Don't mistake sugar for salt.

読んだ本や思ったことの記録

フリードリヒ大王と王妃の文通を翻訳してみよう〜③

かなり変わった仲の18世紀プロイセンの王様と王妃様の文通を、海藻(kaisou-ja)様と訳してみました(⌒▽⌒)

残念ながら、私はたまたま18世紀の王妃様を調べていた時に書簡が公開されているのを見つけたもので、フランス語はおろか、18世紀プロイセンに造詣がありません。豆腐メンタルでもありますので間違いがあれば優しくご教授ください。

*メモ(あらすじとしてお読みください)*

夫:フリードリヒ二世(大王)。27〜8才。プロイセンの新国王。1740年5月に即位してすぐ、宇宙で一番愛しちゃってる姉(ヴィルヘルミーネ)の体調不良を案じてバイロイトへ向かうが、そこで姉からエリーザベトへの贈り物(扇子)を預かっていたにも関わらず、ストラスブールにお忍びして男友達と遊びほうけ、ヴォルテールに会いに行ってしまう。
エリーザベトをシェーンハウゼン宮殿に住まわせるため、修理する準備をしている。
では夫婦仲が顔も合わせたくないほど険悪なのかというと微妙で、エリーザベトに「優しさを感じない」といわれてショックを受け、言い訳しまくり、引きずりまくったりしている。
1740年12月、オーストリアシュレジェンへと侵攻し、ロシア皇帝の父を兄に持つエリーザベトを政治的(オーストリア・ロシア対策)に利用していく。

妻:エリーザベト・クリスティーネ。24〜5才。プロイセン新王妃。フリードリヒとはフランス語で文通している。オーストリア・ロシアと縁戚関係にある名門ブラウンシュヴァイク家の出身で、マリア・テレジアはいとこ、ロシアのイヴァン6世は甥。最近、フリードリヒからの手紙が、ツイッター並みに短くなったため、静かに穏やかにフリードリヒにキレた。
1740年12月にフリードリヒが、彼女のいとこであるマリア・テレジアの治めるオーストリアに侵攻し、非常に微妙な立場になる。また、イヴァン6世の父である兄のアントンと接触するようフリードリヒに指示されている様子がうかがえる。
人付き合いがよく、シェーンハウゼンでは、フリードリヒの妹たちや、のちのロシアのエカチェリーナ2世となる少女の母親を招いて女子会を開いている。

1740年

21. A LA MÊME.(王妃へ)

Baireuth, 17 août 1740.

Madame,
J’ai reçu votre lettre sur mon départ, et je réglerai tout à mon retour,
touchant les matériaux que vous me demandez, charmé de pouvoir vous faire plaisir.
Ma sœur se porte,
fort bien, et j’espère qu’elle ne nous donnera plus de frayeurs avec ses indispositions.
Je pars après-demain pour Strasbourg,a et de là pour Wésel.
Adieu, madame; j’espère vous retrouver en bonne santé, et que vous ne m’oubliez pas.
a: Voyez t. XIV, p. XIII, no XXXV, et p. 181-187.

**

21
バイロイト、1740年8月17日。

マダムへ
バイロイトからの)出発時にあなたの手紙を受けとりました、そして帰国しましたら
お尋ねの素材についてあなたが喜ぶであろうと、私は確信したので、帰国時にすべてを解決いたします。
姉は元気です、とても良かった、神に感謝します、
そして私は彼女の不安定さが私たちを不安にさせないことを望みます。
明後日ストラスブールに発ち、そこからヴェーゼルに向かいます。
さようなら、マダム。
またお元気でお会いできることを願っています。


**

※注釈から下記のようなことをしてたらしい。仲良しのお友達と弟連れておしのび旅行。
たしかこのときに長年の推しであるヴォルテールに初対面。ウキウキな王様。

XXXV. DESCRIPTION POÉTIQUE D’UN VOYAGE A STRASBOURG.

Je viens de finir un voyage entremêlé d’aventures singulières, quelquefois fâcheuses,
et souvent plaisantes. Vous savez que j’étais parti pour Baireuth afin de revoir une sœur
que j’aime et que j’estime. En chemin faisant,
Algarotti et moi, nous consultions la carte géographique, afin de régler le tour que nous prendrions pour aller à Wésel.
On parla de Francfort-sur-le-Main,
et comme il nous parut sur la carte que la voie de Strasbourg ne pouvait être un trop grand détour,
nous la choisîmes par préférence. L’incognito fut résolu,
les noms choisis,b la fable choisie et ajustée; enfin, tout arrangé et concerté du mieux,
nous crûmes d’aller en trois jours à Strasbourg.
Mais le ciel, qui de tout dispose,
gla différemment la chose.
Avec des coursiers efflanqués,
En ligne droite issus de Rossinante,
Et des paysans en postillons masqués,

a :Envoyée de Wésel à Voltaire, le 2 septembre 1740.
b :Frédéric, voulant garder l’incognito dans son voyage, se fit appeler comte Dufour;
Algarotti prit le nom de Pfuhl, et le prince Auguste-Guillaume celui de comte de Schaffgotsch. Léopold-Maximilien,
prince héréditaire d’Anhalt-Dessau, adopta aussi un nom supposé.

XXXV. ストラスブール旅行の詩的な描写

私は今、特別で時に不幸で、そしてしばしば愉快な冒険に散りばめられた旅を終えたところです。
私がバイロイトに行ったのは、私が愛し尊敬している姉に会うためです。
途中、アルガロッティと私は地図と相談しながら、
ウェーゼルに行く旅程を決めました。
フランクフルト・アム・マインの話をしていたのですが、
ストラスブールまでの道のりが地図に書いてあったので、
あまり遠回りにはならないだろう判断して、好みでそれに決めました。
お忍びの偽名をを決め、旅程を調整し、最終的には最高の準備をして
3日後にはストラスブールに行こうと考えていました。

天国を手に入れた我らは
いろんな事柄を収拾し、
配達人達はロシナンテ※3 を駆り
御者に変装して目的地へまっしぐら


a:1740年9月2日、ヴェ―ゼルからヴォルテールへの特使。

b:フレデリックは、旅の中で人目を忍ばせるためにド・フール伯爵と名乗りました。
アルガロッティ※1はド・プフール、アウグスト・ウィルヘルム王子※2はド・シャフゴッチ伯爵の偽名を使いました。
アンハルト=デッサウの皇太子レオポルド=マクシミリアンも使っている。

※1 仲良しのお友達なイタリア出身のハンサムな彼氏。あだなは「パドヴァの白鳥」
近年みつかった国王のエロいポエムの相手は彼。
※2 10歳違いの弟。お父様のお気に入りだった彼は、国王が逃亡事件を起こした時には後継者候補にあがったことも。甥っ子国王のパパ。
※3『ドン・キホーテ』で主人公が乗る馬の名前。

ポエムはかなり意訳。それっぽくなるように整えた。頑張った。
褒めろ称えろ俺様にひざまずけw
要はおしのび旅行に浮かれまくりの国王である。
嫁もかまってあげて・・・・

(海藻さん訳)

22. DE LA REINE.(王妃から)

Berlin, 27 août 1740.

Sire,

La lettre que vous m’avez lait l’honneur de m’écrire de Baireuth, du 17 de ce mois, m’a été bien rendue, et je vais en marquer ici mes plus parfaits remercîments, et y ai lu avec bien de la joie votre heureuse arrivée, et que la margrave de Baireuth se porte très-bien. J’en souhaite de tout mon cœur la continuation, et espère que nous n’aurons plus de raison de nous inquiéter pour elle. Je vous suis infiniment obligée de la promesse que vous avez la grâce de me faire touchant les matériaux; je ne saurais assez reconnaître vos bontés et grâces que vous me témoignez; personne ne saurait être plus reconnaissant que je le suis. Je profite du beau temps, autant que je puis, à Schönhausen. Les princesses Ulrique et Amélie me font tour à tour le plaisir d’aller avec moi à Schönhausen, et il paraît que cela leur fait plaisir. Je tâche de pouvoir les amuser aussi bien que je puis. La princesse de Zerbst(a) est ici depuis deux jours, et elle restera encore quelques jours; elle est de toutes nos petites parties de plaisir.
La Reine jouit d’une santé des plus parfaites. Comme Bertling(b) me quitte, et qu’il faut en avoir un autre à sa place, vous me permettrez bien que j’ose prendre un nommé Buchholtz, qui est ici, en sa place. On dit qu’il est honnête homme. J’attends vos ordres là-dessus, ne voulant rien faire au monde sans savoir votre volonté. Au reste, je me recommande à l’honneur de vos bonnes grâces, et suis et serai sans cesse, avec le plus parfait attachement et bien de la considération,

Votre très-humble, très-obéissante, très-fidèle
épouse et servante,
Élisabeth.

a: Jeanne-Élisabeth, princesse d’Anhalt-Zerbst. Elle avait avec elle sa fille aînée, depuis impératrice de Russie sous le nom de Catherine II. Voyez, t. XXV, p. XVII et XVIII, et p. 635-648.
b: Secrétaire des commandements de la reine Élisabeth-Christine.

**

22、王妃から

ベルリン、1740年8月27日

我が君(※1)、
この月の17日付のお手紙に返信いたします。バイロイトからの手紙を書いてくださったことを光栄に思っております。ここに私の完全なる感謝を示し、あなたの嬉しそうな到着と、バイロイト辺境伯夫人(※3)が元気であることを、大きな喜びとともに読んでいます。全ての心でそれが続くことを望み、心配する必要のないことを願っています。私は、あなたが建材を用意してくださるというお約束についてはことのほか限りなく感謝しております。ですが、私はあなたの雅量や慈しみを十分に感じることができないのでございます(※4)。感謝してはおりますが。シェーンハウゼンでは、天気の良い日を精一杯楽しんでいます。ウルリーケ姫(※2)とアマーリエ姫(※2)が私と一緒にシェーンハウゼンへ行きましたが、彼女たちはとても楽しそうです。私はできる限り彼女たちを楽しませようと思います。
ツェルプスト侯夫人(a)がここに二日間滞在しています。彼女はもう数日いるようです。彼女は私たちのささやかな集まりの楽しみの一つです。
王妃はずっと完全な健康を楽しんでいます(or王妃として、ずっと完璧に順調でございます)。Bertling(b)が私の元を去ったので、彼の後任が必要です。ここにいるBuchholtzという者を、その任にあててください。彼は正直者と言われております。 私はあなたの命令を待っています、あなたの意志を知らずに何かをしたいとは全く思いません。さらに、私自身をあなたの好意に委ねます。いまも、そしてこれからも、最も完璧な愛情と尊敬をもって、

あなたの非常に慎ましく、非常に従順で、非常に忠実な
妻であり下僕、
エリーザベト。

a:ヨハンナ・エリーザベト、アンハルト=ツェルプスト侯爵夫人。彼女はエカチェリーナ2世としてのちにロシア皇帝となる長女がいる。t. XXV, p. XVII とXVIII, そして p. 635-648、参照
b :エリーザベト・クリスティーネ王妃の秘書(secrétaire des commandements)。※secrétaire des commandementsってなに!?

**

※1:Sireはヨーロッパで使用されている国王に対する尊称です。語源は中世フランス語の「私のご主人様」だそうです。王様に対する尊称なので、日本語に相当するものが「主上」「君」とかになるのかなー、と一応「我が君」と訳してみました。「主上」だと麒麟が失道しちゃいそうだしね!
海藻さんからの情報追加→どうやらSire、親しい人にも使うらしい。
※2:どっちもフリードリヒ二世の妹。夫が姉の元へ遊びに行っている間、妻は義妹たちと楽しくやっていたみたいです。ある意味家族円満ですね。
ウルリーケ=ルイーゼ・ウルリーケ王女。のちのスウェーデン王妃、ロヴィーサ・ウルリカ。当時二十歳くらい。あとでスウェーデン王妃としてキャラの濃くなるお姫様だが、当時は可愛かったらしい。
アマーリエ=アンナ・アマーリエ王女。のちのクヴェトリンブルクの女子修道院長。兄もフルートが弾けるけれど、実はアマーリエはさらに音楽的才能に恵まれ、作曲家でもある。
※3:原文ではmargrave de Baireuth(バイロイト辺境伯)。でも体調不良だと話題に上がっているのは王様の姉のバイロイト辺境伯夫人(margravine de Baireuth)のヴィルヘルミーネ。前置詞がlaなのでバイロイト辺境伯夫人でいいみたいです。海藻様ありがとうございます〜〜!
※4:一瞬意味が通じないと思ったけれども、王妃様がキレていると判断すれば意味が通じます。「ありがとうございます。でもあなたから優しさは感じませんわ。これ以上ないほど感謝しておりますけど」、という感謝と不信のサンドイッチです。次の23で王様が翌日に(たぶんすぐさま)手紙を送り「今度は長い手紙を書くから」とわざわざ断っているのは、ここで二度見か三度見くらいして、17日付の手紙の返信が27日であることも含め、自分が塩対応続きだったので、王妃様がキレてることを察知したからなんじゃないでしょうか。確かに今までの手紙には優しさが感じられない。王妃様、笑顔でぐっさり
たしかにこのくらい気が強くないとオーストリア継承戦争とか七年戦争とか旦那が起こす中でやってられないね!

(みやずみ訳)

23. A LA REINE.(王妃へ)

Wésel, 28 (août 1740).
Madame,
J’ai reçu votre lettre avec bien du plaisir.
Je suis arrivé ici en bonne santé.
Vous me ferez plaisir de donner la prébende à la fille de Varenne.
J’ai beaucoup à faire; une autre fois, ma lettre sera plus longue.
Adieu; je souhaite de vous revoir en bonne santé.

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23. 王妃へ

ウェゼル、1740年8月28日
マダムへ
私はあなたのとても嬉しいお手紙をいただきました。
元気でここに到着しました。
ヴァレンヌの娘には奨励金を渡して欲しい。※1
やることがたくさんあるんだ、今度は長い手紙を書きます。
さようなら。また元気でお会いできることを願っています。

※1 ド・ヴァレンヌ中佐(侯爵)の娘、ルイーズ・ウィルヘルマイン
la prébendeがよいたとえが見つからないのでとりあえずこれに

**

忙しいとはいえさすが短すぎて罪悪感か。
某国営放送ラジオ講座初級の例文並みの短さ。

(海藻さん訳)

24. A LA MÊME.

Potsdam, 24 septembre 1740.

Madame,
Je suis arrivé tant bien que mal. Demain j’aurai la fièvre, mais Eller(b) me fait espérer qu’elle ne sera pas de durée; je m’en flatte de même, et j’aurai le plaisir de vous voir mercredi, quoi qu’il arrive. Ne m’oubliez pas, divertissez-vous bien, et soyez persuadée que je suis avec bien de l’estime, etc.
b: Voyez t. XVI, p. XII, et p. 197-201.

**

24、同様(王妃へ)

ポツダム、1740年9月24日

マダム、
どうにかしてここにたどり着きました。明日は熱が出そうですが、Eller(b)はそれが長続きしないように私に望みます(Ellerは、熱が長引かないだろうと予測しています)。私も同じように思っていて、何があっても水曜日には、あなたにお会いする喜びを持ちましょう。私のことを忘れないで。楽しんで。そして尊敬されていると安心してください。
b: t. XVI, p. XII, と p. 197-201参照。

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王妃様をほっぽりっぱなしにして姉のところで遊び呆けていた王様の言い訳が、1ヶ月経っても止まらない!!!!9月24日は金曜日。「何があっても水曜日(9月29日)には会いに行く」って言ってるのが個人的にツボです。
さて、王様の生涯の宿敵にして王妃様のいとこ、つまり、マリア・テレジア即位まであと1ヶ月。王様がマリア・テレジアの即位にケチつけるまであと2ヶ月くらい。この夫婦どうなっちゃうんですかね。めっちゃ心配です。

(みやずみ訳)

25. A LA MÊME.

(Octobre 1740.)

Madame,

Je profite du départ du vieux majora※1 pour vous marquer ma satisfaction de votre arrivée.
Je suis bien fâché de n’avoir pu m’arrêter jusqu’à midi à Remusberg;
mais j’avais des affaires assez pressantes à expédier ici.
Voici un éventail de Baireuth, que ma sœur m’a chargé de vous remettre.
Adieu; j’aurai infailliblement le plaisir de vous embrasser demain après midi,
et de vous réitérer les assurances de l’estime parfaite avec laquelle je suis à jamais, etc.

※1 Probablement Guillaume Senning, major du génie, ancien précepteur de Frédéric. Il était né à Berlin en 1677, et y mourut en 1743. Voyez Lettres familières et autres, de M. le baron de Bielfeld, t. I, p. 67

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25、同様

1740年 10月

マダムへ

元少佐※1 の出発を機に、無事に到着の喜びををお伝えしたいと思います。
レムスベルクに昼までいられなかったことが不満でしたが、急ぎの用事があったのです。
姉から(あなたに渡すように)依頼された バイロイトの扇子を預かってます。
さようなら、明日の午後、あなたにキスをする喜びを絶対に味わわせてもらいます。
あなたが、私に永遠に尊敬されていることを繰り返しお伝えします。

※1 おそらく工学科少佐のギョーム・セニング、国王の元家庭教師。
1677年にベルリンで生まれ、1743年に同地で亡くなった。
ビ―ルフェルト男爵の『Lettres familières et autres』第1巻第67ページを参照。

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お土産を預かってるなら早く帰りなさいこのお馬鹿さんがっ!

(海藻さん訳)

26. A LA MÊME.

Gläsersdorf, 28 décembre 1740.

Madame,
Nous sommes arrivés ici tous en bonne santé et très-bien portants. Nous entrerons le 1er de janvier à Breslau, et je compte d’achever dans peu ma carrière. Tout se porte bien, et si les choses continuent sur ce pied, comme j’ai tout lieu de le croire et de l’espérer, nous pourrons finir la campagne glorieusement.
Adieu; j’espère de vous retrouver en bonne santé, en vous priant de ne me point oublier.

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26、同様(王妃へ)

グラーザーズドルフ(※1)、1740年12月28日

マダム、
私たちはみなここに健康かつ万全の状態で到着しました。一月一日にブレスラウ(※2)に入りますが、すぐに攻撃を終えることを期待しています。すべてはうまくいきつつあります。信用と希望に足る理由が大いにあるので、もし、この足跡が続くのであれば、愉快な形で遠征を終えることができるでしょう。
さようなら。また元気なお姿を拝見できますように、そしてどうか私のことを忘れないでください。

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短くも非常に生き生きしているお手紙。

※1:現ポーランド領ドルヌィ・シロンスク県ルビン……にある街らしい
※2:オーストリア継承戦争の戦端になる第一次シュレージェン戦争が始まってました。こっからは、世界史上最高の奇襲の一つをやったと言われる男からの妻への手紙になります。
12月16日、フリードリヒ二世は宣戦布告なしにシュレージェンに侵入しているので、これはその12日後のお手紙となります。で、ブレスラウというのはシュレージェンの中心地だそうであり、二週間たらずで中心地を占領できる目処がついたというものになるでしょう。
それでもって、実際にブレスラウにはいるのは1月2日と、ほぼ王様の計算に狂いはなかったようです。いや、王様が王妃様に手紙を書いてる横で、シュヴェリーン元帥が必死に計算していたのかもしれないですけどね!

(みやずみ訳)

1741年

27. A LA MÊME.

Près d’Ottmachau, 12 janvier 1741.

Madame,

Si je ne vous ai pas écrit dès longtemps,
c’est faute d’avoir eu quelque moment pour moi.
Nous avons pris prisonniers aujourd’hui cinq compagnies de grenadiers des Impériaux,
et demain nous dirigeons nos marches vers Neisse.
Si vous écrivez à votre frère Antoine,
a je vous prie de le caresser afin de l’avoir pour nous, ce qui est un grand article.
Dieu vous donne santé et prospérité! J’espère de vous revoir bientôt en bonne santé,
et de vous réitérer les assurances de la parfaite tendresse avec laquelle je suis, etc.
a: Voyez t. XVI, p. 407.

**

27.同様

1741年1月12日、オットマハウ付近。

奥様
長い間、あなたに手紙を書いていなかったのは、それは私が忙しかったからです。
帝国の擲弾兵5名を捕虜にしました、明日ナイセへ進軍します。
アントワーヌ※1兄さんにお手紙を書いたなら、是非とも彼を素敵なニュースで労わってあげてください。
神はあなたに健康と繁栄を与えます 。あなたの早く元気な姿が見られることを願っています。
私のおおいなる優しさを請け合い 繰り返しお伝えします

**

※1 アントン・ウルリヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク
嫁殿の2番目の兄さん。フランス語読みだとアントワーヌ。
ロシア皇帝イヴァン6世の父で摂政。
どうも夫はこの兄を通じてオーストリアへの妨害だけでなく
ロシアにいろいろ介入しようとしてた模様。
ヴィンターフェルトをロシアに派遣したのもそのためみたい。
ちなみにこの年に兄様は失脚。皇帝は廃されて、次のエリザヴェータ女帝に兄様ご一家は30年以上も監禁生活。
おそロシア

(海藻さん訳)

28. A LA MÊME.

Ottmachau, 21 janvier 1741.

Madame,
Vous me faites grand plaisir de me marquer la façon dont vous avez écrit au duc Antoine. Je commence effectivement à me ressentir de son amitié, et je ne doute point que les choses n’aillent le mieux du monde, si vous voulez bien vous donner la peine de cultiver ses bonnes dispositions. Nos affaires vont très-bien ici; j’ai fini la campagne, et à présent il ne s’agit que des quartiers d’hiver. Je serai le 5 ou le 6 février à Berlin, où j’aurai le plaisir de vous embrasser, vous assurant que je suis tout à vous.

**

28、同様(王妃へ)

オットマハウ、1741年1月21日

マダム、
アントワーヌ公へうまく手紙を書いてくださったことに、心から感謝しています。私は、実際に彼への友情を感じ始めていて、もしあなたが彼の善意を育むために手間を取ってくれるなら、ことがまったく最高の状態で進むことに疑いを持ちません。私たちの軍事行動はここにおいて、とても順調です。私は遠征を終えて、今は冬営しているだけです。2月の5日か6日にベルリンに戻ります。そこであなたにキスをして、私はすべてあなたのものだと保証いたします。

**

どうやらアントワーヌ公、つまるところロシア皇帝の父で摂政アントン・ウルリヒへの政治工作は、王妃エリーザベトも使っていたのですね、王様。12月の16日に出陣して1月の21日に「ベルリン帰るよ!あなたにキスするよ♡」って王妃様に言ってるあたり、王様のオーストリアへの奇襲が早すぎる。ウサイン・ボルトかよ。
しかも軍が動きづらい冬。狙ってきてるだろ。さすが、プロイセンって冬に強いんだな〜〜〜

(みやずみ訳)

29. A LA MÊME.

Camp de Mollwitz, 21 avril 1741.

Madame,
J’ai été bien sensible aux marques d’amitié que vous me donnez;
je ne m’en rendrai pas indigne, et vous ne me trouverez jamais ingrat.
Le ciel nous a favorisés jusqu’à présent;
je souhaite de tout mon cœur que la fortune ne nous abandonne pas.
Je suis avec bien de l’estime, etc.

**

モルヴィッツの基地 1741年4月21日※

マダムへ
私はあなたが与えてくれる友情の印に大変感謝していますし、
それに見合わない忘恩の徒ではありません。
天はこれまで私たちに恩恵を与えてくれました。
幸運に見捨てられない※2 ことを、心より願っています。
尊敬しておりますことを、繰り返しお伝えします。

 ※1 モルヴィッツの戦い(1741年4月10日)の11日後
詳しくはウィキ先生におききください

モルヴィッツの戦い

ja.wikipedia.org

モルヴィッツの戦いにおける戦闘序列

ja.wikipedia.org


※2 幸運→嫁のことも含む

戦闘後処理で忙しいのはわかるけど、お手紙書きゃいいというわけではなかろうに…
と説教したいくらいの短さ。
嫁殿はもう一回「優しさが感じられない」と刺してもいいと思う

(海藻さん訳)

30. A LA MÊME.

(1er novembre 1741.)

Madame,
J’ai la satisfaction de vous marquer que Neisse est pris. Je suis avec bien de l’estime, etc.

**

30、同様
(1741年11月1日)
マダム、
満足のうちに、ナイセが取られたということをあなたにお伝え致しましょう。
私は尊敬の念を持っています。

**

ナイセ取られてんのに大喜びしていいのか王様!!それとも私の翻訳が間違っているのか、と考えて調べました。
国際情勢の関係があって、オーストリア側と交渉し、イギリスの主導のもと、「クラインシュネンドルフの密約」を10月初めに締結して、11月初旬にナイセを一瞬だけオーストリアにくれてやり、そのあとまた返してもらっているそうです。
なので、「よっしゃ計画通り」っていうことを王妃様に伝えたかったのかと思います。

だけど短くね!?エリーザベトもっとぶっ刺していいんだぞ!!!フリードリヒを!
王妃様がマリア・テレジアやロシアのイヴァン六世と親戚なので、マリア・テレジアやロシアに情報が漏れないように、王様も言葉を選んだら一文しか出てこなかったのかな、そんだけプロイセンが危ない橋を渡ってたのかな、と好意的に受け取っときましょう。

でも、この文脈だと王妃様はクラインシュネンドルフの密約を知ってることになる気がするんだけど……やっぱ誤訳かな!?私の!→知っていておかしくないそうです。王妃も政治の中枢でこの密約を知っていたと捉えていい模様。

(みやずみ訳)