Don't mistake sugar for salt.

読んだ本や思ったことの記録

フリードリヒ大王と王妃の文通を翻訳してみよう〜⑦

間が空き過ぎた!!!!

プロイセンのぷの字もわからなくなっています。なんだっけ……あ〜、ヴィルヘルム1世にキレて洗面器割るビスマルク可愛いと思うんですよ

18世紀プロイセンの、変わった夫婦の文通を海藻(kaisou-ja)様と訳しています(⌒▽⌒)

 

フリードリヒ2世:政治・軍事は天才だけど人付き合いが嫌いすぎて妻に公式行事を任せがち。弟が自分のせいで死んだり七年戦争) でボロ負けしそうだったり、あまりにプロイセンが負けるので退位を考え自殺未遂しかけたり、踏んだり蹴ったり。

エリーザベト王妃:人付き合いは上手だけれど政治に関心がないので夫に政治を任せ切っている。あんまりに プロイセン が負けるし、夫が自殺未遂しかけたり、妹の夫が死に、母親も死んだ。踏んだり蹴ったり。

 

プロイセンや国王夫婦にとって苦難でしかなかった七年戦争も終わりの年になりました!
フベルトゥスブルク条約に調印したり、まるでダメな夫のはずの国王が奮発して(?)マイセン磁器を王妃に贈ったり、夫婦そろってビックリするようなお色気ムンムン女が登場したりします。

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閑話休題

 思うところがあり、今年の大河ドラマはアンチ活動をしています(⌒▽⌒)
 いや、「見ない」「見てしまってもすぐ切り上げる」「話題を検索しない」「平安時代の別の大河が作られるよう祈念する」なのですけど……。
 どうやら人気になっているみたいなんだよな……。けっ!(けっ!?)

 まあちょっと見る限り、結構話としては飽きさせない展開なので、わからなくはないのですが……。そこが俺には問題なんだ!!!

 歴史に忠実でないからアンチをしているのではなく、物語のコンセプトやストーリーテリングが「オレの性に合わねえ……」って感じなのでアンチをしています。私はきっと「プラスにとる」話が好きなんだと思います。

 どういうことかというと、……。

 例えば、史実に忠実~系(?)で、いまのところ唯一私が解釈違いすぎてイカれそうなのは、円融帝と詮子の関係です。詮子が暴力を振るわれたところは、「ちょっと!!」と落ち着かない気分になりました。さらにアンチ活動を促進しなければ!と決意を新たにしましたぞい!(おい)

で。

・円融帝と藤原兼家は仲悪かったが、兼家は状況打開のためにか娘の詮子を入内させる。
・円融帝には詮子しか子供が生まれなかった。
・円融帝が子供を産んだ詮子ではなく遵子を中宮にした。
・これに抗議し、父親の兼家は詮子を内裏から退出させた。

という事実から円融帝と詮子の関係を考えると、いくつかのパターンが想像できますよね。

1、円融帝は兼家も詮子とも関係が破綻している。(これが今の大河で採用されているパターンっぽい)
2、円融帝は、兼家とは関係が破綻しているけれども、詮子とは絆を持っている。
3、円融帝は、兼家とも詮子とも関係破綻していない。(これが面倒臭いことに史実と近い)

たぶん私は物語を鑑賞するなら1ではない方が好きなんですよね。2のほうがとげとげしてないし、希望がある。そして、帝の苦しみや詮子の痛み、兼家の親としての感情など、つまり登場人物が生きているということを実感したいんだと思います。ここら辺はこの間見てハマった「大奥」があまりに上手で……。
 3は結構実際に会ったことに近いそうなんですけど、視聴者は「!?」となるかと思います。

 だけど、このとげとげした調子で定子と彰子の関係が描かれたら俺は、僕は、私は

 脚本家が悪いとは一概に言えませんが、あの脚本家の書く大体のお話がなんだか性に合わないのでこればっかりは違う国に迷い込んでしまったものだと思っておきます。

 私の勉強した範囲でのことであり、色々間違っていることもあると思いますが……、円融帝はなんで皇子を産んだ詮子を中宮にしなかったかというと、平安後宮は実力社会や帝の愛情が物言う社会ではなかったといわれているからだそうです。
中宮になった藤原遵子は父親の藤原頼忠が当時の関白で、関白の娘が中宮にならないなどめったにありませんでした(帝と関白・摂政の関係が深い方が政権運営には都合がいいからです)。藤原頼忠に兼家がキャリア形成の面で負けていたこの時点で、詮子は事実上「後宮闘争」に負けていたのです。詮子は円融帝にとって「二番手のきさき」でしかなかったのでしょう。

さらに円融帝は、兼家と激しく対立していた兼家の兄・兼通の後見で即位した帝でした。そのせいか、兼家は詮子を入内させるのを当初渋っていました。円融帝としては、詮子の入内は兼家の服従の証になるのでhappy~なはずだったのです。でも、中宮にはしてあげられない。つまり難しい関係だったのです(⌒▽⌒)

ただ、詮子にとっての僥倖は、円融帝と子供が出来たことです。円融帝はどのきさきとも子供を儲けられずにいましたが、一条天皇(懐仁親王)は詮子入内の三年後に誕生しています。詮子にとっては、これにより、後宮で重きを成せるようになります。中宮でなくとも、例えば詮子の従姉妹であった藤原懐子(花山天皇母)のように、子供が帝に即位することはあり得ますし。

それに、生まれつきなのか心労がたたったのかはわかりませんが、服部早苗先生の「国母の政治文化」という論文によれば、詮子は病弱な体質でした。

逆にそう考えると、なんの史料的裏付けもありませんが、懐仁親王が生まれた二年後に遵子が中宮になった際、兼家が詮子を内裏から退出させたのは、政治的抗議という側面で見ると、相手が関白の娘で当然中宮になるものだからという常識などぶっ飛ばして、「詮子ちゃんはなぁ、子供を産んでるんだぞ」「体は弱いかもしれないけどヨォ! 帝のお役にウチの娘は立ってるだろうが!」「中宮にさせろヤァ!!」という兼家の、娘バカで強気で剛毅な姿勢も感じます。

 最終的に円融帝に全く子供ができなかったので、詮子は「後宮闘争」の勝者となり、国母として、天皇家の長として見事に難しい局面を差配し、命を削りながら生きていくことになります。

 

 では、今後もアンチ活動を続けるために、平安時代後宮の話を資料を集めてメモし、大騒ぎしてまいります!

2022年大河ドラマ感想 閑話休題

思い余ってTwitterのアカウントを消してしまいました。

本来ならば12月31日ないしは総集編の放送を見てから消す予定だったのですが、ちとばかし予定を早めました。

一番は私生活が多忙になったので日曜夜に騒いでいられる時間がなくなったことなのですが……(実際騒ぎすぎて月曜日に響いてしまったこともありますしw)

二番は義時の本格的な活躍・そして実朝暗殺に向けてのTLの雰囲気に耐えられなくなったということが挙げられるでしょう。誹謗中傷や怒り、史実との違いを指摘する声が多すぎる。
皆さんが物語を愛しているからこそのものだと耐えてはきたのですが、

歴史オタク、物語に突っ込むのはいずれ黒歴史になって恥ずかしいからやめて!!!!

という物騒な言葉も浮かんでしまい、実際TLで発する前にアカウントを消した次第です。

私は歴史オタクが「物語を楽しめなくなってしまう」現象をたくさん見てきました。あそこが史実と違う、そこが違う、やれああだこうだ……、私にも覚えがあります。
正直ここまで突っ込むなら学者の書いた本読んでたほうがラクだわ……。だって史実に忠実だもん、と。
そしてだいじなもの、物語として伝えたかったものを取りこぼしていきました。黒歴史です。あれ、この小説は何が言いたいんだっけ……。

黒歴史〜〜〜〜〜〜ふぅ〜〜〜!!!
歴史にズブズブのときはわからなかったんですが、何って自分は恥ずかしいことをしてたんだろう……傍目に見てかわいそうなイキリオタクのテンプレ〜〜〜〜〜〜〜!!!!妄想(物語)と現実(史実)の区別のつかない恥ずかしい人〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

だから、この大河を見るときに決意したのです。物語にイキリ歴史オタクとして突っ込む恥ずかしい自分を封印しよう!その結果生まれたのが「もも」というアカウントだったのですが。
でも、かつての自分の亜種がTLにわらわらと湧いてきたとき、私は自分も元に戻りそうな気がして正気でいられる気がしなかったので、消すことにしました。

 

まあ、でもわからなくはないです。最近の鎌倉殿は吾妻鑑から飛翔し、新しい境地に入っている感じなので、歴史オタクとしては「戻ってこい! 正気に戻れ!!」と言う感じなのでしょうね。

でも物語としてはクライマックスにブーストかけてきたなというか、北条義時という誰よりも悲劇の人の人生を見送らなければという決意を新たにしたというか。

この物語は、「悲劇」なのだなとはっきりわかってきた印象です。
悲劇の人生と言われる源義経畠山重忠は「死ねました」。でもそれよりはるかに悲劇的な人生は地獄の中で生き続け、苦しみ続けることです。
鎌倉という地獄の中で北条義時は生き続けてしまいました。
伊豆の田舎に暮らす少しばかり頭の回転の早い、歴史書に残らないほど平凡な豪族だったのに。ただ姉の結婚相手が源頼朝だったというだけなのに。権力を手にしても事実上日本の支配者となっても、血で血を洗う世界で様々な人物の死に関わりながらも「生きのびてしまった」。それを悲劇と言わず何というのか。製作陣は吾妻鑑からそこを強く感じたのでしょうね。

だからこそ、悲劇の人生といわれた義経や重忠の死に義時を立ち会わせたのでしょうね。しかしながら義時はこいつらが死んだ分だけ生きねばならない、地獄をと。

その誰よりも悲しい人生を救済するのが鎌倉幕府の政治、日本の政治のあり方を根本的に変えた北条泰時、という結末に持って行くのかなと推察しています。

泰時はのちの名君の名にそぐわず、物語の中ではやることなすことポンコツ、愚直です。ただ、公平な視点を持ち洞察力に優れ、争いごとを丸く収めるという不思議な力があるだけで、聡明さで言えば義時の方が遥かに上。
義時は知恵の輪を二秒で解けるけど泰時は知恵の輪に十日かかっても苦戦していて困っているのを鶴丸や初が解いてあげるようなキャラです。
この醜い世界で、稚拙ながらも善を信じて生きていて、「北条泰時」という言葉から連想するダンブルドアみたいな知的で聡明なキャラより、愚直なネビル・ロングボトムのような印象を受けます。

義時が自分の人生を大いに反省するとしたら、「聡明すぎて愚直さがなかったところ」なのですよね。聡明すぎてあまりに自分や周りを大事にできなかった。
上総介の件も義村が指摘するように義時が半ば諦めてしまっていた。義高を殺して姪の大姫を死ぬまで苦しめた。八重さんの件も義村を責め抜けばすっきりしただろうに、納得してしまった。自分を育て上げてくれた頼朝に忠誠を捧げつつも「信じること」がなく、恩ある頼朝の孤独を強めてしまった。
比企の娘を妻にもらっていながら比企能員の野望を最悪の形で刺激してしまった。
ついには頼朝の代わりに育てていくはずだった頼家を手にかけた。
父に逆らいきれず、親友を殺した。
さらには父を追放した。
しまいには最愛の姉である政子を大事なところでないがしろにしつづけ、ついには彼女の不信を買っている。
新しい妻・のえさんは北条の家風には徹底的に合わない人です。北条家は明朗で家族に愛情深く、真面目な働き者という家風ですが、のえさんは二面性のある性格で享楽的でものぐさで夫に愛情はありません。
だからこそ、泰時や政子や実衣をはじめ、北条家のすべての人間に不快感を与えます。りくの助言、「無理に合わせようとしないこと」が一切響かず、まだ猫をかぶっています。

いま義時の手のひらに残っているのは泰時と、あきらかに夫の死で狂い、死か名誉かを渇望している実衣、めんどうくさい義村しかいません。全て虚無。

自分の人生に対する大きな絶望の中で、泰時の愚かさと素直さを尊いものと感じているのでしょうね。
どれだけ自分が汚れてもいいから、せめて最愛の息子だけは自分のように地獄を見ることになるのは勘弁してほしい、という義時の悲鳴が最近は聞こえてくるのですよね……。

おかげで和田一族も滅びたしな……。
だから無意識に泰時をないがしろにし続ける(義時の地雷を踏みまくる)仲章には私はひやひやしています。しかも義時の目の前でやらかすから仲章って本当にツイてない。

アルティメット子煩悩執権に目をつけられたせいで名誉欲の塊の仲章は一番自分の望まない形(=実朝のモブ系の控えめな性格の側近だった)で葬られてしまいますね。ついてない!!!かわいそう!!生田斗真の顔面を持っているのに!!!

 

個人的に気になっているのが、この鎌倉のなかでの北条家最大の被害者というべき実衣ちゃんです。和田合戦の時。

「こんどこそ、死ぬ!」
「落ち着きなさい」

「決して離れないように」
「こんどこそ、……死ぬ」

ここであまりにかわいそうになりました。もう実衣ちゃんはこの鎌倉という世界に耐えきれずに精神が静かに壊れていっているのだなと。
実衣ちゃんは満面のこわばった笑みで「今度こそ死ぬ」と非常に嬉しそうに言っています。
死んで全成のところへ逝きたいのか。いや、最愛の男性のいる極楽浄土に行きたいのではなくて、最愛の男性を奪い、優しかった兄も変貌していくこの残酷な世界を生きていたくないのもしれません。ただ昔と変わらぬ姿を少しだけ見せる姉が唯一この世界で完全に狂気にならずに済んでいる理由なのかも。

43話で強くそう思いました。少女のように桜を片手にはしゃぎ回る姿を見て。

「実衣殿、今日はとっても生き生きされていますね」
「なんでしょうね。姉上がいないだけでこんなにのびのびできるなんて……。私もびっくり! あははははは!」

でもそのあと、表情を少し暗くした後、

「少し休みます」
「ごゆっくり!」

この休んでいる最中、実衣ちゃんは桜を片手に廃人のようになっていたかも。
兄の新しい妻は実衣の細かい心情を受け取ることがなく、「面倒でどこかおかしい上の人」として扱っているのが見え見えなのも彼女を傷つけたのかも。
政子がいないと彼女はもうダメなのかも。

だから実朝にすがり、華やかな格好をして自分を落ち着けているのでしょう。人間は派手な格好をする時「明るくポジティブになりたい」という意思が働いているといいます。つまり過度に派手な格好をしている実衣ちゃんの心は今、闇……。

政子の「落ち着きなさい」の声が実衣ちゃんの苦しみを端的に現しているように感じました。妹の苦しみをわかっているのは政子だけかも……( i _ i )

和田合戦で死ねず、生き延びてしまった実衣ちゃん……。「どう見たって動くわけのない船」を作り、「(事実上の)孫を見せてくれない」(=危ない橋を渡り続ける)実朝を見て、これほどお守りしているのに、どうして自ら誰かに殺されるようなことをするのだろうと、裏切られたと感じただろう実衣ちゃん……。
いきなり自分の子である時元を鎌倉殿にと考えたのは、ここら辺に理由があるのかもしれません。

また、実衣ちゃんが頼る先はおそらくきょうだいのなかでは最愛の兄なのだろう義時なのだなとも思いました。
義時の政子好きっぷり(シスコンぶり)も際立っていますが、実衣ちゃんは義時が本当に好きですよね。あれほどまでに義時を後継者と推している妹、だいたい困った時は義時を頼りにする妹は、ブラコンといって差し支えないと思います。
義時も実衣ちゃんを「困ったやつだが」「凄くかわいいんだよな」と感じているような印象を受けます。実衣ちゃんがかわいい仕草しているときにかすかにまなじりが緩んでしまう義時が好きです🤗
彼女が傷ついて笑いながら涙を流したら比企一族が滅んだわけだし……。少なくとも当時の妻の比奈ちゃんより愛していたということになるでしょうね……。

43話では実衣ちゃんは義村と殴り合っていましたが、あのアルティメット子煩悩極悪執権()の表情をあそこまで点目にさせることができるのは「かわいい妹」のなせる技だと思います。
というか伊豆時代から「かわらない」のがこの3人の関係なのが悲しい。
女好きの義村は義時の姉妹である政子と実衣ちゃんには何故か絶対ちょっかいをかけないのですが(義時に殺されるからではと思ってる)、親友の怖い姉であった政子との関係は有力御家人と尼御台へと変化しているにもかかわらず、実衣ちゃんと義村は決して変わらない関係ですよね。伊豆時代とおなじようなことをしています。
恋愛小説だったら「義村の本命は実衣ちゃん」ということになるのですが……まさか!そんな……!!でもだったら楽しい気がします。義村の本音に迫れそう。

でも次回実朝も時元も惨殺されてしまうだろうから、実衣ちゃんと義時がどうなるかが不安です。

本当は実朝のあまりに八方塞がりすぎる初恋(にしておそらく唯一の恋)の話もめもしたかったのですが、お腹を壊しているのでこの辺で。

2022年大河ドラマ感想*31・32話

義時がどんどんと悪いやつになっていくなあ、そして泰時がまだまだ未熟だけれどあるかなきかの希望の光だなあ、という31話+32話の感想です

義時と泰時の関係をメインに綴っていきます。

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2022年大河ドラマ感想■30回

うわ~~~~~恐ろしい怪物が生まれる瞬間を目の当たりにしてしまった……。どうしよう……。ということばしかなく三十回の感想に進みたいと思います。

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大河ドラマ感想@28回

しばらく私生活が多忙のため、大河の感想を簡略化/お休みします。

今回のテーマは「忠臣は二君に仕えず」。その対象となったのは結城朝光と梶原景時でしたね。

結城朝光と実衣ちゃん、かなりツボな関係でした……
中の人の発言や所作を見るに、単に妖艶な容姿なだけで中身は優等生の生真面目さんだったとのこと。そう思って見返すと、ただ妖艶な男性が人妻を騙しているという単純な構図ではなく、朝光としては実衣ちゃんとの琵琶の時間が「頼朝が亡くなり、その忠臣だった自分の居場所ではなくなった世界」での一筋の光明ではなかったかと、本当に深みを感じます。おそらく最後は「ああ義村は新しい世界を作りたいのだ」と理解して、義村に、「頼朝の烏帽子子」「側近」として重責を担う御家人ではなくただの琵琶奏者でいられたその居場所も提供してしまうんですけどね。
うーん、史実では断金の盟友とされており、ドラマ上でははっきり書かれてませんでしたけど、考えれば考えるほど義村と朝光の絆は深いなと。
案外義村の「しばらく姿を隠せ」というのは「忠臣は二君に仕えず」という言葉が出るほど頼朝に思い入れが深く、頼家の政治に色をなしている朝光への「一旦領地でゆっくり休め」という気遣いのようにも感じました。

朝光にとっての実衣ちゃんとの琵琶の時間——息抜きできる時間を持てなかった梶原景時はただ頼朝への忠心を抱いたまま死んでいきます。おそらく景時は頼朝にしか忠誠を抱いていないことと、義経という幻影を追いかけていて、頼家本人を見ていないことを見抜かれてしまったからこそ、頼家もかばうことができなかったんでしょうね。

で、二君に誠心誠意仕えている北条義時はあざやかに忠臣の顔をして忠臣ではないのですよね。仕えるは頼朝の生んだ鎌倉幕府。頼朝でも頼家でもない。朝光や景時のように、頼朝や頼家という「人」に肩入れしたら、その瞬間、その創生で死んでいった兄・宗時や上総殿、義経、義高などなどの面々に対する感情と折り合いがつかず壊れてしまうんでしょう。
だからもし、頼家が鎌倉幕府の破壊に乗り出したら、義時は容赦しないだろう。そんなことを予感させる回でした。

2022年度大河ドラマ 第27回 感想メモ

エドワード・サイードの「オリエンタリズム」によれば、自己と他者を区別する過程で、ある他者を「どうせこういう存在だろう」とレッテル貼りし、ステレオタイプ化し、「こういう行動しか取らないだろう」と決めてかかるところから差別が始まるのだそうです。

愚管抄は無理して日本古典文学大系を買わずとも、こちらのサイトで原文のほとんどを読むことができます。

www.st.rim.or.jp

また、現代語訳は講談社学術文庫から出版されており、アマゾンで買うこと+Kindleで読むことができますよ。興味のある方は是非。

歴史ってどんな楽しみ方をしてもいいし、私は知ってる人に「薄桜鬼が好きだから」幕末を研究し、卒論でとんでもなく優秀な成績を叩き出した人を知ってますし、「岡田准一くんが好きで、岡田くんが演じた黒田官兵衛にはまり、その結果、史学科へ合格し院へ行った」なんて人もいます。

歴史学者のなかには、心底ゲームやドラマを楽しんでいたり、論文を無料で自分のサイト内で公開されてたりする方もいます。歴史学の楽しさをわかってもらおうと一般人の間を一生懸命埋めておられる方がほとんどです。

ちなみに私は今回の大河は、人間ドラマ、ポリティックス・ドラマとして楽しんでいます。

そんなわけで気分を切り替えて感想に行きます。時間がないので短めで。

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