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読んだ本や思ったことの記録

2022年度大河ドラマ 第19回 感想メモ

今回も周回遅れですが(味わって見るとこうなってしまうのです)、感想をメモしていきます。

15話からの複雑な流れに比べて、ある種、20話の残酷劇(おそらく)を際立たせるために手堅い感じで、「義経が立場を失う」という一言で言えてしまう回でした。感想は簡潔にします。

 

 

麒麟児(怪物のような子)たち

義経を討伐することに決めた頼朝。ここに至るまでの頼朝の心情は察するに余り有ります。一切そんな表現はないのですが、大泉さんの繊細な演技のせいで、弟に「裏切られ続ける」頼朝の心が軋んで悲鳴を上げる音まで聞こえてきそうでした。

義経は裏切っているつもりは一切ないのですが、正直頼朝のこの嫉妬?の言葉が本質を突いていると思います。

「九郎殿は断りきれなかったのでは……」
「それが腹たつのだ! わしより法皇様を取るということではないか!」

東武者との間で苦しんでいた時に、迷わず手を差し伸べてくれた弟が自分ではなく後白河法皇を見ている、正確には後白河法皇との間で迷っている、この人間的嫉妬もあったのだろうなと。

義経の女性関係にも言えたことで、正妻である里と愛妾である静を同居させていることからも、人間としての義経は優柔不断であるといえます。頼朝は政子との新婚生活では、川向こうに八重の家があったにもかかわらずおもむいた描写がなく、亀への寵愛がゆるぎないものとなったときには別邸を与えていました。ちゃんと政子を選んでいるということです。義経も静には別邸を与えればあの修羅場はなかったかもしれないのに(笑)

 

さて、今回気になったのはこのシーン。

「梶原殿と共に戦おうという方はおられぬのですか!?」(23歳)
「都へ攻め込みましょう。ここで立たねば、生涯臆病者の誹りを受ける。坂東武者の名折れでござる、違うか!」(18歳頃、10代後半から20代前半)
「戦いましょう」(22歳)
「九郎義経、何するものぞ!!」(39歳)

一見、臆病になった旧弊な坂東武者のおじいちゃんたちに対抗する若者たちの情熱というふうに書かれていました。

けれども、この決起は若者の情熱ではありません。後の義時と義村の言葉が冷徹そのものでした。

「このいくさ、負けるわけにはいかんのだ」
「心配するな、俺の読みでは戦にはならん。九郎のやつは、戦わずして負ける」
「何故そう思う」
「あいつは都ではたいそう人気だが、肩を持っているのは戦に出なかった連中だ。命拾いした兵にしてみれば、無謀な戦ばかりの大将にまたついて行こうとは思わない」

義時も義村も、そして重忠、義盛も「命拾いした兵」です。

義時はまだ長男の金剛を置いて出陣しなければならず、なおかつ義経に忠勤を尽くし続けたにもかかわらず「兄」という地雷を踏まれ、義村も娘の初を置いて出陣して義経の残酷なところを見て、重忠は馬を担いで(?)崖を降り、矢の飛び交う中で半ばパワハラを受けた形で非戦闘員を殺しました。これは彼らが率いてきた兵も同じ目に(もっと言えば更に酷い目に)あっていたということです。

つまり自分たちが従わなければ、義経は戦えないだろうと義村は義経の足元を見ています。

義村は十代後半~二十代前半のくせにここまで情報収集能力と分析能力が高いのです。

 

重忠も。

「武名を誇った平家があれよあれよというまに倒されていったのですからやめましょう」
「九郎殿はいくさ上手なれど、我らがたやすく負けることはござらん。ただし、長いいくさとなりましょう」

22歳(満20~21歳)。天才的知略をもってしても、こちらが出せる兵の数が多いため負けはしない、長引くではあろうと判断しています。とんでもなくバランス感覚に優れた軍略家です。重忠は以前からそうでした。13話も。

「軍勢を率いていけば、向こうは攻めてきた、と思います。いくさにならないと約束できますか?」

この時も。数え19歳、満年齢17~18歳。
怜悧すぎるでしょう。親の教育はどうなっているんだ。

義時も同じです。義時の行動は、①義経を鎌倉に戻そうと腐心する②義経を追討するために奔走する、と一見矛盾だらけです。
ですが、こんなフィルターを通せばこの行動は矛盾ではなくなります。

鎌倉殿と鎌倉の安定を図りたい。

義時にとって優先すべきなのは鎌倉(殿)の安定であり、そもそも義経のことなど言っては悪いですが「どうでもよい」わけです。
最初、彼はおそらく鎌倉の安定のために不安要素である義経に鎌倉へ戻ってきてほしい、と判断したのでしょう。義経の顔を立てながら。しかし、義経の帰還が難しそうだとわかってきます。そうすると鎌倉にとっての最大の不安は義経が都で頼朝追討のために挙兵することになります。実際そうしたので義経を追討するために奔走したのでしょう。

さらに「奥州にでも帰ろうか」と言った義経を諫めています。

「おやめなさい。九郎殿が奥州に入れば、必ずそこにいくさの火種が生まれます」

奥州の藤原秀衡が頼朝とひどく対立していたことを考えると、義経を旗頭に奥州藤原氏が鎌倉へ攻め込んでくるという可能性をあらかじめ潰しておこうとしたのでしょう。

この発想が23歳、満年齢21~22歳にできてしまうのです。義時も異常なる聡明さを持っています。

義経義経一人しかいませんが、頼朝はすでに自分に反発し、存分な批判精神を持ちながらも従い、育っていく若い才能を自分の袖のなかで囲っていました。

義村が集めて分析してきた情報から義時が判断し、それによって義盛が御家人を動かして、その大軍勢を重忠が巧みに動かしている様が想像できてしまいます。

 

そんな麒麟児たちを親はどう感じるのか。
重忠の父・重能は存在が示唆されているものの出て来ず、ほとんど重忠に任せているようです。いわば「思う存分やってきなさい」という親なのでしょう。
時政は義時を頼りにするそぶりを見せつつも、義時の穏和さが仇になってしまうときはかならず助けています。麒麟児である息子を頼りにするように見えて、見守り、一緒に行動してくれる親のようです。

そのなかで、今回不安になったのが義澄でした。義澄は当初から義村に対して常に行動を共にするなど過保護の気がありました*1。時政と義時の関係とは異なり、義村を頼りにするにしてはあまり聞き入れていません。義村も父に従順でした。けれど15話のもろもろや、初が生まれてから義澄と義村の間で微妙な隙間風が吹いているように感じます。特に17話では珍しくも親子ゲンカをしていました。
そして今回の決定的な意見の相違。義澄が義経と戦はしたくないと頼朝に懇願したにもかかわらず、義村はそれを見事な情報収集・分析能力で覆しています。その時の義澄はどう思ったのか。
ひょっとして息子の異常な聡明さに気づいて恐れ、囲っておこうと思っていたのでしょうか。でも、義時や頼朝がどんどんと「怪物のような息子」を自分の腕の中から奪っていってしまう……
そう気づいた時、義澄がどうなるのかとても気にかかります。

 

*1:なにせ人の妻を口説けるくらい「大人」の義村と一緒に、伊豆まで時政を連れもどしにきているのですからね