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読んだ本や思ったことの記録

2022年度大河ドラマ 第21回 感想メモ

20話までが「源平合戦」の話だとすれば21話からは22話から紡がれるであろう「鎌倉幕府」の話との切り替えのほっと息抜き()の回であったと思われます。

息抜きにしてはフラグを建てていく作業を忘れない製作陣、本当に無駄のないドラマ作りだと思います。とはいえなんだ、今までのどの話より心が折れたわ(褒めてる)

オタクが咆哮しているメモです。続きは追記にて。

■子供でいられた時代の終わり

義時が「子供」を卒業する時が来ました。

小さい頃から知っていて、時には衝突し、体を揺すられ、腐った餅を贈りかけ、stkのように贈り物をし続け、時には悩む姿を支え、そして和解してからは彼を優しく見守ってくれた年上の妻・八重さんは彼岸へ逝きました。ここからは戻れない修羅の道を歩んでいくのでしょう。

源頼朝の最初の妻であった八重姫と北条義時の最初の側室であった阿波局をドッキングさせたのは考証の坂井先生の想像の翼を広げた仮説ですが、物語はその仮説に深みを持たせました。単に頼朝と恋愛しただけの悲劇の女性は、義時と結ばれて北条泰時を生み、「鎌倉幕府」の成立そのものの根幹に関わっている女性となりました。

このような改変は非常に歴史人物に無礼であるという意見もあると思います。でも、今回の場合はどうなんだろうな、と思うところが私の中ではあります。

歴史上の八重姫は「はぁ?」と思っているかもしれないけど、「平清盛」の、父が我が子をその手で殺した時の八重姫の耳にこびりついて離れない悲痛な絶叫、慟哭、その後、頼朝がなんだかんだ政子に流れてしまうこと、おそらく姫は後追い自殺をしたことを考えると。

こちらの八重さんは幸せにしてくれる人に出会って、もう一人子供が生まれて、充実した日々を送れてよかったと心から思います。頼朝の「妻」で千鶴丸「母」、と語られる人生なのではなく、彼女も怒って笑ってどんぐりを投げて後から入ってきた政子に敵意を燃やし、父兄の死を見つめて義時の向けられた思慕に困惑し、その思慕を受け入れて、再び新しい命を宿して、その子と幸せに暮らせて。頼朝は義弟と元の妻が幸せになっていくその姿を見守って。みんなが幸せになりました。

「わしは本当に、あれの幸せを願ってるだけじゃ!」

たぶんこの頼朝の言葉は本心だったのではないでしょうか。自分が愛してしまったというだけで不幸にした女を、自分の信頼する愛しい弟(義弟)に託す。予想以上に幸せになっている姿にはちょっぴり嫉妬もあったかもしれません。でも頼朝は、5年以上の月日があったにもかかわらず、そしてあちこち飛び回って留守がちの義時より、鎌倉にいる自分の方が八重さんのそばにいたにもかかわらず、八重さんに手出ししてません。

なんだかんだで律儀なところがあるのが頼朝の良いところだと思います。

さて、義時の妻・阿波局は「阿波局」でさえないかもしれないというお話があります。

泰時の父が有名であるのに反し、母のことは全くわからない。或る系図は官女阿波局を母としている。しかし『吾妻鏡』以下のより信用しうる記録では、阿波局は時政の娘、したがって政子や義時の姉妹で、泰時には叔母にあたる人物である。彼女は(略)阿野全成に嫁している。(略)政子の庇護を受け、政子と北条氏のために働いている。いかにも北条家らしい女性である。この阿波局と別に、泰時の母の阿波局がいたとは思えない。といって義時が姉妹と結婚する筈もなかろう。阿波局が母のように泰時を養育したというほどのことは考えられるが、結局泰時の母が誰であったかは、知るよしも無いのである。(上横手雅敬北条泰時吉川弘文館、p5~6)

のちに武家政治を確立する義時・泰時に最も近い女性でありながら、名前さえ定かで無い「彼女」が八重姫を救い、八重姫の時間と宿命を止めて幸せな時間を差し上げていたと解釈するとエモい。名もなき女性が、歴史上とんでもない悲劇に見舞われた女性を必死で守った、これから来たるべき宿命を伸ばしてあげた構図なのだと私は思います。

それがこの一言がきっかけでまた「八重姫」の運命が動き出してしまったのかもしれません。

「金剛を見ていると、自分が幼かった頃と重なる。利発なところも、大人びているところも、顔も、よく見ればわしに似ておるぞ。万寿より似ておるのではないか?」
「いやそれはやはり、万寿様の方が似てらっしゃるでしょう」
「そうかなあ。金剛にも似ておるがな!」

この期に及んで頼朝は、八重さんを「阿波局」ではなく「八重姫」に戻してしまいます。

金剛にお目見えした頼朝は、金剛を自分の子だと匂わせ始めます。そのときの義時の気持ちを考えると、「これは頼朝の死は暗殺で、犯人は義時というふうに描かれてもいいぞ」と思ってしまうレベルでしたけども、とってもひどい!
好感度が上がると死んじゃうこの物語の理をしった頼朝が寿命を伸ばすために身近な人間にパワハラ+セクハラし出したとしか思えない。

思えばこの発言こそ、最大の死亡フラグだったのかもしれません。
伝説上では八重姫は頼朝の子・千鶴丸の後を追って川に身を投げたと言われています。

せっかく阿波局になることによって止まっていた八重姫の宿命が、頼朝が彼女を思い出したことによって再び始まったような感じがあります。
幸せな時間は終わって、八重さんは宿命を成就させるために千鶴を追いかけて川へ飛び込んでいきます。

でも八重さんにもその悲劇を招き寄せてしまう要素はありました。奇しくも次男の金剛が指摘しています。

「母上は、金剛の母上です。私だけではだめなのですか?」

「私だけ」では「だめ」なのかと母親のどこか空虚を問うているような金剛。八重さんにとって千鶴を失った心の傷はたとえ金剛が生まれても癒されるものではないのです。兄の存在や、兄の名前も知らないだろうに、そこまで見抜ける金剛の聡さを感じました。

「でも、あなたが一番大事」

このハグのシーンは今までのこのドラマの中でも最高に可愛らしく微笑ましいシーンだったと思います。ここは阿波局として生きていく覚悟をあらわしたものなのではと思いましたが、その覚悟はあえなく散りました。

 

余談ですが。

「だからわざと、人が嫌がるようなことをするの」
「いけないことですよね」

さて二十数年後、和田合戦で和田義盛を散々挑発した義時がこの映像を見たら「ぐああああああ」ってなってしまいそうなシーンもありました。金剛は泰時に成長しても、「いけないことですよね」と父上に突っ込んでいっていただきたいものですね~!

 

■北条家

「待望の男子じゃ。みなりくを褒めてやってくれ」
「跡継ぎが生まれ、これで北条は安泰でございまちゅ~」

北条家に争いの火種となる男子が誕生しました。牧の方(りくさん)の男子・北条政範です。りくさん、とても嬉しそう。

どのくらい争いの火種となるかというと、歴史の本を引用してみましょう。

政範が一時、嫡子として遇されていたことは、その官位から明らかである。政範は、建久元年(一一九〇)に誕生すると、元久元年(一二〇四)四月、十六歳にして従五位下に叙せられ、左馬権助に任官した(『明月記』十三日条)。一方の義時は、その前月に、従五位下に叙せられ、相模守に就任しているが、すでに四十六歳である。将来的に、北条氏の家督をめぐり義時と政範が敵対することは、火を見るより明らかであった。(山本みなみ『史伝 北条義時小学館 p.186~187)

このメモでも散々義時に「後継者としての自覚はあるのか」とキレて(?)きましたが、政範の存在があるからなのですよね。

当時の家督は流動的なものだったとされ、流動的ゆえに家督争いが勃発しやすいのです。

そりゃ昨日まで嫡男のつもりだったのに新しい妻に子供が生まれたから今日から嫡男ではないと言われたら、「はああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~??(武具を磨きつつ)」ですもんね……

そこで疑問になってくるのが「年上・鎌倉殿からの信任・実力、と家督争いにおいてはアドバンテージしかない義時が水面下の家督争いに巻き込まれた理由は」ということ。
歴史学的には、「義時は『江間』を相続していたんだから北条を継ぐ必要はなかった。本来の後継者は政範・ないしは義時の次男の朝時と考えられていたようだ」とか、「義時は『江間』(略)った。本来の後継者は義時の弟の時房であった」とかいろいろと検証の真っ最中のようです。

ドラマでは検証中の諸説をやんわりと採用し、「義時は若い頃家督についてガツガツしていなかったので、時政もりくもナメてしまった」「過去、北条家はお互いの距離が近く、話し合えばなんでも解決した程度の良好な仲だった」と義時個人の性格や北条家の気質にも大きな比重を負わせています。

義時と政範が対立するのではないかと気づいたのは北条家のレーダーこと実衣、前述の義時の妹の方の阿波局です。彼女は兄の義時に意味深な視線を送ります。それに気づいて義時は実衣を睨みます。

「……めでたいではないか」
「……めでたいですね」

この言い方、義時と実衣のざっくばらんで「the兄妹」という関係を知らない人からすると、兄妹で腹に一物あるような声のトーンにしか聞こえません。

単に妹が家督相続から外されることになったらしい兄を「だってよwwww」とからかっていて、兄がそれに「何なんだよ」というだけのじゃれあってるシーンなのですが、何も知らない人が見れば「やっぱり義時は家督相続に不満があるのかな」「実衣は義時に後継者になって欲しいのかな」っていうシーンにもなっています。

 

■母上は何がそんなにお気に召さないの

義時という押しも押されぬ年長の功績を出しており、御台である政子と良好な関係の弟である男子がいるなか、北条家の中でも異物扱いされ続けるりくさんは内心で鬱憤をため、我が子(男子)を生んだ気の緩みからか、その負の感情を吐き出してしまいます。義時や政子の中に内在する時政の前妻の面影への嫉妬も……ちょっとはあるかもしれません。

そのはけ口は八重さんや時政の娘・ちえと婚姻を結んだ畠山重忠へと向かいます。

背景を知っている人にも知らない人にも胃が痛くなるような展開が。

「畠山殿。近頃、比企殿だけをひいきされているように感じるのは私だけ?」
「奥州攻めでは、あちらはたしか……、総大将のお一人でしたよね、小四郎?」
「畠山殿。あなたもね、北条の婿としてもっと目立つ働きをなさらないと」

一見、婿が姑にきりきりきりきりといじめられているように思います。

でも、背景を知るともっと胃が痛いです。畠山重忠は奥州攻めで先陣を務めており、その勝敗を分けた阿津賀志山の戦いで勝って奥州勢を総崩れにさせた、「目立つ働き」しかしていません。ドラマ内でも重忠はちゃんと「見栄え」を重視されて「目立つ作業」の従事をしていました。

「いじめの対象」を決めてしまった人間は必ずそうなのですが、この背景を見るとりくさんはきっと重忠が何をしても彼を認めることはないし、どれだけ功績を立ててもいちゃもんをつけてくるのだとわかります。もうそういう風に彼女の頭が決めちゃったんですから。生理的嫌悪というやつですね。

「気の強い姑に何か言われているイケメン」レベルの話ではなく、吾妻鏡を読んでみると「すべて不満と鬱憤だらけの『強者女子』のなかでいじめの対象が決まる瞬間」を見させられているとわかります。

それが義時でさえ重忠をかばいきれなかった「今後」の「心理的要因」になってくるんじゃないかなあ。

対象となった八重さんや重忠は、「見栄えの良い優等生、内心プライドが高くて気が強い人」です。りくさんはこういう人を攻撃しやすいんじゃないか、と勘ぐっています。同じく婿である全成は源家の人間ということもあるでしょうが一切槍玉に上がっていません。そしてりくさんは北条家の血を有するメンバーはdisっていません。北条家の誰かを悪くいった瞬間に、時政の寵愛を失うことは目に見えています。

今回、八重さんがいなくなった以上、重忠に八重さんに振り分けるはずだったりくさんの攻撃が来ると考えて良いかもしれません。

「子供達と一緒に作りました。草履はいくつあっても良いかと思いまして」
「まるで私がいつも古い草履を履かせているみたいね」
「そんなつもりは」
「うそですよ。気にしないで」

ここで胃がバッキュンバッキュンしました。こうやっていじめて困らしつつチャーミングな姿で謝るのは~~~、そういうスイッチが入っちゃった人の~~常套手段!!

とはいえりくさんのAN/SPY-1レベルのレーダー機能がないと北条家に迫り来る脅威も察知できないわけで。りくさんはすでに比企が北条に対抗意識を抱いていることを看破し、こちらも何か手を打たなければならないと警告しています。ただ警告の仕方に私情が入っちゃう。りくさんとしてはたぶん、

①軍事的手腕の期待できない義時にかわって重忠を政範の守りにしたい
②万寿に嫁がせられる北条の女子をつくるべく、八重さんには孤児の世話ばかりでなく金剛の妹を作って欲しい

あたりが私情の入ってない思惑になるんじゃないだろうかと思います。

たしかに戦争は一段落して、義時も家にいるようになりました。はっきりとは言いませんが時間に余裕もできて、おそらく彼も次の子を望んでいるはずです。(あのハグシーンはベッドシーンの暗喩だと思っています)

 

ここからは妄想なのですけど、八重さんがごく妊娠初期だったとしたらひたいの吹き出物は散々言われている白毫の比喩であると同時に妊娠初期ゆえの肌荒れとも解釈できます。また川の中に倒れてしまったのも低体温症ゆえかともおもいましたが、お腹の子を流産した痛みかもしれないとも思いました。

ただこれは妄想です。でも金剛に妹ができていたとしたら、義時は幸せな生活を取り戻そうと新しい妻を迎える心理的動機ができるはずです。ゴットファーザーのマイケルみたいに。

もう来週の予告に正室・姫の前こと比奈が出てきているので……早いよ……八重さんの喪失を……味わいたいよ

マイケルはアポロニアとともに人間としての感情が爆死しましたけど、義時も八重さんとともに人間としての感情が川に流されたり……するのかなあ。しそうです。

 

■13人揃いました

今回、13人のうち、出てこなかった八田知家がでてさりげなく「13人」が揃いました。

13人が揃った以上、やはりここからは「鎌倉幕府」の物語となっていくのでしょう。ただ、八田知家は義時と初対面ではなく、「小四郎」と義時を親しげに呼び、知家が拾った子供を義時邸に預けるような間柄であるようです。歴史上では八田知家は義時とともに源範頼の軍に参陣しています。

ずっと気にはなっていたんですが、きっとこの物語は視聴者に、ごく一部しか見せられていないのではないかと感じます。

その一つが、八田知家が総大将の一人を務めた奥州征伐。奥州征伐は北条家の戦功が無いため(たぶん)ナレーションで済まされましたが、奥州のことを聞かれると、小用に立ち去ってしまった三浦義村の微妙な反応から、いろいろとあったのだろうなあと思わされます。

さて何が義村にあったのか吾妻鏡を紐解くとちょっとわかります。

義村は先陣を務めていた畠山重忠と一緒に奥州へと向かいましたが、阿津賀志山の戦いにおいて、戦功に焦って他の人たちと抜け駆けします。ところが一人が討ち死にし、ほうほうの体で首を取ったり、仲間二人が将来を誓い合っちゃうくらいとんでもない戦況となります。さらに重忠はこの義村たちの独断の動きに対し、「私が先陣を仰せつかっているのだから、全部私の功績になる。それに、先に進もうとしている武士を妨げるのは武略の本意ではない」と泰然と言い放ちます。繊細な心でみれば叱りもせずただ泰然としている重忠に腹が立ってきまry

そのあと、義村は父親の義澄の手元に戻されて父親と行動しています。

この話を前提にすると、義時のことを尋ねられているとはいえ奥州で何かあったのか聞かれたら不機嫌になってしまうでしょう。しかし、ここでも義村は「感情的になると何かを失う」ということを痛感する羽目になってしまいます。うーん、先陣の時も感情的になったので仲間の一人を亡くしました。こんどはその傷を思い出したくなくて感情的になったら親友の妻を亡くしてしまう。

そうだとするなら、あんまりに義村に厳しい展開です。

 

■まとめ+天罰のリフレイン

・義時が子供ではいられなくなっちゃう
・北条家がギスギスし出している
・りくさんと畠山重忠
・物語は視聴者に、ごく一部しか見せられていないのではないか

さて、今回リフレインされていたのが「天罰」でした。

土を動かしてはいけない土用の日に頼朝の命令で土木作業をしていた八田知家に対する土肥実平のセリフとか。

「あんなことをして大丈夫なのか。バチが当たらなければよいが」
「バチが怖くないのか」「何かあるとすれば向こうの方だろ」

頼朝に諭される義時とか。

「己のしたことが正しかったのか、そうでなかったのか、自分で決めてどうする。決めるのは天だ」「バチが当たるのを待てと」「天が与えた罰ならばわしは甘んじて受けよう」

実は義経ファンであるところの畠山重忠のこの一言とか。

「九郎殿を裏切った泰衡が滅びたというのは、まさに神罰

義経強火担の梶原景時のこの一言とか。

「これも定めか」

その神罰、天罰という言葉がどういうふうに義時を来週襲っていくのか。いままでの様々な謀略や殺戮に関して彼は「神罰を受けて当然の行い」と思っているようですから、八重さんの死をどう解釈するのか震えます。