Don't mistake sugar for salt.

読んだ本や思ったことの記録

話は伺った!!!!貴殿、困っておるそうだな!いい情報を教えてやろう〜坂井孝一著『承久の乱』②

前の記事では後鳥羽のことを非常にわがままボーイのように書いてしまったが、本書ではむしろ非常に高く評価している。文武両道に長けた偉大なる国君であり、国のあるべき姿、自分の帝(王)たる姿勢を常に追い求め続けていた。

後鳥羽は、正統な王とは何か、その答えを追い求め始める。後鳥羽の生涯は正統な王たることを目指し、正統な王たることを自分自身で確信するための長い旅であったといってもいい。(p.44)

(愛する人が死んだにもかかわらず)帝王の歩みを止めなかった後鳥羽に、精神の強さ、人間としての大きさを感じずにはいられない。(p.54)

と、情感豊かに後鳥羽院の帝王の気質を指摘している。*1

話を元に戻すと、この本、困ったことがある。後鳥羽院の再評価をしている点でお分りいただけるだろうが、

『執権』より北条義時の性格が悪いのである。

これはまずいぞ

 

『執権』が義時の心情に沿って同情的な見方をしていても義時の腹黒さ聡明怜悧さを隠せなかったのとは異なり、もうなんか救えない

これは、あれだな、あの、うん、……

いまでこそ「可愛い」「頑張れ」と言われている主人公だが、きっと「義時様」「執権様」と呼ばれる日が来る。

※キービジュアルが本当に本編と同一人物か疑問に思うほど胡散臭美執権

 

本書では、「ひどい!」と言わんばかりの義時様の性格の悪いご所業が書かれていたので、実朝との関係に絡めてメモしていく。

1、けっこうウザい

当初、北条義時大江広元ら幕府首脳部は、若い実朝を侮るような行動に出た。(p.70)

本書では源実朝のリーダーとしての気質や聡明さや才能を非常に高く評価している。その代わり実朝の和歌能力を「未熟で拙い」とものすごくこきおろしている。ひどい

実朝は義時の手元でそだった。義時の姉の政子が実朝を生み、妹の阿波局(大河で言うところの実衣ちゃん)が育てた形になるので、もうほんとにデロッデロのどろっどろのズブズブに実朝と義時の関係は深かったと考えていいかもしれない。

だからなのか、義時は実朝にとってもウザかった。叔父なのに父親のようにウザかった

文系で和歌を好む実朝に、「武芸に専念してください」と大江広元とともに諫言するなど事あるごとに諷諫する——遠回しに諌める、ヤマザ●春のパン祭りならぬ義時秋の諌め祭りみたいな状態になってしまっていたらしい。

……のだが、普通、こういうふうに直言してくれる人がいるのはリーダーにとってありがたい事だ。特にそれが親族であればすぐに真意の疎通ができるので波風も立たない。
武芸に専念しろというのも、武家の棟梁なんだから本分を忘れるなという意味であろう。

侮るとはさすがに言いすぎなんじゃないの、と思ったので人物叢書の『北条泰時』を開いた。

すると、なんということだろう。

義時の長男・泰時も和歌に学問にと文系的な出来事に夢中だったのである。
後にではあるが実朝の「学友」ポジションである学問所番の筆頭に任じられている。「泰時は和歌と学問に関しては俺と同世代の御家人のなかでもトップレベルだ」と実朝に判断されていたのかもしれない

泰時はのちの名執権・日本史上屈指の名政治家というスーパーマンなので、もちろん武芸にもそれなりに才能を示していたが、実朝に評価されるに至るまでにはむっちゃくっちゃ和歌と学問に精を出していたと思われる

息子にも武芸に専念しろと叱ってはどうだろうか義時

本書によれば、京都と会話するには文化的素養がなければいけない。そのために実朝(や泰時)は必死で和歌を勉強し学問に精を出したのだ。

つまりものすっごく言い換えると、義時や大江広元は実朝の趣味の本当の意図を理解しようともせず、和歌に専念する実朝の意見も聞かずに我流を押し付けたということになる。

2、なにはともあれウザい

「武芸に専念してください」と義時が実朝を叱りつけた、たった一週間後。この叔父甥は再びファイティングし出す。

前回は首肯できそうな意見だったが、今回の義時はわけわからんちんなことを言っている。自らの郎従を侍に準じるように要求したのだ。

本書がわかりやすく説明しているが、どうやら自分の家臣を御家人と同じ扱いにしてほしいと言ったらしい。

ウザい……\(^o^)/ ウザい!!!!!

なので実朝は今回正直に「ウザい!!!!」と要求を突っぱねた。義時はすぐに引き下がった。

まるで叔父甥ではなく関係性の濃さからすると親子ゲンカではあるまいか。擬似親子。そういえばちょうど実朝は18歳であり、高三、ハッつまり反抗期

 

さて、ここまで見ても分かる通り非常にウザくて面倒な叔父であり、18歳の反抗期(かもしれない)実朝からすると見ているだけで複雑な感情がこみ上げてきて腹が立っただろう義時であるが、なまじ極めて聡明なので実朝も排除できなかった。しかも執権だし。いや、排除という発想を思いつくほど北条という勢力は小さくなかったのだ。

 

3、なんかもう、本当に華麗にウザい

そこで実朝が目をつけたのが侍所別当(幕府の軍事・警察の統括責任者)の和田義盛である。

大河では小鳥とか捕まえちゃうピュアボーイな義盛であるが、実は彼は小鳥を捕まえる姿から想像できないレベルの有力御家人三浦半島に勢力を持つ)であり、あの小鳥も義盛の配下がこっそり「腹が立っている義盛様のために!!!!」と人懐っこいのをそこらへんに置いておいた可能性がある

実朝は和田義盛を重用した。義時への当て付けみたいに見え……自然と北条と和田が対立する構図ができてしまう。

いい加減にしろよ~~~~叔父甥仲良くしようぜ~~~~(;ω;)

で、義時が何をしたかは『執権』にメモった通りだ。羞恥プレイをしたり義盛のものになるはずだった屋敷を奪取したり……そこで和田義盛はとうとう挙兵する。和田合戦である。

義時は義盛が挙兵したときの行動を戦争前から看破しており、すべての要所要所を抑えて、和田義盛と対立している三浦義村を引き入れ、戦が起こったらすぐに実朝を連れて逃げた。

命からがら逃げてきた実朝は鶴岡八幡宮に戦勝祈願の和歌を納め、各御家人に御教書を書いた。
「執権と侍所別当が対立しているなか、どちらにつくべきか迷う御家人も多いでしょうけれど、執権側が私を擁しています(=執権側が幕府軍です)」とお知らせしたのだ。この御教書は極めて効果があり、本書では、将軍権力の大きさを実朝は実感したという。

さらに実朝は和田合戦後、みずから和田側の首実検をし、功のあった義時を和田義盛の死で欠員になった侍所別当に任じる。

 

だが、実朝、その日の夜、布団の中で「……なんかがおかしいぞ?」という気分になったかもしれない。

義時叔父上があまりにウザくて傲岸不遜であるために和田義盛を重用したのに、何で和田義盛が実朝に謀反を起こして義時に助けられているのか

しかも義時叔父上を軍事の長である侍所別当に任じてしまった

 

してやられた、と義時叔父上が極めて聡明であったことをあたらめて思い知らされて実朝は悶々としたかもしれない。

「執権」では和田義盛が実朝に重用されていたことはたいして書かれていなかったので素直に執権と侍所別当の対立だと思ったが、より詳しい本書でのこの展開、「わけがわからないよ」としかいえなかった どうしてこうなった ミラクルを起こした義時

和田義盛が実朝に対して放った言葉があまりにそのままである

相州の所為、傍若無人北条義時の所業が傍若無人)」

和田義盛公、私のモヤモヤした感情を言語化してくれている

 

4、叔父甥ちょっと仲直りする

本書では北条義時源実朝をウザい叔父と苦労する甥に書いているようだが、この関係は実朝の後継者決定にまで影響してしまう。

夫婦仲が良かったとされる実朝とその妻だが、実朝は自身が子孫を残すことについて、いささか所感を抱いていたらしい。

「源氏の正統はこの時に縮まりをわんぬ(源氏の正統は私の代で絶えてしまう)」「しかればあくまで官職を帯び、家名を挙げんと欲す(だから私はなるべく高い官職について、家名を挙げたいのだ)」という、子孫を残すことができない、ないしは残さないという旨の実朝自身が広元に告げているのだ。

本当に子孫を残さないのか残せないのか、はたまた広元に対するブラフなのか、実朝の真意は考えても仕方ないが、

実はこれも叔父甥の喧嘩の末の発言なのだそうである。

またかよ〜〜〜〜\(^o^)/

実朝は官位上昇を強く望んだが、これは将軍権力の拡大につながる。これを執権として危惧した義時は大江広元に「子孫の繁栄を望まれるなら、慎重に官位を進められる方がよろしいかと」と諫言させたのだ。

一瞬だけ「これ以上官位を進めると子孫ごと殺すぞ」という殺害予告かと思った

頼朝は朝廷と付き合う際、慎重にことを運んでいた。官位を進めるにも慎重だったので、実朝は朝廷に併呑されず生きていられるのだから、未来のお子様の将来のためにももう少し慎重になられたらいかがです、という論理だったようである。義時の真意はともあれ。

義時叔父上の「出世より、子孫のこと考えようよ」という言葉を受けて、実朝は「僕には子供はできないから出世するんだよ!!!」と言い返してしまった発言なのだ。

広元は暗然と言葉を失ったという。

この時の黙りこくった広元が(この叔父甥、人のこと巻き込んで喧嘩するのいい加減やめてくんないかな)と思っていたかどうかはわからない
 
実際のところ実朝に子供がいないことは非常に幕府にとっても問題だったらしく、実朝はさらなる将軍権力の強化のために後鳥羽院の皇子を後継者に願うようになり、将軍権力の拡大を恐れていた義時や広元、政子も一転、一体となって動き出す。

実朝の「僕には子供はできないから出世するんだよ!!!」というある種投げやりな発言が義時叔父上としては心にきちゃったのかもしれない。さすがに追い詰めすぎちゃったかもなあ、と幼少期から面倒を見てきた叔父としては反省したのかも

なお、以上は私の妄想だが、本書ではこの義時や広元、政子も一体となって動き出した現象を、御家人が朝廷と協力する重要性を理解した動きだとする。

……。

考証の先生がここまで義時に突き放した見方をしているとなると、たぶん恋愛に仕事に全力投球の青春極まったりみたいな可愛い主人公はいなくなり、主人公はキービジュアルの胡散臭そう~な執権に進化すると思われる。

まだまだ義時の胡散臭い所業について語っていきたいのだが、いい加減本書の裏主人公とも言えなくもない三浦義村のことをメモしていかなければいけないと思うので、ぜひ本書をお手にとって「うさんくせぇぇぇぇえ」「相州の所為、傍若無人と連呼することをおすすめする。

 

 

halucy0423.hatenablog.com

 

*1:本書で後鳥羽院に対するもので、「王」という言葉が出てくるが、決して不敬罪ではない。王権の所有者という意味である。王権とはその国の中央に位置することであり、共同体の構成員を超越し、政治的・宗教的なパワーを持つ。まさに後鳥羽は日本の中心に位置しており、朝廷や幕府を超越した存在で、政治的な力もあり、神の子孫とされ、神に等しい存在(=王権の所有者)であった。