今日も砂糖と塩を間違えた

そいつが歴女で隠れ腐女子だ!読んだ本や思ったことの記録だ!!

「私は重衡様の死を喜んでいる。」✿『式子有情 軒端の梅は我を忘るな』

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感情を抑圧された育ちのゆえに、最愛の人と恋をできなかった女性の、
壮絶なラブストーリーです。

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 味わい深かったのが、「恋愛にさえならなかった」というところ。

「彼女」は、物心ついた時から周囲と隔絶されていたせいで、「感情」が育たなかった。和歌には興味を示したが、出来るのは美しい言葉の連なりだけの、「心」のない和歌ばかり。

ところが、「彼」と出会って、自分とは異なる思考や感情を持つ「にんげん」の恐ろしさ、自分の感情の未知の動きに触れる。そして突きつけられた問いに彼女は答えられない。
彼が壮絶な死をとげたとき、心が軽くなった彼女。死んだ、思い出の中に生きる彼は、ただ彼女に優しいだけ。自分と異なる思考を持つことは、彼女を苦しめることは、もうない。
けれども、それは死者を弄ぶことであり、彼女は闇に蝕まれ始める。

そんな話。

もちろん、ちゃんと最後は救われるし、彼女は彼の出した問いに答える。

平安末期、新古今和歌集時代の女流歌人である式子内親王と、平家の武将である平重衡の激しくも空しい恋を扱った、若干異色の恋愛小説だ。

感動や慟哭を知らない姫君。

私は男女間に造詣がないので、なんとも言い難いのだけれども、この本における式子の恋の仕方というのは、一部の方からは「お叱り」を受けるものなんだろうなあ、と薄々感じている。
勇気がないとか、「地雷女」だとか……。重衡がかわいそうだとか。

愛していながらも心を素直に表現できない。傷つきたくない。夜も眠れないほど重衡が愛おしいのに、彼の一挙一動が怖い。

だが、私は、「その気持ち、わかる」と思ってしまったのである。

今まで式子は皇女として、賀茂斎院として父や兄弟の身代わりとして神に祈り続ける、俗世から離れた世界で生きてきた。ひたすら、ひたすら。自分を律して生きてきた。

私はもちろん、そんな大層な重い立場に立ったことはない(笑)が、学校では教師から「いい子にしていなさい」と言われ、家でも、親ははっきり言わなかったが「いい子」であることを求められていたと思う。社会に出ても組織に従う「いい子」であることを求められ続けて、従容としていた。
前の職場で、新入社員だった私は、妊娠した先輩が「妊娠してごめんなさい。仕事に穴を開けてごめんなさい」とその課の職員全員の前で頭を下げたのを目撃した。廊下ですれ違う程度の、よく知らない先輩を祝おうとしていた私は、面食らった。私の自我も、先輩の自我も透明になっていたんだろう。
前の職場では、私はずっと「いい子」だった。ずっとカラに閉じこもっていた。他人が怖かった。

そんなのと似たり寄ったりの環境を、式子は、生きてきたのだろう。

本書ではやんわりとしか触れられていないが、式子の伯父崇徳と父の後白河の対立した保元の乱が治ったのも束の間、こんどは後白河・二条に対するクーデターである「平治の乱」がおき、その通奏低音として、後白河と二条が激しく対立している。
式子内親王が斎院だった時期は、彼女の父親の後白河上皇と兄の二条天皇が激しく対立し、後白河側の勝利として、式子の弟の高倉天皇が登極した時期に、みごとに重なる。

その天皇をめぐる政変続きの中、彼らの娘であり妹であり、神に対する名代である「斎院」が「自我」を持つことはできない。透明になるしかない。
親や兄弟や周りに迷惑をかけない、「良い子」になりなさい。「良い子」でなくてはいけません、と、式子は育ってきた。言い換えれば「都合の良い子」なわけだが。

そして、自分の存在をなくすかのように部屋の中に閉じこもり、物語を読みふける。

けれど、成長すればするほど、人間は「都合の良い子」ではいられない。斎院である式子も同様だ。彼女は、多感な時期に入り、とうとう斎院である自分とそうでない自分の間に引き裂かれ、元の真面目な性格もあって、自我の崩壊に見舞われる。

気鬱の病(おそらくうつ病)にかかり、斎院を退く。

ねえ、竜寿。斎院を降りたら、私、元気になれるかしら。

この言葉は、あまりにいたましくて悲しい。
竜寿というのは彼女が最も心を許す女房。

そんな心の弱っている式子を最初に迎えたのは、意外なことに、父の後白河院と、その新しい寵姫の建春門院だった。

自我の塊である父と、建春門院の姿をみて、彼女は、母を捨てた父と、母から父の寵愛を奪った女に対する不快な感情を抱くでもなく、人前でくったくなく笑う二人を「不思議だ」と思ってみている。
完全に、彼女は自分の意思がわからなくなっていた。

ところが、父は(娘に苦労をかけた事を謝罪しないが)、心を弱らせて帰ってきた娘に、同居するなど深い愛情を注ぎ、人生の今後について、重要な指針を与える。

「あまり考え込まずに、歌でも琴でも好きな事をやるが良い。今様も面白いぞ。なんならこの父が教えて進ぜようか」

史実にたちもどれば、式子内親王は皇女としては異端なことに、歌人として積極的に活動している。普通であれば、「内親王ともあろうものが……はしたない」といわれそうなところだ。
ここまで、彼女が歌の道を極めたのは、今様の道を極めている父の後白河院の背中を見ていたせいではないだろうか、と私は考えている。
実際、政変があって離れ離れになるまで後白河と同居していて、父に深く愛された娘であったらしい。
父の後白河は、非常に奔放な人柄で有名だ。当時の皇族ではなかなか奇抜なことに、今様をこよなく愛し、彼の母の待賢門院は息子の今様狂いを肯定して、ともに楽しんでいた*1
後白河も、自分が母にされたのと同じように、娘の和歌狂いを肯定したのかもしれない。

美しいまま老いていく。

本書に戻ると、式子は以前より興味のあった和歌を本格的に始める。が、和歌の師である藤原俊成からは、期待される反面、感情が育っていないため、「幼い」と評される。

ただ、式子のように感情を抑圧されているのは彼女一人ではない。

式子の兄である守覚法親王*2も、弟に玉座を譲り渡すよう幼少期から運命づけられ、自らの人生を他人事のように生きている。本心を隠し、徳の高い僧であることを演じ切っている。妹に本心を吐露した彼は、こう言い放つ。

そなたたちの方がもっとつらいかもしれない。女として生まれながら、子を生むことなく、美しいまま老いていかねばならないのだから。

一方、式子のもう一人の兄である以仁は、ただ存在することが、耐え難く許せない。それが、彼の人生を狂わせていく。最後は非業の死を遂げる。

愛する式子の兄の以仁を殺害したことをきっかけに、平重衡の人生は暗転して行くのだが、それはちょっと先の話である。

重衡様は私のことを何もご存知ない。

感情が薄く、おおよそ意思というものが存在しない式子のもとに現れたのが、平重衡である。
平清盛の末子。平維盛平資盛と並ぶ、ザ・平家の貴公子である。平家の貴公子のテンプレート。デフォルトオブ平家の貴公子。平家の貴公子オブ平家の貴公子。
歴史上で言えば、教養高く諸芸に優れた華やかな貴公子であった一方、以仁王の挙兵を追討したり南都を焼き討ちしたりした、平氏政権の闇を担う人だ。

神に仕えた後、病を得て斎院を退き、今は後白河に愛されている故にそれなりに華やかに、だが穏やかに深窓の姫として暮らしている式子とは真逆の人間である。

ただ、共通点は存在する。お互い父に依存しているということだ。式子は後白河院に。重衡は平清盛に。二人は、お互い父に深く愛されている子として、そのひざもとに甘えて生きている。極論すれば、父の後ろ盾がなければ生きて行くことができない。
それをほとんど自覚せずに、恋をしてしまったことが、二人の悲劇へと繋がる。

出会い方がまた、後白河の機嫌を取るために、彼が手元に置いている愛娘の式子に重衡が拝謁しにきたという、みごとな平凡さなのである。そこが非常にいい。
重衡にとって、年上の「有力な」内親王で、正直、拝謁しにきたときは彼女を道具としてしか見ていなかっただろう。

けれど、彼はどんどんと、少女のように無垢な式子に、足を滑らせるようにどんどんと心を囚われていく。
重衡といえば華々しい恋愛遍歴の持ち主で、手が早い()のだけれど、式子が、「いい子」で「周囲に望まれる姿」を自己を抑圧してまで体現している故に、彼の培った豊富な恋愛スキルが、役に立たない。人形に向かって話しかけているかのようになる。

だから深みにハマっていってしまう。

あのお方の心のほんの片鱗でも知ることができたら、 

一方の式子は、才気煥発な重衡に心動かされているにもかかわらず、生まれでる激しい感情にどう対処していいのかさっぱりわからない。

そしてなにより、彼女は、激しい感情を躊躇なくぶつけてくる重衡に怯えてしまう。

式子は彼に向き合えない。

けれど、重衡も式子と向き合えないのだ。不自然なことに、彼は、彼女のいままでの境遇に想いを馳せることがほとんどない。生まれてこのかた感情を抑圧するように教えられて育ち、気鬱の病まで患うほどの彼女の生い立ちを、考えることはない。
重衡にとっては式子は「高嶺の花」「理想の女性」で、そこにどんな苦しみが存在するのか全く理解しようとしない。自分の感情を押し付けるばかりなのだ。

文体が上品なので非常に美しいシーンに仕上がっているが(それも作者の力量だと思う)、雨に降られて全身を濡らしながらも、式子に迫り、境遇上あり得るはずもないのに彼女の心に別の男が住っているのかと嫉妬に身を焦がす重衡は、激しく恐ろしいものを感じる。
そりゃこの重衡は愛する人の兄を追討したり南都を燃やしたりするだろう。

一番「しげひらはじぶんのかんじょうをおしつけているなあ」と頭を抱えたのが、式子の兄の以仁を追討することに疑念を抱かないことである。

そしてふと、以仁王は小斎院様の兄君なのだな、と思った。

「ふと、」でいいのか重衡。あれだけ激しく恋い焦がれている人の兄を殺す姿勢がそれで。
むしろ、自分の行為が愛する人を傷つけるかもしれないという恐怖に囚われることはなく、後白河院鹿ヶ谷の陰謀を企んで、清盛が院を幽閉したとは言え、以仁王どうして平家に刃向かうのか、疑問に思っている。
あたりまえじゃないかしげひら。私はしげひらにツッコミたい。後白河院から実権を奪っているのは平家だぞ。その息子が実権を取り返して何が悪い。弟の発言を聞いて、草葉の陰で後白河院と平家の調整役として働いていた重盛兄ちゃんが「しげひらをちゃんと教育しておくべきだった」と絶対頭抱えて泣いてるぞ。

ついには、父の命令に従い、東大寺興福寺など南都(奈良)の寺を焼いてしまう(半ば不慮の事故であったが)。彼はそれが原因で仏罰を恐れ、心が「死」に傾いていく。

つまるところ。

式子が父の後白河の膝元で守られているように、重衡は父の清盛に依存しているのだ。偉大なる父をなかば盲信している。父のすることに、兄たちの、重盛のようにたしなめるでもなく、宗盛のように優しく兄弟を守るのでもなく、知盛のように黙って責任を取るわけでもなく。父の大きな腕の中の箱庭で優雅に貴公子をしていただけだった。

彼も真のところ、式子と同じように、自分の意思を持たなかったのだ。
だから、式子をまっとうに愛することができない。子供が綺麗なおもちゃを欲しがるように愛してしまった。ただただ、そこには、妄執の世界が広がっている。

ぞっとすることに、式子はそれをおそらく見抜いていたのだろう、心の中で叫んでいる。

重衡様は私のことを何もご存知ない。

彼女が卑屈になっているようにみえて、彼を心の底から愛してしまった彼女の、魂の慟哭にも聞こえる。
彼女は、重衡とは異なり、兄の以仁が反乱を起こし平家を苦しめたことに心を痛めている。重衡と出会い、意思を持つようになったのだ。

私は重衡様の死を喜んでいる。

重衡は一ノ谷の戦いで捕虜となり、斬首されて死ぬ(史実をご参照いただきたい)。
式子はとうとう、重衡と「恋愛」に至らずに終わった。
彼は、彼女に「軒端の梅は我を忘るな」という下の句を残して永遠にこの世から消えた。

でも、ここで物語は終わらない。ここからが本番である。

式子はある面で、ひどく安心した。もう重衡の心や気持ちを考えなくて済むから。人間は他人の気持ちを考えるということに非常に労力がいるのだ。
式子はもう、兄を殺し、父を苦しめた人の立場に立って物を考えずに済む。彼はもう感情を押し付けてこない。安心して眠ることができる。
ただ、脳裏にあるのは美しかった青年との思い出ばかり、などという生やさしいものではない。

彼女は脳内に自分の思う通りに動く彼を作ってしまうのである。彼であって彼でない、式子の理想を。そう、重衡がまるで式子に押し付けたことを。ある種の復讐だ。

私は重衡様の死を喜んでいる。

壮絶な告白である。彼女はまるで死んでようやく手に入った男の首を弄ぶサロメのように、ようやく手に入った脳内の重衡と戯れる。 

サロメ (光文社古典新訳文庫)

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 彼女はもちろん、サロメではないので、自分が死者を弄んでいることに恐れをなす。

自己満足を押しつけられた対象となる人間は、その重みがより苦痛となりはしないだろうか。

私は本当に恋をしていたのかしら。

それ、しげひらに言ってくれ、式子。
ぞくぞくするのだが、式子は自分が重衡からそのように見られていたことに一切気付いていない(と思う)。けれど、重衡の式子に対する愛情のあり方を牽制するような発想をする。自分の心の中に、重衡と同じ発想があるのだ。

重衡の自己本位な愛情は繰り返し描かれている。

重衡の妻・大納言佐藤原輔子とは比較的真っ当な関係を築いているようにみえる。輔子の心を案じ、だが彼女なら大丈夫だと信頼もしている。一方で、妻との間に子供がなくて良かったと彼は述懐している。……彼自身が美しく死ぬために。
そしてさらに念を押すように、鎌倉に捕虜となっている際に千手の前との関係を持つ。すぐに死ぬから持たなきゃいいのに持ってしまう。がまんしろよしげひら

ここまでくると、どうして式子は重衡を愛しているのか、よく分からなくなってくる。

けれど、式子は、自分の仏道の師である(重衡の死に立ち会って受戒させたからという理由で呼び寄せた)法然にこう述べている。

私は人を妬んだことがございます。世を恨んだことも。それになによりも……私は人の死を喜んだことがございます。

彼女に確実に感情ができていた。しかも綺麗な感情ではない。醜い感情も。

式子はかなり自制しているけれど、彼女の独白から感じるに、輔子には、もんもんと嫉妬の情を抱いている。わかりにくい嫉妬だが、輔子の境遇をいたましく思いつつも、彼女と自分を引き比べて自分を貶めている。
のりこ、しっかりするんだ。のりこはしげひらの妻ではないんだ。輔子と自分をどうして比べるんだ。それ根深いやきもちだよ

当然と言えば当然の感情だ。重衡の心の7割くらいを占める女性、正妻なのだから。
重衡に恋しちゃった女、しかも内親王としてはかなり気になる存在だろう。
「わたくしより輔子どのの方がしっかりしてるんでしょ!そっちとよろしくやってればいいじゃないの!!!わたくしなんて面倒な女なんでしょ!」と。
でものりこはすっかりわすれているがのりこにちょっかいをだしたのはしげひらのほうであるし、というかそもそも二人はお互いの感情を確認し(察してはいるものの)恋愛に発展したわけではない。
内親王が世話になったが不遇になった臣下を心配し、密かにいろいろと手配するのはおかしなことではない。……という発想に至らないほどのりこはしげひらへの愛情であたまがきゅうきゅうなのである。

つまり、人を妬むという感情も重衡から教わったものなのである。
自分の感情も意思も持たなかった女性が。

軒端の梅は我を忘るな

法然の教えに救いを得ていた式子は、突如失脚する。

彼女は史実では二度失脚しており、一度目は叔母である八条院を呪詛したと噂されたこと、二度目は父後白河院の霊がついた人間の事件に連座したとされたことだ。ただ、一度目は後白河院が生きていたので救われた。二度目は、彼女の甥である後鳥羽院が式子を重用し(彼女は後鳥羽の准三后(もちろん夫婦関係にはないが、後鳥羽にとっては太皇太后・皇太后・皇后につぐ立場の人)である)、息子の准母にしようとしていたので救われたらしい。

本書では一度目の失脚をクライマックスに持ってきている。

失脚し、式子は出家した。愛娘の出家に父の後白河は不興だった*3。そう、意思のなかった式子は、父の意思にさえ、逆らえる人間になっていたのだ。

出家して、なにもなくなった彼女は、重衡との思い出の詰まった場所に立っている。
ただ、梅の花だけは変わらない。

彼女は重衡の下の句に上の句をつける。

「ながめつる今日はむかしになりぬとも 軒端の梅は我を忘るな*4」と。

ながいときをへて、ようやく二人が一つになった。

史実では、彼女はこの歌を詠み、しばらくした後、乳がんとなって薨去する。いずれ来る死を見据えていたかのようだ。

本書では若干式子の寿命に猶予が与えられているように見える。
けれど、「ながめつる今日はむかしになりぬとも軒端の梅は我を忘るな」
……言葉を失う。かなり心にくる。息ができない。

軒端の梅は、重衡との思い出をずっと見守ってきた。半ば恋の象徴だ。
私が死んでしまっても、重衡が逝ってしまったとしても、軒端の梅よ、私(たち)の恋を忘れないで欲しい、と。

式子は重衡を愛し続ける。愛し続け、生涯を傾けて彼への熱情を織り込んだ和歌を詠む。まるで自分と彼の恋の挽歌のように。

『明月記』で藤原定家は、自分の主君である内親王が、死の床で、「祈祷もなさらない!*5」とイラついている。これは式子内親王が変わり者だったという証左だという話が有力だけれど、本書の世界観に浸ってみれば、彼女が自分の治療を拒んだ理由が手に取るようにわかってしまう。

彼に伝えたかったのだ。来世で。
「ながめつる今日はむかしになりぬとも軒端の梅は我を忘るな」という歌を。

重衡♡式子はありえるか!?

業の深い恋愛小説を読んだものだ。最高に萌え転がった。良かった。

どうしてもこの時代は大河ドラマ平清盛」を想起する。

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 あの奔放で掴み所のない後白河院松田翔太さん)が娘と同居していて、彼女を可愛がる様を想像するとかなり微笑ましい。もっと言えば平重衡(辻本祐樹さん)に「お前、我が娘に色目を使っておるな?」とガン飛ばす様を想像するともっと微笑ましい。

そんなシーンはないが。

後白河天皇の第三皇女・式子内親王は、天才的な歌人である。皇女としては異常なことに、「趣味」に歌を止めることなく、普通の男性歌人と同じように活動している。病弱だったようで、精力的に、というわけではなかったようだが。

で、彼女には噂がある。

彼女の詠む恋の歌はどれも迫真。恋をしたことのある人なら共感できるものもあるのでは。私も男女関係に疎いが「なんかわかる」という和歌は多数ある。
じゃあ、彼女は実際に恋をしたことがあるのか?では、誰に恋をしたのか。

日本古典文学界の密かなる謎の一つになっている。恋愛は二人が接点を持たなければ成立し得ない。皇女という立場。接点を持てる存在は自ずと狭まってくる。

で、式子内親王と接点を持った男性は誰か(女性かもしれないが、とりあえず男性という点でみんな絞っている)と考えると、和歌の師匠、藤原俊成。その息子で、頻繁に彼女の屋敷に出入りして面倒を見ていた、半ば和歌の弟子のような藤原定家仏道の師、法然。そこらへんがいる。でも定家はすごく年下で、俊成や法然はめちゃくちゃ年上だったりする。式子が極度なショタコンかおじさん大好きでなければならない。

となると、屋敷に出入りしていた人の中で、一人、いいのがいるのである。
平重衡だ。
平家の人々はそれぞれお世話になった人々と別れを惜しむのだが(平忠度は和歌の師の藤原俊成のもとへいき、平経正はおそらく幼少期世話になった守覚法親王のもとへいった)、「平家公達草紙」という鎌倉時代に成立したものでは、何故か平重衡は、式子内親王のもとへ赴いたとしている。*6

だが、重衡も結構年下(この本が書かれたときは四歳年下だったが、最近の説では八歳年下)である。

男性陣、ど偉く美形の女性で和歌が上手で上品な八歳年上はいけますか?
女性陣、八歳年下の平家の貴公子だけどアイドル目線で見ずにリアルな恋はできますか?

あたまがばくはつするしかない。

だからもう、私はこの本で推されていた、怪しげも極まっている九条兼実説(※同い年。絶対知り合いを通じて近い知り合いのはずなのになんでか日記「玉葉」ではそんなに触れてくれない、というか式子を軽んじて後白河院が式子に与えた屋敷に住み続ける(この本では式子と住みたかったんだとか言ってる)、九条良経が生まれた時期と式子内親王が斎院をやめた時期が重なる=良経を出産したのでは?、確かに内親王が身分の下の男性に心を許す可能性は低いので摂関家くらいがギリギリだろう)を推すしかないのである。

虚構の歌人 藤原定家

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まあこのとてつもなく怪しげな説で言えば、九条良経がめちゃくちゃ和歌がうまい理由の説明がつく。

お父さん(兼実)は和歌に造詣がある、お母さん(式子)は天才歌人。良経は上手くなるしかない。

 

また、良経と式子内親王は和歌のやりとりをしている。
九条兼実に屋敷(大炊御門殿)を返してもらえずなかなか座所が落ち着かなかったが、兼実が失脚して式子が大炊御門殿にいくことができたという文脈で読んでもらいたい。大炊御門殿には見事な八重桜があった。

 「ふるさとの春を忘れぬ八重桜 これや見し世にかはらざるらむ(世の中は変わったけれど、あなたの見ていた八重桜は変わっていないわよ)」
「八重桜をりしる人のなかりせば 見し世の春にいかで逢はまし(八重桜を折って贈ってくださる方がいたから、かつてみた春に逢うことができました)」

式子は良経に八重桜をプレゼントしている。
性格の悪い私はどうも「てめえの親父がぶんどった家の桜が咲きましたわよ!!」「ありがとうございますねえわざわざ!!」というギスギス嫌み合戦に見えてしまうのだが、親子であったならこのギスギス感は見事に解消し、たんに母が息子に八重桜を見せているほっこり話になる。兼実さんもかつての恋人と息子のそのやりとりを見て後ろでニッコリしただろう。内親王の恋人が兼実であればの話である。

まあこればっかりは式子内親王九条兼実に聞くしかない。というか私は面白半分でこの説を推奨しているだけであって、正直式子内親王の恋人は、あの和歌を読んでしまうと、内親王のそばにはべる、彼女と似たり寄ったりの年の貴族の中にいたのではとふと妄想してしまうけれど、相手が誰でも面白がれる自信がある。

またかのご本では、お相手候補に、源通親も挙げられていた。彼も式子内親王と同い年なのだ。
通親は式子の弟の高倉帝の側近だった。彼も和歌が大好きである。式子内親王もだが、ヤンデレめいた和歌を詠むことに定評がある。

九条兼実源通親式子内親王、三人の同い年の中でやっぱり和歌がうまいのは式子内親王である。

通親のヤンデレさはストーカーに近いのである。怖いのである。「死んでもお前の近くに俺のサブ端末を置いて愛し続けるからな!」って和歌を詠みがちなのである。
兼実はそもそも坊ちゃんなので「こんなに私がお前を愛しているのだから、お前が私のことが嫌いなはずがない!」みたいなパワー恋愛みたいな和歌を詠みがちである。

自分の恋を黙ってられそうにないので、死にたい」という式子内親王の和歌は怖いというより、人間の感情のぎりぎりの深淵を見る、という感じがある。

やっぱり天賦ってあるんでしょうなあ。

ただ、九条兼実/源通親は、式子内親王と和歌のやりとりはしたかったろうな。和歌に情熱を燃やす人々。彼女の和歌から、自分の和歌を磨かない手がない。

 

*1:後白河院は母親への愛が深い。どのくらい母好きかというと、母が亡くなった折に悲しみすぎて精神的な危機に瀕してしまったらしく(一ヶ月半ほど本人曰く「日が沈んで、闇夜へ向かっているように」眼前真っ暗な状態で悲しみに沈んでいたらしい)、兄の崇徳院がわざわざ彼を引き取って同居したほど。即位直後の自分と保元の乱を起こし、怨霊騒ぎに恐れる存在だったにもかかわらず、後白河は崇徳と同居したことを自ら記している。また、後白河はすぐ上の姉の上西門院統子と非常に仲が良い。上西門院は、ああいうことがあったにもかかわらず、兄の崇徳の遺児を猶子にしている。大天狗様の母子関係・きょうだい関係は、非常に温かく良好なものだったのだろう。保元の乱という悲劇さえなければ。

*2:最近では式子の一つ年下の弟とされている

*3:後白河院がなぜか式子内親王の出家に機嫌を損ねたのは史実だ。政治的都合や宗教的都合もあったと言われるが、あらぬ噂を被せられて地位を失っていく娘の姿を見て、愛母待賢門院がやはり呪詛の噂で失脚し出家したトラウマが蘇ったという話もある。そうであれば後白河の、父であり息子である側面を感じることができて、かなり面白い。

*4:「このようにお前を物思いにふけって眺めている今日の姿が過去になってしまったとしても、軒端の梅は私を忘れないで欲しい」、という意味

*5:現代でいうと「医者にもかからない!」ということだと思われる

*6:下世話なことを言えば式子内親王に仕えている女房が重衡のよきお相手(お察しください)であり、内親王の御所に足繁く通い、遊んで(意味深)いたのだという。いうなれば重衡様専用ナイトクラゲフゲフ、なんでもない。式子内親王は重衡から金をとるべきゲフゲフなんでもない。