Don't mistake sugar for salt.

そいつが歴女で隠れ腐女子だ!読んだ本や思ったことの記録だ!!

日本のキリシタンの「問題」娘。〜『細川ガラシャ キリシタン史料から見た生涯』③

 

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halucy0423.hatenablog.com

これのつづき

読んでる本! 

そんなわけで玉子は豊臣秀吉に復讐心を燃やす漢気溢れる存在となってカムバックしてきました。

玉子とは一見関係ない九州の話(雑)。

玉子がcomebackした2年後の1586年12月、彼女はまた子供を産みます。これが未来の細川忠利です。ところが、1587年、細川忠興は、忠利の首がすわるかすわらないかという天使の時期に九州に駆り出されることになりました。九州征伐です。

世情にプライベートを常々犠牲にさせられる細川忠興


何故また細川忠興はプライベートを吹っ飛ばされてしまったのか。

このお方のせいです。

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大友宗麟細川ガラシャ高山右近と並べて書かれる敬虔なキリスト教

本能寺の変が起きた頃、九州はだいたい三つに分かれていました。大分あたりを拠点にしている大友家、鹿児島を中心とした島津家、佐賀あたりに勢力を持つ龍造寺家です。

ところが1584年、ちょうど玉子が細川家に帰ってきた同じ年、龍造寺家は沖田畷の戦いで島津家に大敗を喫し、壊滅的な状態になってしまいます。
となると、のこったのは大友家と島津家のみ。実は、これより前の1578年、大友家は島津家に耳川の戦いというので負けておりました。かなり不利。

さらに、1585年、大友家は不運なことに、西側(つまり佐賀に面する福岡)の守りを固めていた最強の重臣立花道雪(本名・戸次鑑連)を亡くします。すでに佐賀を食っている島津家は「チェストォォォ!!」とその隙間に攻め込んで行きます。

もっと最悪なことに、1586年、立花道雪と肩を並べて西側の守りを固めていた高橋家の当主・高橋紹運が島津家に攻められ、戦死、高橋紹運の軍は全滅します。これを岩屋城の戦いと言います。
島津家は、残る立花道雪の後継である立花宗茂を目指して進軍していきます。

立花宗茂は当時18歳くらいの少年。島津家の、佐賀と福岡を鹿児島、いや九州全土を鹿児島にしようという計画の完遂が間近に迫っていました。

さて、大友家は弱っちいわけではなく、もともとかなり強いのですが、どうしてこんなに島津家が強いかというと、わけがありました。

そう、島津家が強かったのです。
おっと、島津家が強すぎて小泉構文になってしまったぜ

恐ろしいお家芸釣り野伏せ*1というものを駆使し、耳川の戦い沖田畷の戦いに勝ちました。

このまんまだと福岡も大分も鹿児島になってしまいます。
とんこつラーメンにさつまいもが投入され、別府温泉はさつまいもを茹でる時のお湯に使われる可能性が非常に高まってきました。

ところが、まだ小童に毛の生えた年齢である立花宗茂は、「とんこつラーメンさつまいも味は!!!俺的に無理ッ!!!!!」と言わんばかりに頑張ってしまいます。

立花宗茂は、釣り野伏せとか平気でしてくる島津家相手に、逆に奇襲を仕掛け(……仕掛けられるんだ……)、島津家に全滅させられた高橋紹運のいた城を奪還するなど(……奪還できるんだ……)、意味不明な強さを発揮します。

でも、大局的に見れば、明らかに大友家は負け一直線です。

なので、大友宗麟は、立花宗茂が時間稼ぎをしている間に、島津家へ国崩しなる大砲をドカドカうちながらも、とある作戦の準備をしていました。

 

……ヤシマ作戦

 

当時、関東の北条家と東北の伊達家など以外は手中に収め、天下人の座に登っていた豊臣秀吉に出兵を要請し、島津家を「ほとんど日本全土の電力兵力で潰そう」と考えたのです。

宗麟的に島津家はラミエルだったのだ

こうして、細川忠興大友宗麟の要請により死地・九州へ連れて行かれてしまいました。

九州征伐のその後ですが。
最初は釣り野伏せを駆使して秀吉側に抵抗していた島津家ですが、秀吉の意を受けた黒田官兵衛が、広島・山口から関門海峡を使って毛利家を連れてきたことで風向きが変わります。
隠居していた毛利家の名将・吉川元春が「戦場って楽しいなぁーーー!!!!」と言わんばかりに、福岡の小倉城あたりで、甥の毛利輝元や弟の小早川隆景たち、家族みんなで楽しそうに、ちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返していました。
毛利家に関わるとろくなことがありません!!迂回迂回!!!

そんなわけで、島津家は福岡らへんではなく、大分の方を重点的に攻めようとしましたが、そこに細川忠興を含めたほぼ日本全土の大軍が投入されたので、島津家は沈静化しました。

魂の不滅をもとめる玉子

細川忠興がカオスの地・九州へ赴いている間、玉子はとある場所を訪れていました。

イエズス会が作った、大坂の教会です。

当時、玉子は本書曰く「異様な厳しさ」で細川忠興によって監視・軟禁状態に置かれていました。

当時の彼女の立場を考えてみれば当然の措置だったでしょう。
同じく織田信長に謀反した荒木村重の妻女は殺害されています。前出の立花道雪の妻は主君の大友宗麟に謀反を起こした人の娘だったので、即座に離縁されています。これらは、玉子のifです。

さっきまで新婚生活をぶっ潰された細川忠興とか、忠利と引き離される細川忠興などというネタを披露していきましたが、玉子も新婚生活を世界中から潰された挙句、当時、一番可愛い盛りだった長女・長男と引き離されているのです。

本書に掲載されたイエズス会の司祭の書簡を見る限り、玉子は、今まで生きてきた人生の価値観そのものに対する大幅な転換が必要だったのではないでしょうか。

彼女は、魂の不滅を否定する日本の宗派に属していた。それゆえ、この夫人は深く憂愁に閉ざされ、ほとんど現世を顧みようとしなかった。夫人の態度は、夫を心配させることが少なくなかったので、二人はしばしば言い争っていた。

 (本書、イエズス会司祭プレネスティーノの書簡より)

プレネスティーノ司祭の書簡には、仲睦まじい夫婦らしい夫婦をしている細川忠興と玉子の姿が描かれています。 

「魂の不滅を否定する日本の宗派」とはどこでしょう。
細川家はどうやら臨済宗宗徒のようです。

細川忠興の祖先にあたる細川頼之は幼少期、夢窓疎石臨済宗のスーパーガーデナー)に師事していたらしく、熱心に臨済宗を信仰していました。その弟で、直接の祖先である細川頼有は建仁寺の住職に傾倒し、熱心な臨済宗信者でした。

祖先が臨済宗宗徒だからと「魂の不滅を否定する日本の宗派」が臨済宗とは限りませんが、可能性はたかそうです。

臨済宗といえば、禅宗の一つで、「自力」の教えで有名。
「自力」とは、座禅をして悟り、自分自身が仏になるのだという思想です。現在でも禅がマインドフルネスに応用されているので有名ですが、自分自身を見つめて行くことを重視しました。この考え方は、鎌倉・南北朝期の武士たちにとって非常に需要の高いものでした。
一方、浄土宗や浄土真宗は、仏や菩薩の加護こそが人を救う、仏・菩薩と自分の関係を重視したため、「他力」という思想を打ち立てました。こちらは神による恩寵が人間を救うとしたキリスト教とよく似ている考え方で、よく、浄土真宗親鸞イエス・キリストは並べて論じられることがあります。

さて、臨済宗をはじめとした禅宗と、キリスト教における「魂」の考え方は根本から異なっています。詳しいことは近所の臨済宗のお坊さんと神父さんに聞いてどうぞ。

九州征伐の説明以上に雑にメモしていきます。
キリスト教において、禅宗をはじめとした仏教の「空(=この世の全てのものには『確固たる何か』はない)」の思想は、魂(=キリスト教においては「私」を規定する『確固たる何か』)の不滅を否定するものと受け取られました。禅宗からしても、キリスト教は、確固たる何かではない自己の存在に執着しているように見えます。
宗教対立が起きる原因がお分りいただけただろうか!!ガッテンガッテン!!!

宗教対立とは、人の生き方・価値観の対立の最たるものです。

細川忠興は戦が終わったあと、座禅組んで「あぁ〜、この世まじやっぱ空だわ」と体感することで救われたかもしれませんが、玉子は、この禅宗の考え方のどこかに絶望し、この世が本当に虚しくなってしまったのでしょう。
だから、キリスト教を求めたと考えて良さそうです。

どこに引っかかったかは、神と玉子のみぞ知る、です。
ただ、プレネスティーノがわざわざ「邪教」とかではなく、「魂の不滅を否定する日本の宗派」と言っていることから、そこにヒントがありそう。

愛する嫁に彼の話をしまくってキリスト教に入信させるほど高山右近が大好きな細川忠興

玉子はどこでキリスト教を知ったのでしょうか。

意外なことに、この人が情報を伝えました。

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細川忠興。親友の高山右近が好きすぎる。

越中殿(※細川忠興のことです)は(高山)右近殿と親密な間柄であった。越中殿は、右近殿から神とキリスト教に関する様々な話を聞き、この問題について夫人に語った。
(本書、イエズス会司祭プレネスティーノの書簡より)

細川忠興が家で親友の高山右近の話をしていたので、玉子はキリスト教を知ったのです。
高山右近は、細川忠興に、非常に深いところまで話していたと考えるべきですし、忠興は、家で、暇さえあれば右近の話をしていた可能性が高いといえるでしょう。

 

そして、忠興がいない時、洗礼を受けたいと満を持して大坂の教会に向かった玉子。

 

ところが。

玉子は、司祭から洗礼を受けることはできませんでした。

 

ぬほ!??!!

というわけで、次へ続く! 

 

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*1:味方を三隊に分けて、一隊だけ敵の前方に配置し(これが囮)、全力で戦って負けたふりをし(!?!!?デキルノカソンナコトガ)後退、敵を誘う。他の二隊は伏兵として配置しておく。全力で負けている囮を追いかけてきた敵を、囮と伏兵二隊のちょうど中央点におびきよせる(!?!デキルノ?!)。すると三隊で敵を包囲できてしまう。敵は殲滅される……という戦法。非常に有効だけれども、兵士の演技力や地形や指揮官の素質に左右されて難しいはずなのに、島津家はやっちゃう