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読んだ本や思ったことの記録

2022年度大河ドラマ 第26回 感想メモ

長いプロローグが終わり、本章がようやく始まります。というわけで感想は追記から。興味のあること三つだけ。

 

 

■鎌倉あっての北条

「しかし父上は、北条あっての鎌倉とお考えですが、私は逆。鎌倉あっての北条。鎌倉が栄えてこそ、北条も栄えるのです」

私はこの義時のセリフに泣きそうになりました。
大河ドラマ太平記」では義時の子孫の北条高時が、

「くどい! 鎌倉あっての北条、鎌倉あっての高時ぞ。わしは動かん」

と義時と同じ言葉を吐いて北条一族全員と壮絶な自害を遂げるからです。
太平記」では逃げもできないプライドだけが高い愚将とも取れる描写にしてある一方で、高時の鎌倉で骨を埋める覚悟を端的に示してありました。

高時の「鎌倉あっての北条、鎌倉あっての高時」という言葉は実は祖先が、父との決別を宣言し、父の魔の手から鎌倉を守るために半ば目に涙をためて発した言葉であると考えると、「太平記」「鎌倉殿」、どちらを見たときにも心に響くでしょう。

太平記」と「鎌倉殿の13人」は「北条時宗」とともにセットで見るべき「鎌倉三部作」といえる大河だと思います。

順番は放映順通り「太平記」→「北条時宗」→「鎌倉殿……」の順だと一番エモい……。

「斜陽の鎌倉幕府。名門・足利家の御曹司である足利又太郎は執権北条高時の手によって元服し、足利高氏と名乗る。それは彼の、長く苦しい戦いの始まりであった。
尊氏の死去の約100年前、鎌倉中期。正寿丸は異母兄の宝寿丸と鎌倉の街を散策していた。それが、北条時宗にとって最も幸せだった時期だと知らずに。
さらに時宗死去から約110年前の伊豆。平和な宴の日。ある少年は、初恋の女性に関する意外な事実を知る。
幸せとは何か、自分の人生をかけて挑んだそれは果たして彼らにとって何だったのか。鎌倉三部作、開幕」

とかいうとちょっと素敵。

■実衣ちゃん、闇落ち

「騙されちゃだめよ」
「実衣」
「すべてお見通しですから。結局、姉上は私が御台所になるのがお嫌だったんでしょ」
「何をいっているの?」
「そうに決まってる。私が自分にとってかわるのが許せなかった。……悲しい。そんな人ではなかった。力を持つと人は変わってしまうのね」

実衣ちゃんを演じる宮澤エマさんの声の演技に震えました。今までの彼女と違う、甘ったるく妖艶な声。

これは闇落ちでしょう。20話からの義時は元々あった大蛇の片鱗が姿を現しただけですが、実衣ちゃんは大蛇に取り憑かれてしまいました。政子の「実衣」という声からは、信頼する可愛い妹に言葉のナイフを突きつけられたショックというより、まるで妹が「実衣ではない何か」になっているような、凍りつくような恐怖を覚えているように見受けられます。

政子のみならず、義時も何も声を発することができないほど驚愕し、戸惑っています。

実衣は、「北条家の影の良心」でした。
兄二人に姉が頼朝にぞっこんだぞと告げ口して大騒動を起こさせ、新しくきたりくに胡散臭さを覚えて、挙兵にはひどく動揺し、大変な姉を根気強く支え、真に愛する人を見つけて静かに愛を育み、亀の前事件の時は「祭りがきたゾォォ~~!」とばかりにさんざん楽しみ、後継問題で矢面に立たされる10秒前の兄をからかうなど、姉や兄に寄り添い、北条家を明るくしている要因の大半が実衣でした。

だからこそこの闇落ちは、視聴者としても辛いものがあります。そしておそらく政子と義時にとっては、実衣の意外な反応は、頼朝の死に比肩するほどショッキングな出来事だったのではなかろうかと思います。私は「死ぬな」とわかっている頼朝の死よりも喪失感があります。もう二度と北条家は元に戻らない。わかりづらくも姉兄想いで、良心的な存在だった実衣は失われました。

でも、私は個人的に、「よくここまで持ったな」って印象があります。あまり多く語れないので実衣と義時の関係を考えてみましょう。

そもそも実衣は、というより実衣と義時(と宗時)は一話ではこんな仲良しの兄妹でした。

「兄上」
「なんだ」
「やっぱり佐殿。離れ屋の客」
「誰にもいうんじゃないぞ」
「姉上」
「姉上がどうした」
「ぞっこん」
「どういうことだ」
「雅なお人が好きだから」
「ふははは!考えもしなかった。これはひょっとしたら政子は佐殿と!」
「勘弁してください!!」

ちゃんと兄二人がかがんで小さい実衣ちゃんの話を聞いているのが可愛いところです。で、「誰にもいうんじゃないぞ」と実衣の行動を制止するのが長兄の宗時、「どうした」「どういうことだ」と実衣の話を分解してよく聞こうとするのは次兄の義時のほうだというのが面白いですね。今とは違います。

義時単体と実衣も。

「姉上が」
「姉上が何だ」
「化粧してる」

やっぱり義時は実衣の話を聞こうとしています。今とは違いますね。

挙兵するにあたって、実衣ちゃんが義時に文句を言っています。

「わかってますよ。わかって言ってるのをわかってほしい!」

そこで彼は妹の愛らしさゆえなのか笑っています。おそらくでも、それが親密だった兄妹の少しずつずれていく瞬間だったのかと思います。
宗時が亡くなり、義時と政子は手に手を取り合って政治の世界に入ります。実衣はおいていかれたのです。

実衣は少しずつ継母との関係が悪化していました。実衣は胡散臭いりくに疑念を深め、りくは政子には厳しくも優しく接する一方、不思議なことに、実衣には「気分悪いわ」など、少女に言ってはならない言葉ばかり連発します。しかも、「あなた」と名前も知らないような扱いをしてほぼ邪険にしています。
政子にとっては必要だったりくとりくの兄による行儀作法の教室も、実衣にとっては苦行でしかありませんでした。行き過ぎた躾は虐待とつながることを考えると、かなり危うい描写です。

兄の義時や姉の政子が政治に忙しく、灯台下暗しで、まったく実衣への「それ」に気づかなかったところこそ、北条家の崩壊のフラグ立てだったと思っています。

優しかった兄も忙しくなり、一緒にいるはずの姉は御台所として妹個人の問題に構ってられない。彼女は「それ」を吐く相手がいませんでした。全成しか。

「りくさんだってよくわかってないでやってるの。知ったかぶっちゃって。赤い色を身につけると運が向いてくるっておっしゃいましたよね」

実衣は兄や姉と違って鎌倉入りなど辛いことしかなく、継母との関係も最悪で、運に縋らざるを得ないほどひどく悩んでいました。
相手が実衣に色ボケてしまって適当を言っている全成でよかったと思います。これが道元とか栄西とか法然という偉大な宗教指導者だったら、父や兄や姉が制止する中で、出家しているところだったかもしれません。
実衣は実のところ、一見そうは見えないけれど北条家がのし上がるにあたり最も苦しめられた子、なのでしょう。

全成と結ばれたからこそ悩みが深くならずに済んだのでしょう。あとは姉と兄への愛。

「姉上が御所にいないのをいいことに、ひどい話!」

と兄に頼朝の浮気を語る姿は元気そう、もとい姉への愛に溢れていました。

「兄上は昔から八重さんがお好きでしたから」
「知っていたのか!」

と兄の恋路を見抜いていた姿は楽しそう、もとい兄への愛に溢れていました。

でも兄と姉は政治の世界に入ってから、実衣が兄姉にするのと同じように彼女を慮ったそぶりを見せませんでした。政子も義時も、「実衣は大丈夫なのか」「実衣はどう思っているのか」という言葉を発していません。

「そんな人ではなかった。力を持つと人は変わってしまうのね」というのは実衣ちゃんにとってはどう考えても真実です。伊豆にいたとき、義時は実衣の話をよく聞いていたし、政子は不満募る実衣の声を聞いていました。

しかし、鎌倉に入ってからはそんなことはなくなりました。

「姫を連れていけ。早く!」

十七話で実衣に理不尽に怒鳴る義時はかつての「姉上がなんだ」と言っていた頃の彼とは違っています。

そして、今回の政子。実衣の、自分と周りのことしか考えない恬淡とした性格を知っていたはずなのに、頼朝の死で頭がいっぱいで、その死を想起させる言葉は受け入れることができず、「あなたに御台所が務まるものですか。あなたには無理です」という言葉を吐いてしまいました。この言葉を受けた実衣からすると、姉が変わってしまったと絶望してもおかしくありません。
そもそも父と大嫌いな継母に強要され、夫とともに身を寄せ合うように二人で震えながら鎌倉殿と御台所になる覚悟を決めていたのに、あんな拒絶の仕方をされたら誰だって心が病むというものです。

もともと実衣は鎌倉入りの時点で悩み深く苦しんでいたのですから、大好きな姉が変化したと認知した時、心が闇に塗られていったとしてもおかしくないのではありません。

政子と実衣の仲は崩壊してしまいました。あとは義時が心を入れ替えて実衣の話を1日コンコンと聞き、闇から救うしか手がない気がするのですが……。

たぶん実衣をみて伊豆に帰りたくなったんじゃないかな……伊豆に帰ったところで何が変わるわけでもないのに。義時よ……。

 

■名探偵頼時くん

「思うのですが、鎌倉殿のお召し物は肩のあたりが汚れていたようです。つまり馬から落ちたとき、手をついておられない。そこから考えると、鎌倉殿は先にお気を失われ、馬から落ちたのではないでしょうか。……けして、振り落とされたわけではありませぬ」

頼朝の死を、一人静かに涙を流して悼んでいる父親のところに音もなく現れた頼時満十五歳。早口かつきょどりながら上記の推理を述べて去って行きました。
さすが!日本屈指の名宰相北条泰時!!といいたいところですが、どう考えても父が墓の前で呆然としている、そんな空気じゃないところで目を泳がせながら、いきなり「思うのですが!」と言うの、ちょっとおちつけ。

さて、なぜいきなり頼時は父親のところに現れて名推理を披露していたのか。坂東武者のおじさんたちが怖かったからではなかろうかと。

「馬に振り落とされたらしいぜ。武家の棟梁が情けない」
「寂しいお方です。心の底から嘆き悲しんでいるのは、お身内を除けばごく一握り」

優しそうだけどドライで性格の悪さが随所に出る父に似ないで、この物語でも稀に見る、心底心優しい知性派である頼時はおそらくショッキングだったんだろうなと思います。
貞観政要など統治に関する書物を読んでいればなおさら。坂東武者のおじさんたちである義盛や重忠は頼朝を心底受け入れて忠誠を尽くしているわけではなかった、と頼時は人の心のアングラを知りました。

そして父がもしこのアングラを知っていたなら大層傷ついているだろうと、父が矢面に立って色々と頼朝の死後のことを淡々と進めているなかで、死者を悼まない声を散々聞いていたなら相当父は精神的にきているだろうなと思ったのではないでしょうか。実際探しにきてみれば、精神的に相当きている父上がそこにいました。
それで推論を披露したのでしょうね。わかりにくい慰め方ですが、なんだか義時がわりとけっこう慰められているのでこの親子は全く!
やっぱり泰時は義時を救う役割を担っているようです。それこそ赤ちゃんの時から。

また、数え十七歳、満十五歳になったばかりの、父の袖の中でのびのびと育っていた少年(劇中の泰時は12月後半生まれなので一年の大半の満年齢が数えの二歳下)がむくつけきおっさんたちの上記の話を聞いて恐怖を覚えたのでは。
まるで泰時の推理は、坂東武者のおじさんたちへの反論のようにも見えます。
憧れの畠山重忠はただの優等生ではなく、本当は腹に一物二物抱えた怖いお人だったのだ、と知った頼時の恐怖というか世界が崩れていく感覚というのはやはり安心できる場所である父のそばに逃げ込みたいものだったのではないでしょうか。

たしかに重忠はただの優等生ではなく、本当は腹に一物二物抱えたしたたかな人、というのは彼を魅力的にさせているのですが、鎌倉幕府があると言うことを前提に育った頼時からすると、義叔父が鎌倉幕府に仇をなす可能性のある傑物だったというのは恐怖でしかないと思います。
たぶん重忠以上に優れた御家人は今のところいないので、頼時は誰かに妄信的な憧れを抱く道を断たれたことになります。広常と義時の関係のように、重忠が頼時の擬似父となることはたぶんないでしょう。泰時にとっては指標となるべき人物が義時しかいなくなりました。健全かつ平穏に義時から泰時が精神的に自立する機会はなくなったということになります。

泰時は父の精神的不安定を何度も救ってきたことから、義時とは特別に親密な関係の親子になっています。さらに母の不在ゆえに義時が母親の役割をこなすこともあります。

なにせ、金剛が酒を勧められた時に「まだ早い!」と喚き、三浦と組むことができるはずの金剛の婚姻話を「いくら何でもまだ早すぎるだろう」と一蹴するような、泰時を囲ってしまう父です。今は大人しくてやや内向的ゆえに泰時も従容と義時の囲い込みに従っていますが、倫理観の高い泰時の琴線にもし義時が触れたらと考えると……。怖い。

義時と泰時の関係も五里霧中です。