忠が親友ポジションらしい。

小栗旬さんと山本耕史さんと中川大志くんが常に3人で画面に並ぶかもしれず、あまりの顔面の良さにテレビのディスプレイがイカれるかもしれない ギャァ

しかし、義時は自らの手でその友人を殺してしまうことになる。

畠山重忠の乱北条時政は今の埼玉県〜東京都あたりに大きな勢力を持っていた畠山重忠が気に入らなかったので、謀反の罪をでっち上げた。その討伐に義時は向かうことになる。彼としては「本当に重忠が謀反しているかどうか確認してから……」と抗弁したらしいが、時政とその妻である牧の方に押されて出陣することになった。

しかし向かってみると重忠は武装しているもののほぼ無防備に近い状態だった。従兄弟である稲毛重成が「重忠!鎌倉で謀反が起きたぞおおお!!!」と偽情報をたれ込み、重忠を鎌倉におびき寄せている最中だったからだ。

大軍を率いた義時とわずかの手勢を率いた重忠は鉢合わせし、交戦してしまった。重忠は殺され、親友を殺してしまった義時はその首をみて泣いた。鎌倉へ帰ると、父に対して盛大にキレ散らかした。

本書では延々と義時の長広舌が続く吾妻鏡のこの箇所を、

「クソ親父! オレたちを騙して、ダチを殺させたな!」

と大胆に短く意訳している。

本書に載っていないが、このとき、義時とともに畠山討伐に参加し、結果がこれなので「無実の人間に罪を着せやがってふざけんな」とそうとう頭にきていたらしい三浦義村は、稲毛重成を惨殺する。怒りと憎しみの止まらない義時が従弟の義村に重成を血祭りにあげてくれるよう依頼した説もあるらしい。

鎌倉武士がマジギレすると死体が積み上がる

大河でやれるのだろうか

ほとほと心配になってきたが、麒麟がくるで信長のハッスルぶりを見事に放映した●HKであるので、大丈夫ではないかと思……う……よ

本書は綴っている。

ここに我々は、初めて北条義時という人の意志を持った言葉を聞いたのである。それは、非業の最期を遂げた友を悼む怒りの言葉であった。

義時はまだ怒りが止まらないのか、この直後に父を【洗浄音】することになる。

牧氏の変…時政が無実の重忠を潰したことで息子・義時や三浦家を含めたかなりの数の御家人がキレてしまった。おとなしくなるかと思いきや、時政は逆に暴走を始めてしまう。当時頼家にかわって将軍に立てていた源実朝を暗殺し、平賀朝雅という娘婿を将軍にしようとする。政子としては息子が危ないのでじいじから引き離す。義時は実朝を引き取り、逆に平賀をぬっころそうと周囲と密談した。平賀朝雅は京都で殺害された。

時政は出家し、伊豆に帰った。義時は父に取って代わって政所別当(行政組織のトップ)、つまり将軍を除けば実質上の最高権力者になる。
牧氏の変と呼ばれるのはこれが時政の後妻・牧の方が裏で糸を引いていたからだとされている。

宇都宮頼綱討伐未遂事件…その数ヶ月後、義時は、栃木県あたりに勢力を持っていた宇都宮頼綱に謀反の嫌疑をかけ、やっぱり栃木県に勢力を持つ小山朝政に野郎をなんとかしろと命じる。小山朝政は「そんなことできません!宇都宮殿は親戚だから!!」と返した。義時の意思とはいえ、一応将軍の命令なのに小山朝政は従わなかった。幕府政治がなっていない証拠である。

しかし、いままでのパターンからすると意外なことに、それ以上義時は追及せず、宇都宮頼綱も出家したためことは一応丸く収まった。

そのあと8年に及ぶ平和の時期が訪れる。なんか義時はうまくやっちゃったらしい。鎌倉武士もみだりに戦争をやっちゃうわけではないのであろう。頼家と時政の協調性のなさが原因なのかもしれない。

しかし、8年後、最後の大爆発が起きる。北条義時という人間がどれだけ腹黒いかもよくわかる話が出てくる。

和田合戦…義時は幕府中枢(実朝・義時・政子・大江広元、その他複数名)に権力を集中させようとする。あちこちで内紛が起きている以上、これは大正解の政策なのだが、むちゃくちゃキレ散らかした鎌倉武士がいた。侍所別当(軍事組織のトップ)の和田義盛である。行政と軍事は対立するよね、と思いつつちょっと調べてみると、義盛は受領になりたいと実朝と北条政子に申し入れられていたが却下されたらしい。きな臭いね!

1213年、頼家の遺児を奉じた謀反計画が発覚する。その首謀者は義盛の息子や甥であった。和田義盛は急いで実朝に直談判し、息子を赦免してくれるよう願って許された。さっきの宇都宮頼綱の案件のノリならここら辺でおしまいとなりそうなところだけれど、

北条義時は義盛に徹底的な嫌がらせをし始める。
鎌倉武士〜><

義盛が和田一族を率いて謝りに行くと、義時は、謀反の主犯として釈放していなかった義盛の甥の胤長を縛ったまま、和田一族の面前を通らせた。すごく恥辱プレイでえっちでスケベ
和田一族からすると「雁首そろえて謝りに来られても、この通り、お前らの甥は謀反人じゃないか」と義時に高笑いされたようなものだし、甥が義時から恥辱を受けている義盛ははらわたが煮えくりかえったであろう。嫌な男である。どうして大河の主人公なんてできるのか

さらに、謀反人とされてしまった胤長の屋敷は慣例に従って義盛に与えられたが、突如取り上げられ、本書によれば義時に与えられた。義盛がその屋敷に派遣していた代官は義時が追い払ってしまった。爽やかな笑顔で胤長の屋敷をいじりまわす義時が脳裏に浮かぶようだ。義盛はさぞかしはらわたが煮えくりかえったであろう。嫌な男である。どうして大河の主人公なんてできるのか

先生、こんな嫌な奴が鎌倉幕府の第二代執権でいいんでしょうか

義時の嫌がらせと義盛の恥辱耐久力のどちらが勝るかという持久戦になりそうだったが、和田義盛に耐久力はなかった。
義時、「二、三回嫌がらせすれば義盛は謀反を起こすだろ」と思って嫌がらせしていたに違いない。

和田義盛は怒りのあまり大爆発し、義時をぬっころす為に挙兵することを決意した。

大河でこんな嫌な男を主人公にできるのだろうか

だが、ここでもっと嫌な男が出てくる。三浦義村である。

三浦義村和田義盛の「義時が嫌がらせしてくる!もう挙兵するしかない!!」という言葉をうんうんと頷いて聞き、「わかったよ!オレも義時のやりかたはどうかと思っていたんだよね!義盛のことを助けてやろう!!起請文も書いたぜ!!」ととても親切にしてくれた。

ところがその親切そうな笑顔を浮かべたまま挙兵決行日の前日に義時のところへやってきて、「……って義盛が言ってた!!」と言っちゃったのである。義時は全然騒がずに悠々と服を着替えて和田謀反を伝えに実朝のところへ参上したというのだからもう余裕である。こいつらどっかで密約があったんじゃないか

鎌倉で壮烈な市街戦が起きたとされているが、御察しの通り和田義盛は負けて討ち取られた。義時は義盛の職・侍所別当も兼ねて、「執権」となった。

なんで三浦義村がこんな嫌な男だったかというと理由があるようだ。
和田義盛三浦義村にだけは頼っちゃいけなかったらしい。というのも三浦家の分家である義盛は、嫡流の義村より権勢が上回っていた。義村としては面白くはない。それに、義時と義村は母親同士が姉妹の従兄弟同士、しかも年も近かった。
義盛が「義時が嫌がらせしてくる!もう挙兵するしかない!!」といったとき、義村の心に去来したのは「は?それをオレにいうのか?義時を潰す為に三浦の兵を出せってことか?」という呆れ+怒りだったと思われる。

 

とまあ、義時が執権職になるまでの抗争をつらつらメモってみたが、

これがどう大河になるのか楽しみです(`・ω・´)

 

 

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