もうほんとうに帰りたい② 細川重男著『執権』
歴史の授業を思い出してみると、源平合戦で源頼朝が勝利し、用済みになった源義経を奥州ごと【洗浄音】することで、源平合戦は終りを告げたはずだ。頼朝は征夷大将軍になった。それ以降は若干知識があやふやになってくる
しかし、源頼朝は征夷大将軍になって、たった七年後に急死したらしい。落馬といわれているが、実のところ死因はあんまりよくわかっていない。
跡を継いだ頼朝の息子・源頼家はまだ18歳の若さで将軍になり、以下のように血の気の多い鎌倉武士に囲まれた。
この本を読んでいるが、わからなかったところは随時調べている。
本書は頼家の治世下に起きた事件を列挙している。あまりにヤヴァイので「ヒプノシスマイク」を想起してしまった。
ここの2:40〜などまさにこれから起きることそのままである。
でっち上げの罪 用意をし
ケツ拭けなきゃ即 鉄格子
清濁併せ呑むも宜しい
だが馬鹿はルールが解らんらしい(※ラップ)
このノリで生きている……
1199年、頼家の治世一年目には以下のような出来事が起きているらしい。
安達景盛討伐未遂事件…これは頼家18歳がやらかした。安達景盛という御家人の愛人を頼家が寝取ってしまったことに端を発する痴情のもつれ的な何かである。18歳だから盛っていたのだろう。鎌倉武士は「おっ!?戦か!?戦か!!」と血肉湧き躍ってしまったらしく鎌倉が戦争寸前になった。お母さんの北条政子にものすごく怒られて頼家は景盛を殺すのを止めた。政子が怒ってくれてよかった。鎌倉幕府滅亡の原因が痴情のもつれになるところだった。
この事件は発情してしまった頼家も悪いのだが、ここから先のヤヴァイ展開は頼家のせいとは言えない。
本書では鎌倉武士のことを繰り返し「蛮族」と言っている。それほど常に血気盛んな奴らとして扱われている。
鎌倉武士が蛮族なのか蛮族ではないのか、いろんな意見があるだろうが、以下のわけのわからない抗争を引き起こすエネルギーは血の気が多すぎるとしかいいようがない。
梶原景時弾劾事件、梶原景時滅亡…大河では中村獅童さんがやっている梶原景時が、結城朝光という人の言動についてうっかり頼家にチクってしまったことに端を発する。鎌倉武士はマジでキレた。これ以上ないほどキレた。血の気の多い勇気ある鎌倉武士66名が朝光を救援するために立ち上がる。そして連判状を頼家に提出するのである。
ちなみにこの勇気ある鎌倉武士の中には大河で山本耕史さんの演じている三浦義村、横田栄司さんの演じている和田義盛、中川大志くんが演じている畠山重忠までいる。
たぶん今年の夏頃には山本耕史さんと横田栄司さんと中川大志くんが中村獅童さんを囲んで謎の因縁をつけてむっちゃくっちゃにする図が日曜夜に見られる。
景時の生涯を見るに、彼にも嫌われる要素があったのだろうが*1、一人の人間を66人がディスり出す図。SNSでの炎上に近いものを感じる。
鎌倉時代に生まれたくねえ……
その結果、梶原景時は京都に逃げる途中で死亡してしまう。
さて、北条義時は、僚友3人が梶原景時を目の色変えて散々いじめているというのに、大河の主人公らしくこの連判状作成に参加しなかった。たぶん米蔵にこもりすぎて、3人に「あっ義時忘れた」と誘うのを忘れられたか何かで参加する機会を逸したか、政治的意図があっただけで「弱い者いじめはよくない!」という精神ではないと思う。なぜなら後で述べる通り、彼もえげつないからだ。
1201年、こんな調子の鎌倉武士を従えて、頼家の治世は3年目に突入する。本書によれば2年目はあまり特筆すべき事件はなかったようだ。
城氏が反乱を起こす…城氏何?と思ったが本書に書いていなかった。今の新潟県にいた、平家の残党の一族だそうだ。梶原景時とつながりがあったとかなんとか。城氏の生まれである板額御前という勇敢な女武者が反乱を起こす。かっこいい……///
阿野全成誅殺事件…大河ドラマでは新納慎也さんがやっておられる風を起こしたい坊主・阿野全成が頼家に殺害された。理由は「叛意あり」だそうである。阿野全成は北条時政の娘婿(=盛大にネタバレするが実衣ちゃんこと阿波局の夫なのである)なので、北条家としては「うちの娘を泣かせたな」とキレるところである。
頼家は名君なのか暗君なのかわからないが、統治三年目とはいえ、次々と自分の権威・権力に差し障る事件が勃発し、治世を安定化させることができなかった。
5、比企の乱
もう鎌倉武士、いい加減にしてくれ。
ここら辺で「何で頼家の治世はこんなにも不安定なの?」と思った。だいたい、頼家は将軍就任直後に、その直裁を阻止するために時政や義時を含めた御家人13人から合議制を敷かれてしまっている*2。
しかし、頼家には後ろ盾がいなかったわけではない。比企一族だ。佐藤二朗さんがやっている比企能員が頼家に娘を嫁がせ、そのバックに立っていたのである。本書によれば、この時期の比企一族の勢力は非常に強大だったらしい。将軍を握っているのだから当たり前だろう。
北条家はこの比企一族を倒して武士のてっぺんを取るべく、頼家が病についた隙に、北条時政は自邸に比企能員を誘い暗殺する。
一方の北条義時は父が比企能員を誘殺している最中に、子分息子の北条泰時を連れ、血の気の多い勇気ある鎌倉武士とともに頼家の嫡子の一幡(6歳)と比企一族のいる小御所を襲撃している。
ええ。勇気ある鎌倉武士、つまりお馴染みの三浦義村・和田義盛・畠山重忠を含めたその他大勢の血の気の多すぎるみなさんである。義時、今度は僚友たちの仲間に入れてもらえようで何よりである。
勇気ある鎌倉武士、義時・義村・義盛・重忠その他の皆さんは「比企潰す!」「久しぶりの狩じゃ〜〜!!」「ヒャッハー!」「戦楽し〜!」と言わんばかりに小御所を攻め、比企一族は潰された。
鎌倉武士、ムカついたら6歳児でも容赦無く取り囲んでぶっ潰すのである。
ちなみに義時だが、比企能員の義理の姪がお嫁さんである。嫁の実家を、息子+友達三人+その他大勢と一緒になってぶっ潰してしまった。やってしまった。もちろん離婚した*3。
頼家はその一年後、時政の命令により暗殺された。大事な部分を握られ、首を絞められ刺殺されたという。なにそのすけべでえっちな殺し方 この後の和田合戦でもそうなのだが、北条ってのはやや特殊なプレイが好きなのかもしれないな
こうして義時の妹・阿波局が乳母をやっているので北条家により近い実朝が将軍となる。
……。
お家に帰りたい!!!!!やだーーー!帰らせて〜〜〜!!!
ここまでヒプノシスマイクを聴きながら書いたので何とか書き遂げたが、普通にこれは「パリは燃えているか」を流すべきだ。
800年近く前のことなので実感がわかないが、この五里霧中のわけのわからなさ、世界史で習った、ベトナム戦争、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争、カンボジア内戦、そんな泥沼を思い出す。
鎌倉初期は、まさに「善」とか「正義」とかがログアウトした感じがある。有能な重臣をリンチし、祖父の時政が孫の頼家を殺し、皆で幼児を血祭りに上げる。
しかも、ベトナム戦争はベトナム人が国際政治の都合で北と南に別れてしまったから、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争は民族対立、カンボジア内戦はかつての支配者と現在の支配者との対立、と争う目的がわかるのだけれど、鎌倉初期の場合、どうして彼らがこれほどまでに流血を求めたのか、彼らが何をしたいのか、現代の価値観では推し量れない。
まさに鎌倉には魔物が棲んでいるのかもしれない。
だから逆に本書のように「言ってみればこいつら蛮族だよ!!あっはっは!!」という軽いノリで語られないと、全ての事件の成り行きを冷静に見ることができない。
お家に帰りたい!!!!!やだーーー!帰らせて〜〜〜!!!
義時はその泥沼の紛争の中を勝ち上がっていく。というわけで次は義時が執権になるまでの後編である。
本書ではこう述べられている。
義時は災難に直面するたびに、自身と周囲の人々を守るために戦い、結果的に勝利し続けただけに過ぎないのではないか。
でも、どう考えてもやっぱりノリがヨコハマディヴィジョンである。義時が政争の表舞台に出るようになっても、
「さて今日も飼い慣らしてやろうか権力」
「ここらじゃ誰がマジでヤバいかは一目瞭然」
「尻尾巻いてお家に直帰するのが英断」
感溢れる抗争が見られる。
本書は名言としてこんな言葉を残している。
義時の人生からは、常に「もう帰っていいですか?」という彼のぼやきが聞こえ続けているようである。
以後の紛争を見ると、お家に直帰したかった気分はよくわかる。