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日本のキリシタンの「問題」娘。〜『細川ガラシャ キリシタン史料から見た生涯』④

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これの続きです!

実のところ、細川忠興正室であるところの明智玉子(細川ガラシャ)に関して、日本の史料はそんなに残っていないようです。女性だからというのもあるでしょうし、明智光秀の娘だからというのもあるかもしれません。

細川忠利と細川忠興の手紙はうざったいくらい残っているそうなのですがね。

だから、玉子と細川忠興もうざったいくらい手紙を交わしていた可能性があります。か、逆に常に一緒にいて、手紙を交わす必要がなかったとか(忠利と忠興は別居しているので、手紙で連絡し合う必要がありました)。

ちなみにですが。
細川忠利の息子の結婚相手を探している時、忠利に対して忠興は「有力者と縁を結んでおいて良いことは稀だ(=苦労する)」と持論を述べています。こちらの本によれば、この考えの背景には、有力者であった明智光秀によって新婚生活を壊滅させられた細川忠興の実感が込められているとしています。

ところが、この本に玉子は後ろ姿程度しか出てきません。
主人公二人の妻であり母なのですが、本当に彼女に関する言及や史料がないようです。

 

イエズス会の史料でこそ、玉子の息遣いを感じられるというのは、かなり面白い現象です。

 

読んでる本↓

そんなわけで、洗礼を受けようと夫に相談もせずに大坂の教会に行っちゃった玉子。ところが神父は洗礼を拒絶します。

玉子「なんでやねん」

※玉子は関西弁話者だとおもわれます

これには当時のイエズス会を悩ませていた深い理由があったのです。

イエズス会「側室って何じゃぁぁぁっぁ!?!」

イエズス会の宣教師たちは、高貴そうな女性が突然教会にやってきて、洗礼を受けたいと志望してきたことについて、困惑していました。

彼女は身元を一切明かさなかったため、秀吉の側室ではないかと疑ったのです。
秀吉の側室に勝手に洗礼を施しては、秀吉の気を損ねることになりますし、また、側室に洗礼をするのは当時のキリスト教の教義としては躊躇しなければいけませんでした。

側室に洗礼を施すのの何がそんなに悪いのか。
結婚、という問題に抵触するからです。

そもそも、当時の日本人の結婚観と、ヨーロッパで培われてきたキリスト教の結婚観は、非常に異なるものだったようです。

キリスト教では、結婚というのは神が特定の二人を結びつけるものとされており、特にカトリックでは人生で七つだけ、目に見ることのできる神からの恵み・恩寵である尊いこと=「七つの秘跡」と呼ばれるものがあるのですが、そのうちの一つが「結婚」です。
つまるところ、凄まじいくらい結婚を神聖視しているし、すばらしいことだと考えています。だから離婚に対して、凄まじく大きなハードルがあるんです。

日本の場合、特に上層部は、それこそ、細川忠興と玉子のように、当時の政治状況が変われば離縁することがあり得ました。また、一夫多妻制社会でしたから、男性は複数名妻を持つのが当然でした。
具体例を言えば、当時、玉子のことを「私の女郎花」*1と、秋に咲く愛らしい花にたとえるという、どう考えても小っ恥ずかしいことをしている細川忠興にも、松の丸殿という側室がいて、彼の子供を生んでいました。

イエズス会会士「oh……ドウイウコトナノ」

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日本の結婚制度に驚くイエズス会の人々の図

カトリックからすると、側室という存在は夫の「不倫相手」となり、結婚の神聖性を阻害するものとなります。こういう存在は、聖書によって洗礼を禁じられているわけではありません。が、洗礼するということは「自分の背負っていた罪をその背から落ろす」ということなのに、洗礼しても「罪深い」関係を続けるのは、好ましくありません。
そんなわけで夫から側室は離れてもらわないといけないのですが、今度はそうなると「離婚の禁止」に抵触します。

あ……イエズス会士の皆さん……
かたまった……

この問題では日本のお隣・中国で布教するときにも起きており、「側室」に洗礼を施すかどうかはそうとうな問題となっていたようです。

そこは現地の文化にキリスト教の教えを合わせていくスタイルを取る「適応政策」を敷くイエズス会ローマ教皇にお伺いを立て、側室・妾でも「(正室と夫との)結婚の単一性を阻害するものでなければ洗礼OK」としてもらいました。

異文化接触ってこういう感じで進んでいくのですね。

でも、側室の洗礼に関しての教皇様の御触れが出るのはもう少し先のこと。

イエズス会の人たちは、玉子が帰るあとをつけていき、 細川家の正室だということが判明したので、心配は杞憂だったということになりました。

彼女は「キリストにならいて(ジェルソンの書)」という「第二の福音書」ともよばれる信仰指南本をもらい、これで信仰生活を深めていくことになります。

玉子自身は洗礼を受けられないまま、細川家の彼女の周囲の人は、彼女に影響されてどんどんと洗礼を受けていきます。彼女は外に出ることができなかったので、教会に行けず、洗礼できなかったのです。
その間、彼女は周囲の人間を司祭の元へ遣わし、キリスト教の教義について理解を深めていきました。

修羅パンツなのか日本の風習なのか

イエズス会の人々は、玉子がまた教会に来るのを待っていたでしょうが、彼女は細川忠興から監視下に置かれていたために、来ませんでした。これについて、彼らの中で情報が錯綜しています。

①日本の風習だからね説

プレネスティーノ司祭は、「この国の習慣に従えば、夫の不在中に夫人は警護を受けていて自由に外出することは許されない」と述べています。高山右近と親密で、細川忠興を通じてキリスト教の教えを知ったんだともプレネスティーノ司祭は言っています。

細川忠興、修羅パンツ説

ルイス・フロイスの描く細川忠興

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『日本史』を書いたルイス・フロイスは「この若殿(忠興)の妻に対する過度の嫉妬と、一般の日本人との間の習慣は大きく異なっており、彼が彼女に行った極端な幽閉と監禁は信じがたいほどであった」と綴っています。細川忠興キリシタンが嫌いだという情報も付け加えています。

さて、本書は無批判に②を重点的に論じていますが、フロイスのいうこととプレネスティーノのいうことには細川忠興像に大幅な差異があります。修羅パンツか、妻を心配する夫か。

織田信長の間近で仕え、その妻女を見てきたであろうルイス・フロイスにとって、玉子の置かれた状況というのは異常でした。一方で、細川忠興キリシタン嫌いかというとそうでもなく、高山右近蒲生氏郷と大変親しい関係にありました。

では、細川忠興は妻を普通に扱っていたのかというと、これも疑問符がつくようです。身辺警護かつ監視役である人がいました。本書では、小笠原少斎であったといいます。

さて、三歩くらい引いてみると、明智光秀の遺児が大坂、ほぼ日本の中枢にいるのに、なにもしないというのもかなりリスキーです。細川忠興は「江戸城の宮廷政治 熊本藩細川忠興・忠利父子の往復書状 (講談社文庫)」を読んでいると、リスクを全力で回避する性癖*2があるようです。
玉子は女性で細川忠興正室なので出家させられずに済んでいますが、男性で細川家の御預人の身であったら、厳しい監視下におかれたはずです。

時代は下るので事情は少し違うと思いますが、ただ徳川忠長が主君だったというだけで、稲葉正利という武士が細川家(細川忠利)の御預人になっています。彼は非常に丁重に扱われた反面、外に出て自由な行動をすることはできなかったとか。
玉子を彷彿とさせる人です。

だから、正室ではあるけれども、御預人のような扱いを受けていたのではと考えたりなんぞします。
お互いにとって、非常に難しい関係になってしまったものだ。幸せたっぷりの新婚夫婦だったのに。

こういう宙ぶらりんな関係では、玉子が気まずくなっていきます。細川忠興も精神的に疲弊していくでしょう。彼女が、今後の子供の将来のこととか、様々なことを勘案して、忠興との離婚(細川家と縁を切るということになります)、その後の出家隠遁生活を望んだとしても不思議ではないかもしれません。

本書ではあたりまえですがそこまでは突っ込まれていません。おらの妄想だ

ジョアン君、誰

なかなか洗礼できなかった玉子ですが、教会訪問から数ヶ月後に、清原マリアというすでにキリスト教徒だった侍女を通じて洗礼を受けます。

その後、彼女は1587年11月、自分の洗礼についていろいろと動いてくれたグレゴリオ・デ・セスペデス神父に手紙を書いています。

たとえ草木がなくなることがあっても、私が神を信じる気持ちは動くことはありません。

 その手紙で、彼女は自分の二番目の息子が病であると記しています。

(3歳の男の子である)二番目の息子が重病になり、生命の希望が完全になくなり……(略)そこで(清原)マリアが密かに彼に洗礼を授け、彼をジョアンと名付けました。

ところが、次男である細川興秋は、当時、数えで5歳なのです。

んん!?

もし、1583年生まれの興秋を満年齢で計算したとしても、11月後半うまれか12月生まれでないと3歳とはいえません。3歳で押し通せば、本書のように、1582年中に懐妊したとはいえないことになります。
当時は数え年齢の世の中だったでしょうから、 数えで5歳であればちゃんと五歳と記したはずです。

ぬぉぉぉ!!

じゃあセスペデス神父が、うっかり間違えたんだと疑ってみましょう。

セスペデスはスペイン人。スペイン語で3と5は

3歳=tres(トレス) años...
5歳=cinco(キンコ)...

 

聞き間違えるかなぁ……(哲学的な問題)

ジョアン君誰!?ジョアン君!!!!!誰!!!

上智大学第二代目学長のヘルマン・ホイヴェルス神父は、「三男の忠利か……?」という説を提唱しています。忠利は当時数え2歳。それを間違えたんだと。

よし。

スペイン語で2と3は

2歳=dos(ドゥス)años
3歳=tres(トレス)...

ちょっと間違えそう。

この前年の12月に生まれた細川忠利はまだ十一ヶ月くらい。満年齢だと1歳になっていません。だから、玉子が息子の死を予期し(乳児が死ぬのは珍しくないことでしたから)、息子の霊魂が救われてほしい(=たった十一ヶ月で死ぬ赤ん坊の命を意味あることにしたい)から洗礼を受けさせたいと考えたのは、不思議ではなさそうです。
細川忠利は相当病弱であり、大人になっても、細川パパ興から、養生法を指南されたりしています。

この説でいけば、セスペデスが二度も聞き間違えちゃうウッカリさんとなります。

そんなことはないはず、と細川興秋の方を向いてみると、彼は10歳の時に後継ぎのいない叔父・細川興元細川忠興の弟)の家に養子入りし、そのあと、細川興元キリスト教徒になっています。興秋に布教されたという話があるそうです。

10歳児に布教されちゃう叔父さん(28歳)、こんな感じだったに違いない

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でも、細川興秋は、最後、切腹(=自害、キリスト教では禁じられている)をして死んでいるのです。同じ職場(大坂の陣)で働いたキリスト教徒の明石全登は自殺を嫌がって、行方不明になっているのに。

ジョアン君、マジ誰。(哲学的な問題)

 

ジョアン君が誰だかわからないまま、
次は本書の核心にせまっていきます。

 

 

halucy0423.hatenablog.com

 

*1:「なびくなよ我が姫垣の女郎花男山より風は吹くとも」という和歌を玉子に詠んでいます。……風流だねえ。玉子は「なびくまじ我がませ垣の女郎花男山より風は吹くとも」と鸚鵡返しという和歌の手法の一つを使って返しています。……風流だねえ刀剣乱舞の歌仙兼定も鼻高々の雅な夫婦。細川家にはたぶん常にショパンが流れている

*2:あんまりに全力で回避するので、すでに、趣味か性癖だと思ってる。