今日も砂糖と塩を間違えた

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麒麟を留めるために〜「細川忠利 ポスト戦国時代の国づくり」その①

1600年の新春。


一人の十四歳の武家の少年が、初めて江戸の地にやってきました。

当時の江戸は、徳川家康という大大名の一人が治める土地で、名君の元、少しずつ湿地帯を切り開いていました。富士山の見える、そして晴れが続くと砂埃が時たま舞うこの街が、噂通り、伏見や大坂、京を追い越す勢いの、華やかなりし都市であったことに、さぞかし少年はびっくりしたでしょう。江戸の町を従者と探検しながら、「ぼくの地元の天橋立かて、日本三景や、なんて言うたら、家康様に怒られてまうな……」などと、ぼそぼそつぶやいていたかもしれません。あ、そう。少年は天橋立が見える京都の宮津生まれ。

親元を離れ、しばらくは京都の愛宕権現のお坊さん(社坊)に学問を教わっていたようです。

少年は、正室の子供ですが、父母が目も当てられないほどラブラブなせいか、きょうだいが多く、兄が二人もいます。次兄は叔父の養子になり、その後を継ぐことが決まっているので、少年は将来、文武両道の長兄を支えるために、がんばらねばならないのです。

食べ物の好き嫌いが多くて病弱なのが、ちょっと不安要素ですけど……。でも、そんな体の弱い子が、わざわざ京都の北からこの江戸にやってきたのは、理由があります。
宮津城城主であるところの父が、昨今の複雑怪奇な政治事情に困り果て、三男であるところの少年に、江戸(徳川家)へ人質に行くように命じたのです。

少年のような人質は「証人」とも呼ばれ、丁重に遇されました。似たような立場の人間は少年の周りにいっぱいいて、中には長兄のお姑様・芳春院様までいらっしゃいました。

秀忠の周りに仕える小姓は、似たり寄ったりの年代のものが多く、友達もできました。父は心配性なので、仕事中(会津に出張をしているのです)も少年に「秀忠様のお側近くにいろ、でなければきちんと折々挨拶しろ」「何事も慎しみが肝要だ、悪評が立ってしまえば取り返しがつかない」と手紙を書き送ってきます。
少年は「わかってますて!父上はやかましいなぁ」と思ったかもしれませんが、素直に言うことに従っていました。
あんまりに忠勤ぶりが良いので、家康も、秀忠の出陣に参加せず、江戸にいて良いよと少年にいってくれました。

やったね少年!

 

しかし、江戸で暮らしていた少年は、その直後、故郷の宮津が戦火に巻き込まれ、

大坂の屋敷で母が自害し(正確には家臣に自分を殺害するよう命じ)、

祖父が敵の手に捕らえられ、

父が戦いの前線で死闘を繰り広げ、

自分が支えるはずだった長兄が失脚して廃嫡され、

自分が次期当主の座を次兄と争わなければならない未来が来るという、いいかえれば、

関ヶ原の戦い」で実家が崩壊していたという事実に、直面することになります。 

 

……で流れるこのOP 
[麒麟がくる] オープニング映像 | タイトルバック | 音楽 ジョン・グラム | NHK 

 

細川忠利って誰(いきなり失礼)

この少年こと、細川忠利(ほそかわただとし)は、江戸初期に活躍した大名です。
熊本藩藩主となって、戦国時代から江戸時代へと急激に変化していく時代で、国づくりを行い、日本の歴史上最大規模の一揆島原の乱の平定に尽力しました。
天草四郎の首を取ったのは彼(の配下)です。

 

祖父は今年の大河ドラマの主人公の明智光秀細川藤孝、父は細川忠興
戦国通なら一度は耳にしたことのあるお三方なのではないでしょうか。ちなみに母はキリシタンとして有名な細川ガラシャ明智珠)です。

戦国通の人にはわかっていただけるネタかもしれないですが、庭師の首が飛び、「あーたは鬼よ!!」「お前は蛇だ」と大げんかしたカップルの愛の結晶が細川忠利になります。

自分と妻が愛し合っているところを見た庭師の首をはね、その首を妻に投げつける、妻もその血がついた小袖を着続ける、忠利の父母のこの逸話は、現代の感覚からすると異常です。ホラー、怪奇現象、ということになるでしょう。

 

戦国時代、つまりそれは修羅(バーフバリ)の時代

しかし、冷静になって振り返れば、南北朝時代、父の仇をとった(と勘違いした)少年・楠木正行は、その首をボールのように投げて遊んで喜んだといいますし、戦国時代、それこそ織田信長は、敵将の首をドクロ杯にしたといいますし、刀の試し切りは基本人体で行われましたし、辻斬りなんぞは当たり前でした。病気を癒すために、武士が行き当たりばったりに1000人も人を殺す、1000人斬りというものも流行りました。

まさに現代であれば、強盗殺人や連続通り魔が推奨され、そして罰されることなく、そのような人間は上流階級として生きているということになりましょう。
それだけ野蛮、人権という概念皆無、まさに修羅の国でした。

それをふまえると、忠利の父母の逸話は、当時の夫婦喧嘩そのままなのでしょう。「無実の人間を殺したあんたは鬼よ!!」「それを顔色も変えずに見ていたお前は蛇だ」と言い合うだけ、憐れみの精神をおもちの優しい夫婦だったのかもしれない、とまで思ってしまいます。

忠利の祖父・明智光秀も、幾度も主君を変え、最後は主君に謀反を起こしています。

これも冷静になって振り返れば、当時の戦国人としてはごく普通の行動です。今年の大河で鮮烈な印象を残した斎藤道三も主君を何度も変え、なかには暗殺したという説もあるようですし、2016年大河でも草刈正雄さんの演技が光った真田昌幸は、主君を変えすぎてもう何が何やらさっぱりわかりません。
ただ光秀の謀反した相手が、超グレートアイドルの織田信長であったために、異様なほど話題になっているだけなのではないでしょうか(「本能寺の変 原因」でググるとちょっと面白い)。
信長は臣下に殺されなければいけないほど暴走していたし、光秀は信長を殺す相応の理由があって、黒幕がいた、とされることが多いようです。

 

光秀がなんども主君を変えているように、信長は死因となった光秀以外にも、若い頃から色々と裏切られたり、謀反を起こされたりして、その都度生き延びています。暴走するも何も、謀反されるのは当たり前なのが当時のトップに立つ人間だったのです。

で、もう一人の祖父・細川藤孝は、京都の路上で突っ込んできた暴れ牛を、素手で角を掴んで投げ飛ばしたり、人の家の門番の手を、素手で握りつぶしたことがあります。でもって、……とまあ、全ての逸話、脳みそが不協和音を起こすレベルの怪力です。戦国のアンドレ・ザ・ジャイアント、巨大なる人間山脈、それが細川藤孝。しかもそんなジャイアント細川は当代随一の教養人と呼ばれています。

教養人とは(スペースキャット

 

つまり、彼らを現代の常識で考えてはいけません。

 

言い換えれば、忠利の祖父・父母はバーフバリのノリで生きているのです。

それを踏まえると、「戦国の感覚」がわかるような気がします。で、これを頭に入れておくと、本書において、細川忠利とその主君の徳川家光江戸幕府が、どうして、天下泰平を希求したのかがわかります。

裏切りを繰り返して主君を殺害したり、素手で牛を投げ飛ばしたり、夫婦喧嘩で庭師の首が飛ぶぶっ飛びジャイアンライフは、江戸時代を形成していくにあたり、ちょっともう無理だったのです。

すなわち、素手で牛を投げ飛ばす腕力がなくても生き延びることができる、夫婦喧嘩で庭師の首は飛ばない、そんな平和な国・日本熊本藩藩主細川忠利と征夷大将軍徳川家光は目指していたのです。

たぶん。

 

ほとんど本編を読まないまま②へ進みます!

 

halucy0423.hatenablog.com

 

そうです、この本を読みます。