Don't mistake sugar for salt.

そいつが歴女で隠れ腐女子だ!読んだ本や思ったことの記録だ!!

フリードリヒ大王と王妃の文通を翻訳してみよう〜⑤

引き続き、海藻(kaisou-ja)様と十八世紀プロイセン に生きていた、一言では形容しがたい関係の国王ご夫妻の文通を訳しています(⌒▽⌒)

夫→フリードリヒ2世。みんな大好き大王陛下。七年戦争の準備をしている。仕事人間のため、大きな戦争があるとまったく家庭を顧みなくなってしまい、妻にキレられる。つまり今回も怒られた。
妻に対しては偉大ではなくまるでダメな夫、まだお。だが、今回まだおはまだおなりに奮発して、自分の死後の妻の収入源を確保した。

妻→エリーザベト・クリスティーネ王妃。天使レベルの善良さ。どうして大王に耐えて離婚せずプロイセン王妃のなかで最長在位を保てたのかはわからない。
従姉妹が治めるオーストリアが関わる戦争を夫が起こすと、ご機嫌斜めになりがち七年戦争が近い。つまり今回も夫に怒った。
ところが、夫の生前に残した遺言で、自分の収入源が確保されていると知り……✨

ざっくばらんな女系の系図を載せておきます。

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追記にしまうことにしました。

41. A LA MEME(王妃へ)

Ce 17 (mai 1748).
Madame,
Madame de Wreech ※1 a fait tant de difficultés pour sa fille,
qu’elle ne trouvera pas mauvais qu’on lui préfère la jeune Schwerin,※2
fille du grand écuyer et sœur de celle qui a été dame d’honneur,
d’autant plus que cette fille placée décharge la mère de ce soin,
et qu’elle est d’ailleurs chargée d’enfants, sans être riche. Vous pouvez la prendre, madame, au départ de la Tettau,※3
et vous en expliquer hautement à présent. Je suis bien aise de ce que vous vous divertissez bien,
vous priant de me croire avec estime, etc.

※1 Voyez t. XVI, p. V et VI, et p. 7-24.
※2 Marie-Anne, fille du ministre d’État Frédéric-Bogislas de Schwerin, avait épousé, le 17 janvier 1748, le major baron de Lentulus.
※3 Mademoiselle de Tettau se maria, le 1er juin 1748, avec le capitaine de Saldern.

*************

Wreech夫人は娘に多くの困難をもたらしましたからシュヴェリン嬢のほうが好ましいのは悪いとは思いません。
重臣の娘で女官の姉妹であり、任命されたなら母親も安心するので尚更です。
お金がなくても彼女には子供の養育があるので、マダムはテッタウ嬢に紹介してあげてください。
今から丁寧に説明します。楽しい時間を過ごせてよかったですね。
尊敬しておりますことを信じて欲しい、繰り返しお伝えします。

※1 tを参照してください。XVI,VI,7〜24頁。
※2 フレデリック・ボギスラス・ド・シュヴェラン国務大臣の娘マリー=アンヌは、1748年1月17日にレントゥルス男爵と結婚していた。
※3 マドモアゼル・ド・テッタウは1748年6月1日にサルデルンの船長と結婚した。

Wreec夫人について
夫氏の結婚前、キュストリンで謹慎生活してた頃に
文通していたご婦人。数少ない夫氏と噂のあったお友達の女性
「薔薇と百合のような面差し」と夫氏が褒めるくらいには容姿・教養ともにそろってる美人さん。
夫氏はキュストリンから去るときには肖像画をプレゼントしました。
詳しくはウィキとフォンターネ先生にきいてください
Luise Eleonore Wreech

en.wikipedia.org

Kronprinz Friedrich und Frau von Wreech
 

www.textlog.de


かなりの意訳の回。
まちごうてたら指摘よろしく・・・・!

(海藻さん訳)

42. A LA MÊME.

(Mai 1750.)

Madame,
Je vous rends grâce des beaux fruits que vous avez eu la bonté de m’envoyer. Je les mangerai à votre santé, et je compte que Sans-Souci ne restera pas en reste, et en fournira à son tour pour Schönhausen. Je suis avec beaucoup d’estime, etc.
Mes compliments à madame Camas.

**

42、同様
(1750年5月)
マダム、
ご親切にも送ってくださった美しい美しいフルーツをどうもありがとうございます。あなたに乾杯しつつ食べるから(※1)、シェーンハウゼンばかりに渡されて、サンスーシがのけものにならないと信じていますよ。尊敬の念を持っています。
カマス夫人に賛辞を。

**

夫=サンスーシ、妻=シェーンハウゼン(ベルリン)体制が確立していますね。
当時のプロイセンは、夫(政治・軍事的才能は抜群だけど社交嫌い)が実務を担い、妻(社交は得意だけど政治に興味ない)が公式行事を担ったことから二重宮廷になったようです。夫婦間の仲はどうあれ夫婦で見事に補い合っていますね。夫婦間の仲はどうあれ。

※1:「あなたの健康のために食べるから」、が直訳ですが意味が通じないので「votre santé」=乾杯という意味でもあったのでそちらを採用しました。

(Luca訳)

43. A LA MÊME.

Ce 25 (entre 1750 et 1752).

Madame,

Il ne me semble pas qu’il vous convient d’aller à la fête du mylord,※1
a parce que cela ferait une planche pour tous les autres ministres étrangers,
et que, après avoir été chez l’un, on aurait mauvaise grâce de refuser l’autre.
Mais vous pouvez y envoyer vos dames.
Je ne m’y trouverai pas non plus, par la même raison.
Je suis avec bien de l’estime, etc.
Mes compliments à madame Camas.
※1 Il s’agit probablement ici de mylord Tyrconnel (ou plutôt Tyrconell),
envoyé de France, qui fut présenté au Roi,
le 24 mars 1750, à Berlin, où il mourut le 12 mars 1752.
***********************************************************
43.

25日(1750年から1752年の間)。

マダムへ
マイロード※1 のパーティーに行くのは適切ではないと思います。
外交官の根拠を作ってしまうからです
でも、自分の家に来た後で、断るのは悪い意味で潔癖症ですね。
しかし、そこにあなたの代理を出席させる事はできます。
私も同じ理由で出席はしません。
尊敬の念を抱いていることを繰り返しお伝えします。
カマス夫人には賛辞を。

※1 これはおそらくマイロード・ティルコンネル(というかティルコンネル)だと思われます。
フランスから赴任し、国王に贈られたものです。
1750年3月24日にベルリンで、1752年3月12日に亡くなりました。

→ティルコネル伯爵。アイルランド出身ののジャコバイトらしい
ティルコネル伯爵をお調べしようと思ったらヴォルテールの全集を読まなきゃいかんようなので
ちょい保留します…

(海藻さん訳)

44. A LA MÊME.

Le 8 novembre 1751.
Madame,
Vous voudrez bien que je vous félicite sur votre jour de naissance, et que je vous marque la part que j’y prends. Je vous souhaite, madame, toute sorte de contentement et de prospérité. Recevez de bonne part la bagatelle que je vous envoie, et soyez persuadée de l’estime avec laquelle je suis, etc.

**

44、同様

1751年11月8日
マダム、
あなたの生まれた日をお祝い申し上げることで、私の役割を示したいと思います(※1)。マダム、あなたのあらゆる満足と繁栄をお祈りいたします。私の贈ったつまらないものから良いものだけ受け取って(※2)、私の抱いている尊敬の念を確かめてください。

**

王妃様の誕生日は11月8日。36歳のお誕生日です。
お誕生日おめでとう!プレゼントです、と言いたいのだな。よかった王様、王妃様の誕生日は覚えてる。
※1:あんまりよくわかんなかった。夫として妻にとか国王として王妃にとかいうものなんだろうか
※2:宝石とかを贈っていて、いくつか取り寄せておいたから、好きなのを選んでね!というものなんだろうか。

(Luca訳)

45. A LA MEME.

(Mars 1752.)

Madame,

Je vous envoie la quittance d’une partie de vos dettes qui sont payees;les autres le seront successivement. Je vous apprends, de plus,que j’ai fait un testament, dans lequel j’ai eu soin de votre douaire apresma mort d’une facon que vous aurez lieu d’en etre contente,le tout cependant a condition que vous instituerez celui de nos neveuxqui vous survivra heritier de toutes vos pierreries.Je suis avec bien de l’estime, etc.

※ Apres avoir recu cette lettre, la Reine fit un testamentqu’elle deposa a la chambre de justice (Kammergericht) le 24 .

**

1752年 3月

マダムへ

私は他を順次お支払いしますのであなたへの返済中の債務の一部を免除しました。(もしくは「私はあなたの返済中の債務の一部を肩代わりします。他は順次お支払いします」)さらに、私はあなたにお伝えします。遺言を残したのは、私の死であなたが困らないように後にあなたの宮廷に収入を確保するためです。すべてはあなたが所有する宝飾品の相続人として私たちの甥を指定することを条件にしています。尊敬の念を抱いていることを繰り返しお伝えします。

**

※この手紙を受け取った後、女王は遺言をしたため、1752年3月24日にカンマーガーリヒト(Kammergericht)に提出しました。
Kammergericht→上級裁判所。建物は今のベルリンのユダヤ博物館

※原文はカッコ内の訳に近いですがsont payeesで、嫁殿が支払われる側なのと、次のテキストが「他は順次お支払い」と継続するので「支払いを免除してほしい」の意訳を採用してみました。ただ、昔読んだ資料によると、借金もあったようですが、贅沢のためでなく宮廷費不足の為だったようなのでどちらにしろ夫氏は必要経費は嫁にちゃんと支払え。

(海藻さん訳)

とはいえフリードリヒ2世は自分死後の妻の遺産の確保に尽力しました!!!!!

46. A LA MÊME.

(Mars 1752.)

Madame,
J’ai lu l’acte que vous venez de faire pour le bien de la famille, et je vous en fais mes remercîments au nom de mes neveux. Il n’y a pas le mot à dire contre cet écrit, et je pourvoirai, de mon côté, à arranger vos affaires du mieux que je pourrai, espérant que ce testament ne vous empêchera pas de vivre encore de longues années en santé et contentement.
Je suis avec toute l’estime possible, etc.

**

46、同様
(1752年3月)

マダム、

あなたが家族のためにしてくださった善き行いについて、たった今読みました、甥たちに代わってお礼します。この文章に反対することばはありません。私としては、できる限り最善を尽くしてあなたのすべきこと(※遺産と考えられる)を調整します。これによって、あなたが長年にわたって健康と満足を維持できるようになることを願っています。
私は可能な限りの敬意を持っています。

**

遺産の確保に余念がないフリードリヒ2世。

(Luca訳)

47. A LA MÊME.

(Juillet 1754.)

Madame,
Je vous souhaite un heureux voyage pour Oranienbourg, vous priant de faire mes compliments à mon frère,
et d’être persuadée de l’estime avec laquelle je suis, etc.

**

47.
1754年7月。

マダムへ
ラニエンブルクへの旅のご無事をお祈りしてます、私の弟※1 へよろしくお伝えください。
尊敬の念を抱いていることを信じております

※1 1754年7月11日、王妃は妹夫婦のいるオラニエンブルク宮に訪問した。
ベルリンの国家・公文書、1754年、第84号を参照
夫氏の弟で実妹の夫氏のアウグスト・ヴィルヘルムのところへ行ったと思われ。
ここの夫妻はオラニエンブルク宮殿をを居城にしていました

August Wilhelm von Preußen(1722年8月9日 - 1758年6月12日)
夫氏の10歳年下の弟。父親に可愛がられた弟、というか誰にでも好かれる性質らしい。
兄王と下の弟たちとの緩衝役になってました。
詳しくはウィキで

ja.wikipedia.org

もっと詳しくはドイツのウィキ先生にきいてね

de.wikipedia.org

某国営放送の仏語ラジオ講座の例文並みに短い手紙再び。
もちっと一言くらい頑張って書いてみようよ!

(海藻さん訳)

48. DE LA REINE.(王妃から)

Schönhausen, 9 août 1756.

Sire,
C’est en souhaitant que vous jouissiez d’une santé parfaite que j’écris celle-ci, charmée d’avoir eu le bonheur de vous voir bien portant,(b) mais le cœur bien sensible et bien chagrin quand je pense que peut-être on aura le chagrin de vous voir partir pour plus loin; je n’ose y penser. Dieu veuille vous conserver et donner dans peu la paix et tranquillité, et couronner de gloire et de bonheur toutes vos louables entreprises, et que le tout se change pour votre satisfaction! Ce sont les vœux bien sincères qui partent d’un cœur tout attaché et dévoué à vous, et plein d’une amitié tendre et sincère, mais aussi bien pénétré de douleur et d’affliction, quand je pense que peut-être nous vous voyons de nouveau bientôt affronter les dangers; je n’ose y penser sans une douleur mortelle. Pardonnez que je vous importune par mes plaintes et lamentations, mais jeu ai l’esprit si rempli et le cœur si pénétré, que cela l’a emporté sur le silence auquel je m’étais vouée; et comme à l’unique qui cause mes craintes, j’ose bien décharger mon cœur, et vous êtes trop gracieux pour ne point me le pardonner et entrer dans ma juste douleur. Je me recommande dans l’honneur de vos bonnes grâces et bienveillance, qui suis avec le plus parlait attachement, entier dévouement et toute la tendresse imaginable, etc.
b Frédéric était venu à Berlin le 7 août, et il était retourné à Potsdam le lendemain matin.

**

48、王妃から

1756年8月9日、シェーンハウゼンより
我が君、
あなたの完璧な健康を祈りながらこの手紙を書いています。健康のうちにお会いできて幸せでございました(b)。ですが、非常に敏感な心と多くの憂いと共に、あなたが去って遠くへ離れていってしまうという悲しみを抱いています。あえて考えないようにしています。神があなたを守り、あなたに平和と静けさを与え、栄光と幸福の冠をあなたの称賛に値するすべての業績に与え、そしてすべてがあなたの満足のいくように変わりますように!これらは、あなたに非常に愛着があり、献身的であり、優しく誠実な友情に満ちているだけでなく、痛みと苦痛に満ちた心からの、非常に誠実な願いです。痛みを伴わずには考えられませんけど。私の不満と嘆きであなたを悩ませることを許してください、でも、私の心はとてもいっぱいで、私が私自身に命じた沈黙に勝ってしまうほど、とても私の心に突き刺さるものだったのです。そして、私の恐れを引き起こす唯一の方に関して、思い切って打ち明けたのです。あなたはあまりにもお優しいので、私を許してくれず、私の正当な痛みにも立ち入ってくれないのです。最も愛情のこもった愛着、完全な献身、想像できるすべての優しさをもって、あなたの優しさと慈しみに敬意を表します。
b:フリードリヒは8月7日にベルリンに来て、翌朝ポツダムに帰った。

**

王妃様「仕事が忙しいのはわかるけど、1日でポツダムに帰るのはいい加減にして!!」「いいかしら。相談があるんだけど、あなたって私の恐れを引き起こす唯一の人よね!」「あなたはとってもお優しいから(皮肉だと思う)、私の痛みを無視するのよね!!」
1756年8月といえば三枚のペチコートがプロイセンを囲んでいた時期ですが……。
フリードリヒ大王、目の前にいる四枚目のペチコートのがまずいんじゃないの……??

王妃様、12世紀だったら、王様の留守中にいとこのマリア・テレジアちゃんと内通してベルリンを占拠しプロイセン女王として即位してるかもしれない

夫氏の法則が見えてきたぞ。夫氏、大きな戦争があると家庭を顧みなくなってしまい、妻にキレられるんだ。オーストリア継承戦争のときもそうだった。今回王妃様はちょっと文の隅っこで噛み付いた以前とは違い、おキレあそばしたことが趣旨のお手紙を書いていますが、王様はどうする!?

(Luca訳)

49. A LA REINE.(王妃へ)

(Août 1756.)
Madame,
La multitude des affaires m’a empêché de vous écrire jusqu’ici;
c’est donc pour prendre congé de vous que je vous adresse cette lettre,
en vous souhaitant santé et contentement pendant les troubles qui vont s’élever. Je suis, etc.

**

49.
1756年8月

マダムへ
諸般の事情でお手紙を書くことができませんでした。
だからこそあなたとの別れを惜しんで この手紙を書きました。
トラブル続きの中ではありますがあなたの健康と幸せをを心より願っていることを
繰り返しお伝えします。

何度このパターンのやり取りを見たかしらん…
ストレートにブッ刺されたのでストレートな言い訳と謝罪。

(海藻さん訳)

別れを惜しむまもなくポツダムに帰ったことを怒られたから「あなたとの別れを惜しんで」と言ってると思われる。オーストリア継承戦争の時も「優しさを感じない」と王妃様がいうので、フリードリヒ大王は「優しい!私は優しい」と返していましたね

でも、オーストリア継承戦争前の時よりは、まぁ、潔く謝罪しています

 

50. A LA MÊME.

Près de Breslau, 17 (décembre 1757).

Madame,
Je vous remercie de la lettre que vous avez écrite au Duc votre frère; rien n’était plus nécessaire que de l’encourager dans la situation présente, et rien ne pouvait être plus mal à propos que la résolution qu’il avait prise. Il y a apparence qu’à présent nous pourrons tous nous soutenir sans bassesse et sans avoir recours à des voies flétrissantes; c’est le moment où il est naturel d’avoir de la constance et de la fermeté, et certainement cela en vaut la peine. Je suis, madame, avec bien de l’estime, etc.

**
50、同様

ブレスラウの近郊、17日(1757年12月)

マダム、
お兄様の公爵に宛てた手紙をありがとうございます。彼がした決意より悪いものはなく(※1)、彼を励ますことが何よりも必要だったのです。今や私たちは、腐敗(卑劣さ)なく、萎縮の道を選ばず、お互いを援助し合うことができそうです。この時期だからこそ、調和がとれていてしっかりしているのは当たり前で、それだけの価値が確かにあるのです。マダム、私は尊敬の念を持っています。

**

※1:エリーザベトの兄のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世は、プロイセンに軍を派遣するのをやめようと決意していたそうです。