Don't mistake sugar for salt.

そいつが歴女で隠れ腐女子だ!読んだ本や思ったことの記録だ!!

(事情が)複雑すぎて頭がおかしくなりそうだ!!!〜川添昭二著『北条時宗』はじめに

f:id:halucy0423:20210502172022j:plain

突然ですが、北条時宗という人が歴史書でどう記されているか確認するのが趣味です。

北条時宗鎌倉幕府の第8代執権で、時のモンゴル帝国からの侵攻(文永・弘安の役)に対処した人として有名です。執権に就任した際、わずか十八歳。ほとんどモンゴルとの戦いに人生を費やし、三十二歳の若さで死亡しました。

別に学術的興味のことがあっての話ではありません。非常に面白いからです。

何が面白いかというと。

北条時宗クローン説(⌒▽⌒)

手元にある本の中でも。 

 

もっとも信頼する二人の実力者(※安達泰盛平頼綱)の対立、その間に立って、まだ二十の坂をこえるかこえないかの時宗は、ときに深刻な困惑におちいらざるえなかったであろう。社会の深奥から発する、時代の二つの力が二人の対立となって、その若い魂を引き裂き、苦しめたことはまちがいないと私には思われる。

①うわーーっ!!!子供の時から祭り上げられ、外圧と鎌倉幕府の内部の闘争に苦悩する青年執権がしんどいっ!!!心身ともに痛めつけられた末、最後は円覚寺を建てるなど仏事に傾倒してしまい、若くして死亡する……うわーっ!!!(号泣)みたいな北条時宗

(戦前、時宗は救国の英雄と絶賛されていた、)しかし戦後の歴史学は、軍国主義への反省もあり、モンゴルとの戦争に踏み切った北条時宗の決断を批判するようになっていった。いわく、本当に戦争は不可避だったのか。モンゴルとの通交・融和はありえなかったのか、時宗は和解の道を探ることなく戦争への道を突っ走ってしまったのではないか、と。こうして時宗は一転、好戦的な暴君として位置づけられることになったのである。

北条時宗を手放しで賞賛する戦前の姿勢に問題があるのはもちろんである。けれど時宗イメージを反転させて暴力性を強調するのも極端な評価ではないか。

②北条くんには北条くんの事情があるのよ!極端に暴君扱いするのやめてちょうだい!?むしろ平和ボケしてたんだと思うわ!!!という扱いの北条時宗。おそらく、鎌倉幕府をがんばって率いつつも、天然でうっかりさんの北条時宗

 

 執権は北条時宗であったが、その執事であった平頼綱と、妻の父(実は兄)の安達泰盛の間に勢力争いがあった。(※略。血筋のことが書いてある)……この点から私は安達泰盛らを「統治派」と位置づけた。彼らは武家王権を拡大し、非御家人を含む全国の武士を責任の対象として振る舞おうとしていた。

北条時宗?……まあ執権だったみたいだけど、安達泰盛平頼綱の方が重要だよね!!!泰盛と頼綱の対立の表在化は彼の死がきっかけさ!!!(曇りない目)みたいな北条時宗。、北条影薄宗。「自動ドアがオレを感知してくれない」って言いそう。 

 

 マジメな良い子である。

おっと、引用箇所を間違えてしまった

田舎の独裁者

ああっ、また引用箇所を間違えてしまった

徹底的に追い詰められた人間は、すべてをなげうって逃げ出すか、ヤケクソになるか、でなければ神懸かるしかない。逃げ出した例は遁世して信濃(長野県)善光寺に奔った時宗連署塩田(北条)義政であり、ヤケクソになった例に酒浸りとなった時宗の息子貞時がある。そして逃げもせずヤケにもならなかった時宗は神懸かったのである。
時宗は自己を「スターリン(鋼鉄の人)」であらねばならぬと考え、「スターリン」であり続けようとした。

④北条新世界の神になった宗。持明院統大覚寺統両統迭立を定めたり、モンゴルに逆に攻めていこうぜ!!と考えたり、独裁的で不遜。だが、課せられた役割を真摯に努めようとする根はマジメな良い子、という北条時宗

実は、鎌倉時代の中期(13世紀半ば〜後半)ころに鎌倉幕府で執権をやった北条時宗という人は複数名いて、

北条時宗①「もう鬱……泰盛殿と頼綱がいつも対立しててさあ……しんどいから仏事に逃げたい……」
北条時宗③「わかる〜」
北条時宗④「しっかりしろよ時宗!これから蒙古も襲来してくるし、朝廷も皇統を巡って対立が深まってるし、俺たちがなんとかしなきゃだろ!?」
北条時宗②「大丈夫だよ〜。まあああは言ったけど、蒙古は本気で攻めてこないって!たぶん!日本海あるし!!」

みたいな会話をしていたのでしょう!

そのほかに読んだ歴史書でも、「北条時宗です!人物関係を丸く収めるのが得意〜〜!いえーーい!!!レッツパーリーーーーー!!」みたいな北条時宗とかもいました。

わあ!北条時宗がいっぱいだ!!!北条時宗はクローンだったのだ!!!(⌒▽⌒)

史書で量産される北条時宗たち一人一人の個性豊かな性格を確認するのがとても楽しいのです!

……そんなことはなく、これらは全員同一人物のことを語っています。一つ一つの歴史書で異常なほど解釈がわかれる人なのです。ちなみに大河ドラマ北条時宗は、①を基にしつつも、やや④の要素も入った性格でしたね。

 

北条時宗たちを検証しよう!!!

じゃあどれが一番鎌倉幕府の第8代執権であった北条時宗その人に近いのでしょうか。

わかりません

歴史学の研究が年を経るごとに進んでいると仮定しましょう!
(その前提で歴史学徒は研究しているのですがね)

※①は原著が1974年。でも1992年と2001年(著者存命中)に新版が出ていて、③は2007年に別の名前で刊行されており、④は2019年出版ですが、原著は2011年に刊行されている、ということを考えます。

となると、
①北条鬱宗→③・北条薄宗の元の本→④北条神宗の改定前(2011年出版)→(③北条薄宗改訂版(2013年出版))→②北条ボケ宗(2014年出版)→(④北条神宗(2019年出版))

となり、年代順に言えば②の北条ボケ宗がもっとも「北条時宗」であるといえます。

 

権威主義に依存してみよう!!〜偉人かどうか。

さて、ここで耳寄りな情報が。①の著者は歴史学概論の教科書にのるほど偉大な歴史家です。「網野史観」と呼ばれるほど一世を風靡するほど強い学説を打ち立てました。

それが20年くらいで覆ってたまるか。

じゃあ①の北条鬱宗が有力なのでしょうか。時宗……心療内科受けよう……!

権威主義に依存してみよう!〜学歴。

商売の世界では商才が重視されますが、学問の世界では学歴が重要視されます。これは覆しようのないことです。「東大・京大を出ていない学者は学者ではない」という、「平家かよ」という豪語を耳にしたことがあります。さらに東京大学は設備がとても整っており、質の高い研究ができます。

①の著者はもちろん東京大学卒です。が、②北条ボケ宗、③北条薄宗の著者は東京大学卒その上で東京大学大学院に学んだ人なので、素直に②か③の時宗の姿が北条時宗に近いのでは、と考えることができます。

②の北条ボケ宗か、③の北条薄宗かな……?と思いきや、……。

やる気専攻!!!!!!!!!!!!!!

①、②、③の著者は!!!別に!!!北条家そのものを専攻してるわけじゃない!!!!!!!!!!!!!!(あぁ〜〜っ)

①〜③の著書は広範な歴史・分野を取り扱っており、もし今のラノベのように長文タイトルがつくのであれば①は「蒙古襲来における社会の変化について考えてみた」、②は「中世の戦争について語ります!」③は「中世の武士と朝廷の二重権力構造について『二つの王権論』という学説を使って論じます」という感じではないでしょうか(適当)

つまり、①の北条鬱宗はまだしも、②北条ボケ宗と③北条薄宗は別に論じることがあるので、北条時宗その人について考える気があんまりないということになります。

その点④北条神宗は、著者の博士論文からして「後期鎌倉政権における家格秩序の形成と得宗専制体制」であり、北条一色、北条得宗家のことを研究し尽くしての「マジメで良い子の田舎の独裁者」となるのです。

これはかなり強いアドバンテージです。

②か④、とくに④が北条時宗の実像に近いということになりますので組み合わせると……

「よっ!我が名は北条時宗である!平和ボケの田舎の独裁者!!我が信条は『鋼鉄の人』であらねばならぬということだ!よろしくね〜」

人格が破綻してい学説の一致を見ない

ところが。衝撃的な事実が存在します。

北条時宗は800年くらい前に亡くなった死人だということです!だからどれが正しいのかわかんない!!!

歴史学を否定する発言)

 

今回はそんな北条時宗たちのなかでも、人物叢書(=ある程度はスタンダードだろう)という時宗の姿についてメモしていきます。

 

読む本はこれだよ!!!!

北条時宗 (人物叢書)

北条時宗 (人物叢書)

  • 作者:川添 昭二
  • 発売日: 2001/09/01
  • メディア: 単行本