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読んだ本や思ったことの記録

2022年度大河ドラマ 第27回 感想メモ

エドワード・サイードの「オリエンタリズム」によれば、自己と他者を区別する過程で、ある他者を「どうせこういう存在だろう」とレッテル貼りし、ステレオタイプ化し、「こういう行動しか取らないだろう」と決めてかかるところから差別が始まるのだそうです。

愚管抄は無理して日本古典文学大系を買わずとも、こちらのサイトで原文のほとんどを読むことができます。

www.st.rim.or.jp

また、現代語訳は講談社学術文庫から出版されており、アマゾンで買うこと+Kindleで読むことができますよ。興味のある方は是非。

歴史ってどんな楽しみ方をしてもいいし、私は知ってる人に「薄桜鬼が好きだから」幕末を研究し、卒論でとんでもなく優秀な成績を叩き出した人を知ってますし、「岡田准一くんが好きで、岡田くんが演じた黒田官兵衛にはまり、その結果、史学科へ合格し院へ行った」なんて人もいます。

歴史学者のなかには、心底ゲームやドラマを楽しんでいたり、論文を無料で自分のサイト内で公開されてたりする方もいます。歴史学の楽しさをわかってもらおうと一般人の間を一生懸命埋めておられる方がほとんどです。

ちなみに私は今回の大河は、人間ドラマ、ポリティックス・ドラマとして楽しんでいます。

そんなわけで気分を切り替えて感想に行きます。時間がないので短めで。

 

■実衣ちゃんと結城朝光

北条義時三浦義村畠山重忠と並ぶ実力者の結城朝光が意外なキャラで登場しました。

「結城七郎は琵琶の名手。京都で通用する腕前です。教え方も上手なので、きっと、義姉上も気にいるはず」

思ったより闇落ちしておらず、ただ全成との夫婦関係が傷にあふれたものとなった実衣ちゃんの琵琶教師としてです。
実衣ちゃんはやっぱ強い。さすが私の推し。姉との関係は崩壊し、夫との関係は痛みにあふれたものになっていますが、その芽生えてしまった野望を昇華すべく音楽、琵琶を始めたのでしょうね。

もし、泰時の世になって、北条の一族の中で生き残った実衣ちゃんが甥・泰時と弟・時房の前で自分の家族の栄光と、愚かさと、醜さを琵琶の音とともに歌い出したら私は感動で泣いてしまいます。

畠山重忠が朝光を仲介した、というところに深みを感じました。1187年、畠山重忠に謀反が疑われた際、結城朝光は彼をかばうからです。
ドラマでは書かれませんでしたが、1184年はまだ義高を殺して泣いていたはずの義時が、1189年、冷徹に策を弄して義経を追い詰めた変化、そして、義村を差し置いてもなるべく重忠のそばにいようとする義時の姿勢から、おそらく畠山重忠の謀反疑いは義時の心に大きな影を落としているのではないかなあ、と妄想しています。
今回、琵琶の師を引き受けたのは、比企と北条の対立が鮮明となるなかで、結城朝光としては比企と表だってことを構えたくはないけれども、北条家とつながりを持っておきたいという政治戦略なのかもしれません。

実衣ちゃんが朝光を気に入ったのはわかるとして、朝光としては実衣ちゃんにどういう感情を抱いていたのかなと思います。
尊敬する畠山重忠から用事を申し付けられてルンルンで行ったら、そこに御台所の妹が琵琶持っていたのだからびっくりしたことでしょう。しかも御台所の妹は「楽人が奏でるのが素晴らしいので琵琶を譲り受けた」「やってみると難しい」とはにかみながらいう可愛らしい美女。
強キャラ御台と冷徹義時の妹がこのお方、とギャップに驚いたかもしれません。

「琵琶の名手といえば、唐の国の楊貴妃。絶世の美女にこそ、琵琶は似合います」

意味不明なセリフを残して琵琶を奏で始めます。教え子であり鎌倉殿の叔母である実衣を持ち上げるならば、もっと直接的なセリフがあるはずです。そうではなく、実衣から目を離さず、なにか熱に浮かされたようなものを感じました。
実衣は朝光の琵琶の音に、汚泥の中で光を見たかのような穏やかな顔をしています。
もし鎌倉殿の世界観で、結城朝光が主人公の小説があったなら、実衣は朝光にとって忘れがたいポジションとして描かれそうな鮮烈な出会いでした。

朝光は妖しいんですが、あまり「不倫」を匂わせるいやらしい感じを受けないというか。脚本がうまいなあと思うのが今回の「不倫」描写の凄いところでした。
今までの実衣ちゃんの悲惨な仕打ちを見ていると、そして唯一の心の支えとなった全成が硬く心を閉ざしているとなると、それは琵琶にすがりたくもなる、そしてその琵琶を教えたのが北関東の実力者であった結城朝光であった、と。

琵琶で繋がる師弟関係にも見えるし、それ以上にも見える。けれど朝光と実衣の絆は深まっていくんでしょう。

■太郎を奪われた義時

義時がキレました。大声を出したのではなく、静かにキレました。
そりゃそうだよなあ。最後の最後。誰も信じられなくなった頼家は義時と頼時の親子を引き離します。

宿老達に対抗する若手勢力に頼時を抜擢します。そして時連を若手勢力の長とします。山本みなみ先生やさかい先生の本では、義時と時連(時房)の間に水面下で対立があったことを示唆されていますが、今回、そうなるかもしれないと思わせる一幕でした。
せっかく頼家の守り刀として頼時と時連を派遣したのに、その二人を使われて自分たちに対抗する刃にしたのですから。
まあ義時も義時なんですけどね。今の頼家と頼朝を比べてはいけない。叔父にだけは、比べられたくなかったでしょう。
頼家にとって「頼朝と比べて自分はどうなのか」という話は、父が信じていなかった御家人から聞いても本気にしなくて済むものでしょうが、頼朝に十三歳の頃から育てられたようなものである義時がそれを口にした時、頼家としては逃げ場がなくなるからです。「裁定」「判決」のようなもの。
頼家は必死で頑張っているのに、叔父は軽率に「裁定」を下した上、「あなたのやりやすいように仕組みを作るのだ」と言い放ちます。梯子を外されたような。
受験のために勉強を空回りしながらでも必死で頑張っているのに、「頼家様のために裏口入学枠を用意してもらいました」と言われたような。
何重にも「お前は無能だ」と宣言されたと複雑な感情が渦巻いて、恨んでも恨みきれないでしょう。

頼家の愛おしくも愚かなところは、そこで自分の殻に引きこもってしまうことです。
政治の世界で13人の宿老と対峙しようとせず、幼馴染である頼時をはじめ、蹴鞠仲間+学友ポジションであった若い側近達とともに政治ゴッコにふけってしまう。
挙げ句の果てには、蹴鞠仲間+学友ポジションであった若い側近たちとそのまま蹴鞠をしていればいいものを、経験豊かな宿老と対立するように持って行ってしまいます。
頼家の世界は狭い箱庭で、おそらくその世界に頼時くらいしか入れないのではないかと思います。
妻達でさえ、身近な人間のほとんどは頼家の感情を理解しようとしませんが、頼時(と比奈)は理解しています。

「鎌倉殿は、経験がない分、何をどうすればいいのかわからないんだと思います」
「困った時ほど助けてくれといえない性分なんですよ」
「何をしても頼朝様と比べられますしね」

頼時の「何をしても頼朝様と比べられる」「経験がない分、何をどうすればいいのかわからない」を真に理解せず、「頼朝様と比べられるなら頼朝様が苦労した話をすればいいじゃん」「経験がないなら補助輪死ぬほどつければいいじゃん」と発想した義時は頼家の地雷を踏んでしまいます。
ここがリアリスト・義時の弱点なんですよね。「ないなら補う」「できないなら出来るように工夫する」「ともかく現実を見る」、これが人の心を盛大に壊す場合があります。今回の頼家がそうでした。
盛大に傷ついた頼家は、おそらく義時への嫌がらせを考えついたのでしょう。頼時と義時を引き離せ、と。

義時は最愛の息子が目の前に現れた時、その姿から目が離せず、顔色を変えました。
ひさかたぶりに……、かなりお怒りになっているご様子。
しかし、その怒りの矛先はよく見ると頼家ではありません。義時の視線の先に景時がいました。

頼家を混乱に貶めたのが景時だったからです。最初、景時は「頼朝が信じていたのは自分だった」と述べて頼家の信頼を勝ち取ります。しかし、景時は「私心なく」働きつつも自分有利に頼家を誘導しています。さらに景時は周囲から嫌われており、景時の意見を採用するとこで頼家の評判は落ちて行ったのです。そして頼家は自信をなくし、誰にも助けを求められなくなるほど孤独になっていきました。
その末に、ただの頼家の蹴鞠仲間・護衛だった頼時がいきなり宿老達の前に出されているのですから……。
頼時第一主義で聡明なパパとしてはキレますね。景時殿、朝光を介さず死ぬ可能性が。

あの、頼時に女になってもらって頼家の御台所にすればいいんじゃないでしょうか。そうすれば比企は地位を失い、北条一強となります。頼家も自分のことしか考えない妻妾ではなく、頼朝に対する政子のように、自分を理解し尽くした人を御台所に迎えて安定するはずです。
どうして頼時は男に生まれてしまったんだ……せめて同性婚を認めろ……。初が好きらしい?頼時としてはちょっと不本意?かもしれませんが頼家への頼時の輿入れがいちばんの鎌倉安泰の道だ……。

しかし、「御台」のパパの義時がむちゃくちゃ婿舅問題を起こしそう。