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フリードリヒ大王と王妃の文通を翻訳してみよう〜⑤

引き続き、海藻(kaisou-ja)様と十八世紀プロイセン に生きていた、一言では形容しがたい関係の国王ご夫妻の文通を訳しています(⌒▽⌒)

夫→フリードリヒ2世。みんな大好き大王陛下。七年戦争の準備をしている。仕事人間のため、大きな戦争があるとまったく家庭を顧みなくなってしまい、妻にキレられる。つまり今回も怒られた。
妻に対しては偉大ではなくまるでダメな夫、まだお。だが、今回まだおはまだおなりに奮発して、自分の死後の妻の収入源を確保した。

妻→エリーザベト・クリスティーネ王妃。天使レベルの善良さ。どうして大王に耐えて離婚せずプロイセン王妃のなかで最長在位を保てたのかはわからない。
従姉妹が治めるオーストリアが関わる戦争を夫が起こすと、ご機嫌斜めになりがち七年戦争が近い。つまり今回も夫に怒った。
ところが、夫の生前に残した遺言で、自分の収入源が確保されていると知り……✨

ざっくばらんな女系の系図を載せておきます。

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  • 41. A LA MEME(王妃へ)
  • 42. A LA MÊME.
  • 43. A LA MÊME.
  • 44. A LA MÊME.
  • 45. A LA MEME.
  • 46. A LA MÊME.
  • 47. A LA MÊME.
  • 48. DE LA REINE.(王妃から)
  • 49. A LA REINE.(王妃へ)
  • 50. A LA MÊME.

 

追記にしまうことにしました。

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作業するページ⑧

18世紀プロイセンに実在した、一言では形容しがたい仲の国王夫妻の文通を海藻さん(kaisou-ja)と訳しています(⌒▽⌒)


残念ながら、私はたまたま18世紀の王妃様を調べていた時に書簡が公開されているのを見つけたもので、フランス語はおろか、18世紀プロイセンに造詣がありません。豆腐メンタルでもありますので間違いがあれば優しくご教授ください。

 

王様:フリードリヒ大王(フリードリヒ二世

マダムは少しお太りになられたようだな!!!!

王妃さま:エリーザベト・クリスティーネ王妃

あなたに優しさを感じませんわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

という言い合いが魅力的な珍妙なカップルの文通です♡

作業するページ⑦

プロイセンのフリードリヒ大王とその妻のエリーザベト・クリスティーネ王妃の文通を手前勝手ながら海藻(kaisou-ja)様と翻訳したものになります!

当方、フランス語はおろか18世紀プロイセンに造詣がないので間違いなどありましたら優しくご教授いただけると幸いです。

*めも!*

フリードリヒ2世:政治・軍事は天才だけど人付き合いが嫌いすぎて妻に公式行事を任せがち。弟が自分のせいで死んだり七年戦争でボロ負けしそうだったり、あまりにプロイセンが負けるので退位を考え自殺未遂しかけたり、踏んだり蹴ったり。

エリーザベト王妃:人付き合いは上手だけれど政治に関心がないので夫に政治を任せ切っている。あんまりにプロイセンが負けるし、夫が自殺未遂しかけたり、妹の夫が死に、母親も死んだ。踏んだり蹴ったり。

フリードリヒ大王と王妃の文通を翻訳してみよう〜④

18世紀のプロイセンに実在した、一言では形容しがたい仲の国王夫妻の文通を海藻さん(kaisou-ja)と訳しています(⌒▽⌒)

残念ながら、私はたまたま18世紀の王妃様を調べていた時に書簡が公開されているのを見つけたもので、フランス語はおろか、18世紀プロイセンに造詣がありません。豆腐メンタルでもありますので間違いがあれば優しくご教授ください。

*メモ(あらすじとしてお読みください)*

夫:フリードリヒ二世。30歳〜35歳。職業はプロイセンの王様。即位して数ヶ月後に南の大国オーストリアに侵攻する、野心の塊のようなお方。妻のエリーザベトにオーストリアとの戦況を書き送っているが、今までの手紙の中で一番楽しそう。政治の都合でエリーザベトの兄を見捨てた時の彼女に対する言い訳(※逆ギレ)が政治哲学。エリーザベトの弟を戦死させた時のお悔やみの言葉が一行。彼女にキレられて送り直した時の手紙は、子供の言い訳のようである。さすがにエリーザベトの宮殿(シェーンハウゼン宮殿)を素通りしたときは、彼女から高度かつ優雅な反撃(大好物を贈られる)を受けた。
自分たちの間に子供が生まれないため、エリーザベトの妹のルイーゼ・アマーリエを、自分の弟で王位継承順位第一位のアウグストと結婚させる*1
そんなこんなで31通目から40通目では、政治・軍事的名声と反比例するように、夫としてグダグダかつポンコツになっていくフリッツくんの姿が見れる。

妻:エリーザベト・クリスティーネ王妃。27〜32歳。プロイセン王妃。上記のようなロックな夫を抱えているが、本人はプロイセン王妃として真面目に仕事をしているようで、フリードリヒのオーストリアに対する陰謀に協力していたりする。ところが当時のロシアの政治の都合が微妙だったため、フリードリヒは彼女の兄であるロシア皇帝の父(アントン)を見捨てる、さらには弟が戦死した時にもらったお悔やみの手紙が一行、宮殿を素通りされるなど、見返りがないこんな夫でいいんだろうか。とはいえエリーザベトも負けておらず、弟が戦死した折は、うまいこと周囲を動かして再度お悔やみの手紙を夫に書かせ(言い訳ばっかりだが)、素通りされた折にはフリードリヒの大好物のさくらんぼを贈って夫を謝らせている。凄まじく交渉能力が高い人の予感。大体の人と仲良くなれる性質らしく、男性であれば外交官として活躍したかも。
フリッツくん、お前の嫁、ただものではないかもしれないぞ
自分たちの間に子供が生まれず、フリードリヒの命で、妹ルイーゼ・アマーリエが、プロイセン王位継承順位第一位のアウグスト・ヴィルヘルムに嫁ぐ。

  • 1742年
    • 31.A LA MÊME.(王妃へ)
    • 32. A LA MÊME.
    • 33. A LA MÊME.
    • 34. A LA MÊME.
    • 35. A LA MÊME.
  • 1744年
    • 36. A LA MÊME.
  • 1745年
    • 37. A LA MÊME.
    • 38. A LA MÊME.
  • 1747年
    • 39. A LA MÊME.
    • 40. A LA MÊME.

 

*1:すでにフリードリヒの妹であるフィリッピーネが、エリーザベトの兄のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世に嫁いでいるため、ここにおいてホーエンツォレルン(プロイセン王)家とブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル家は三重結婚関係を結んだことになる。

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フリードリヒ大王と王妃の文通を翻訳してみよう〜③

かなり変わった仲の18世紀プロイセンの王様と王妃様の文通を、海藻(kaisou-ja)様と訳してみました(⌒▽⌒)

残念ながら、私はたまたま18世紀の王妃様を調べていた時に書簡が公開されているのを見つけたもので、フランス語はおろか、18世紀プロイセンに造詣がありません。豆腐メンタルでもありますので間違いがあれば優しくご教授ください。

*メモ(あらすじとしてお読みください)*

夫:フリードリヒ二世(大王)。27〜8才。プロイセンの新国王。1740年5月に即位してすぐ、宇宙で一番愛しちゃってる姉(ヴィルヘルミーネ)の体調不良を案じてバイロイトへ向かうが、そこで姉からエリーザベトへの贈り物(扇子)を預かっていたにも関わらず、ストラスブールにお忍びして男友達と遊びほうけ、ヴォルテールに会いに行ってしまう。
エリーザベトをシェーンハウゼン宮殿に住まわせるため、修理する準備をしている。
では夫婦仲が顔も合わせたくないほど険悪なのかというと微妙で、エリーザベトに「優しさを感じない」といわれてショックを受け、言い訳しまくり、引きずりまくったりしている。
1740年12月、オーストリアシュレジェンへと侵攻し、ロシア皇帝の父を兄に持つエリーザベトを政治的(オーストリア・ロシア対策)に利用していく。

妻:エリーザベト・クリスティーネ。24〜5才。プロイセン新王妃。フリードリヒとはフランス語で文通している。オーストリア・ロシアと縁戚関係にある名門ブラウンシュヴァイク家の出身で、マリア・テレジアはいとこ、ロシアのイヴァン6世は甥。最近、フリードリヒからの手紙が、ツイッター並みに短くなったため、静かに穏やかにフリードリヒにキレた。
1740年12月にフリードリヒが、彼女のいとこであるマリア・テレジアの治めるオーストリアに侵攻し、非常に微妙な立場になる。また、イヴァン6世の父である兄のアントンと接触するようフリードリヒに指示されている様子がうかがえる。
人付き合いがよく、シェーンハウゼンでは、フリードリヒの妹たちや、のちのロシアのエカチェリーナ2世となる少女の母親を招いて女子会を開いている。

  • 1740年
    • 21. A LA MÊME.(王妃へ)
    • 22. DE LA REINE.(王妃から)
    • 23. A LA REINE.(王妃へ)
    • 24. A LA MÊME.
    • 25. A LA MÊME.
    • 26. A LA MÊME.
  • 1741年
    • 27. A LA MÊME.
    • 28. A LA MÊME.
    • 29. A LA MÊME.
    • 30. A LA MÊME.
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フリードリヒ大王と王妃の文通を翻訳してみよう〜②

ちょっと変わった仲の18世紀プロイセンの王様と王妃様の文通を、海藻(kaisou-ja)様と訳してみました(⌒▽⌒)

残念ながら、私はたまたま18世紀の王妃様を調べていた時に書簡が公開されているのを見つけたもので、フランス語はおろか、18世紀プロイセンに造詣がありません。豆腐メンタルでもありますので間違いがあれば優しくご教授ください。

*メモ*

夫である人:フリードリヒ二世(大王)。プロイセン王太子→国王。オーストリア継承戦争七年戦争を勝ち抜いた軍事史上稀に見る天才であり、芸術・哲学に造詣が深い。即位してからは妻と別居するが、王太子時代は妻と同居している。別に妻が嫌いとかそういうわけではないらしいが、妻に塩対応になりがち。どうやら繊細で気難しい性格らしい。

妻である人:エリーザベト・クリスティーネ。プロイセン王太子妃→王妃。実家がオーストリアマリア・テレジア外戚かつロシア皇帝外戚の、いいところのお嬢様。お金持ち。夏は夫から送られたシェーンハウゼン宮殿に住まうことになった。夫に常に砂糖対応。稀に夫からの塩対応にキレることも。どうやら温厚で人付き合いの上手な性格らしい。

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世:プロイセン王。フリードリヒ二世の父。息子とは複雑な関係である。1730年5月に死去するので、話題はもっぱらこのお方の病気のこと。父が死ねば国王に即位しなければならないので、王太子殿下は非常に苦しむ。

ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世:エリーザベトの兄。妻がフリードリヒ二世の妹。つまるところ二重結婚(さらにフリードリヒとエリーザベトの弟妹がまた結婚し三重結婚になる)。プロイセンに妹をやりつつ、神聖ローマ皇后エリーザベトの甥、マリア・テレジアの従兄であることから、オーストリアとも繋がりのあるお方。兵と金を多量に持っており、兵が欲しいフリードリヒ二世と激しいやり取りをしている模様。

ブランデンブルクバイロイト辺境伯夫人ヴィルヘルミーネ:フリードリヒ二世の最愛の姉。ヴィルヘルミーネを前にするとフリードリヒ二世はマジもんのシスコンぶりを発揮するらしい(一説には銀河英雄伝説のラインハルトと銀魂の志村新八と封神演義の燃燈道人と聖闘士星矢魚座のアモールを足して四で割ってないレベルらしい)。どんだけやねん。姉が体調不良のようで、フリードリヒ二世バイロイトへ行くことに。エリーザベトにおみやげとして扇子を渡すようフリードリヒにお使いを頼む。姉という生き物は弟が王に即位していようとパシリに使うのだ。
(ただ、不思議なことに1740年夏にベルリンに立ち寄っていたそうなのに、夫婦の手紙には一切そのことについて言及がない。夏にはエリーザベトはシェーンハウゼン宮殿で過ごしており、フリードリヒは王妃に一言くらい告げても良さそうなものだが……)

  • 1739年
    • 11. A LA MÊME.(王太子妃へ)
    • 12. A LA MÊME.
  • 1740年
    • 13. A LA MEME.
    • 14. A LA MÊME.
    • 15. A LA REINE.(王妃へ)
    • 16. A LA MÊME.
    • 17. A LA MEME.
    • 18. A LA MÊME.
    • 19. A LA MEME.
    • 20. A LA MÊME.

 追記から。

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フリードリヒ大王と王妃の文通を翻訳してみよう〜①

ちょっと変わった仲の18世紀プロイセンの王様と王妃様の文通を、海藻(kaisou-ja)様と訳してみました。

残念ながら、私はたまたま18世紀の王妃様を調べていた時に書簡が公開されているのを見つけたもので、フランス語はおろか、18世紀プロイセンに造詣がありません。豆腐メンタルでもありますので間違いがあれば優しくご教授ください。

*メモ*

夫である人:フリードリヒ二世(大王)。プロイセン王太子→国王。オーストリア継承戦争七年戦争を勝ち抜いた軍事史上稀に見る天才であり、芸術・哲学に造詣が深い。即位してからは妻と別居するが、王太子時代は妻と同居している。別に妻が嫌いとかそういうわけではないらしいが妻に塩対応になりがち。どうやら繊細で気難しい性格らしい。

妻である人:エリーザベト・クリスティーネ。プロイセン王太子妃→王妃。実家がオーストリアマリア・テレジア外戚かつロシア皇帝外戚の、いいところのお嬢様。お金持ちであり、王太子王太子妃時代の住まい(ラインスベルク宮殿)は彼女のお金で建てた。夫に常に砂糖対応。稀に夫からの塩対応にキレることも。どうやら温厚で人付き合いの上手な性格らしい。夫の難儀な父とも夫の個性豊かな弟妹とも上手に付き合える稀有な人材。

ルピーン(ルッペン):プロイセンの第十五連隊の駐屯地がある。フリードリヒ王太子の勤務先。ラインスベルク宮殿から通っていたらしい。

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翻訳のまとめ、その①です。
とりあえず10通目まで。

原文ページ→

http://friedrich.uni-trier.de/de/oeuvres/26/toc/text/

最初は、フリードリヒ二世即位1年前、1739年のお手紙から始まります。

  • 1739年
    • 1. A LA PRINCESSE ROYALE.(王太子妃へ)
    • 2. A LA MÊME(同様).
    • 3. A LA MEME.
    • 4. A LA MÊME.
    • 5. A LA MEME.
    • 6. A LA MÊME.
    • 7. A LA MÊME.
    • 8. A LA MÊME.
    • 9. A LA MEME.
    • 10. A LA MÊME.

追記から参ります。

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